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いじめの構造 無価値な私の居場所

無価値ポジション


他人を貶(おとし)めないと
居られない人がいます。

NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾムです。

人は皆、例外なく
幸せになりたいと願います。

これは最初から決まっていることで
自然の理(ことわり)なのです。

もし仮に、
「私は幸せになんかならなくていい。」
と言う人が居たならば、

それは、
心の中の無価値感が大きすぎて

そうとしか
感じられなくなっているのです。

心の奥底では
その人ですら、幸せを願っています。

自然の理なのです。

なのに、人は何故、
人を貶めるのでしょうか。

職場、学校、家庭でさえ、
人は人を貶めます。

職場や学校では
その最たるものが、「いじめ」です。
家庭では
「虐待」が、それに当たります。

どちらも、根本の原因は、
無価値感です。

いじめる側、虐待する側の
心の中には、
深刻な無価値感があります。

自分には価値がない、
という感覚です。

深刻な無価値感を抱える人は、
そのネガティブな感情と
向き合いたくありません。

そこで、
その無価値感を覆い隠す様に、
怒りの感情が現れます。

テープ式心理学では
感じたくない感情を
ガードする役目を帯びた
この怒りの感情を
ガードの怒り、と呼びます。

ガードの怒りには、特性があって、

水は低い方へ流れますが、

いじめ、虐待の現場で発生した
ガードの怒りは、
弱い者へと向かいます。

強者の発するガードの怒りは、
弱者に向けられるのです。

何故でしょう。

ガードの怒りは
本人が向き合いたくない
無価値感を隠す為に、
二次的に現れた感情です。

隠す為に現れたのですから、
自分には価値がある、と
感じる為に使われます。

その場しのぎでも、
仮りそめであっても、
向き合いたくない無価値感と
反対の感情を感じる為に
使われるのです。

反対の感情とは、有価値感です。
その場しのぎ、仮りそめの有価値を
テープ式心理学では、
即席有価値と言います。

ガードの怒りは
この即席有価値を得る為に
弱者へと向けられるのです。

即席有価値は、
深刻な無価値感に
苛まれる者にとっては、
麻薬にも似た中毒性を持ちます。

向き合いたくない無価値感から
目を背けるばかりではなく、
その場しのぎとは言え、
有価値を感じることが、
出来るからです。

その時だけは、
弱者に怒りを
ぶつけることによって、
私には価値がある。
と思えるのです。

かくして、いじめや虐待は
長きに渡って続くのです。

昨日いじめても、
その場限りの有価値感です。

今日も、明日も、明後日も、と
際限なく続くのです。

いじめられる側、虐待される側には、
もちろん、非はありません。
いじめも虐待も
渦中にある弱者は、
この上ない苦しみの日々です。

センシティブな問題なので
誤解を招かない為に
もう一度述べます。

いじめられる側には、
これっぽっちもはありません。

但し、重大な要因があります。

それは、
無価値ポジションです。


機能不全家庭に生まれ
親から
無価値な扱いを
され続けた場合などは、
無価値な扱いをされることが、
当たり前のことになってしまいます。

つまり、
自分には価値がない、と
強く、強く心に刻みこまれます。
無価値の意味づけが
信念のように定着します。

やがて、
この子が幼稚園や、小学校に入り、
外界と触れた時、
毎日、毎日無価値な扱いをされ、
無価値であることが、常態化した
その子は、もはや信念のように
定着した、私は無価値であるという
感じ方のままに、

自ら進んで、ことさらに、
自分が無価値であることをアピールし、

自分から、
尊重されない立ち位置に、収まるのです。

これが、
無価値な私の居場所、
無価値ポジションです。


オモテとウラ


つまり、家庭で、生まれてからずっと
虐待によって、無価値な自分を
受け入れるしかなかった子供は、
外界に触れても、
いつもの無価値ポジションに
収まろうとするのです。

尊重されることの無い、
無価値な私の立ち位置は、

ガードの怒りをぶつける相手を
探している者に、

私にぶつけて下さい。
私をいじめて下さい。

と言っているようなものです。

かくして
生まれてからずっと
家庭で虐待された子は
どこに行っても
いじめられる可能性は
高いのです。

いじめっ子と、いじめられっ子は
表と裏だと言われる所以は、
どちらも、
無価値感に苛まれる存在だからです。

片方は無価値感から目を背けて、
ガードの怒りをぶつけ、
即席有価値を得る。

もう片方は無価値ポジションに
自ら収まり、ガードの怒りをぶつけられ、
即席有価値を与えるのです。

表出する行動は、一見正反対です。
しかし、
いじめる者といじめられる者とは、
同じコインの表と裏です。

根本原因は、どちらも
ネガティブな感情の無価値感です。


順応した生き方


ここまでお話ししたのは、
いじめ、虐待についてでしたが、
貶める人は、
日常的に標的を探しがちです。

心の中は無価値感でいっぱいで、
即席有価値が欲しくて
仕方がない訳です。

すると、どうしても
関わる人、物、出来事に

ジャッジを下し、
否定をし、
不平不満を口にする。

そういった生活態度に陥りがちです。

他人を貶める人は、

常に無価値感に苛まれる人であり、
時にいじめ、虐待をしてしまう人であり、
辛辣な批評家であり、
責任を自分の外に置く人です。

これは、
そのような人を
非難しているのではなく、

それほど深刻な
無価値感を抱えていると
言うことをお話ししています。

我々は皆、本当は、
豊かで、
幸せで、
愛に満ちて、
美しく、
満たされた存在なのです。

それが原型、
アーキタイプと言います。

それなのに
生まれ落ちた環境や条件によって
無価値な意味づけを
心に貯め込むことで

他を貶めることを
活力としてしまうほど、
苦しい生き方を
選ばされてしまうのです。

この世には本当は
良い悪いのジャッジは無く
生き方にも善悪はありません。

その生き方は何も悪くないです。

生まれ落ちた
その環境に順応した生き方です。


別の生き方


しかし、もしも、
その生き方とは別に、望む人生があり、
そこに向かって歩みたいと
願うのであれば、

原因である
心の中の無価値な意味づけを
書き変えることで、今からでも、
望む人生を生きられます。

そうするには、
まず、心と向き合うしかありません。

向き合うことで、
心の中の
いわれのない、
無価値な意味づけは、
変えることが出来ます。

逆に言うならば、

無価値な意味づけを変えることを、
望むのならば、

望む人生を歩もうと思うのならば、

ただ、ただ、
心と向かい合う、


それだけなのです。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾム









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