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バレンタイン反対派?
ここ数年、義理チョコや友チョコの衰退を感じる。
GODIVAの新聞広告『日本は、義理チョコをやめよう。』から、時間をかけじわじわと「もう良くない?」という雰囲気だ。
今年は「もう良くない?」という会話もなく、「今日バレンタインだね!」という話もない。ただの平日だ。
学生時代はみんなでお菓子を作って交換する楽しいイベントで、お昼にみんなで食べたり、可愛いラッピングに包まれた数えきれないくらいのお菓子を食べた幸せな思い出がある。
私はバレンタイン反対派だ。※学生は除く
毎週の楽しみのPodCast「pecoとJESSICA」でも、pecoちゃんが想いを代弁してくれている。
本当に、バレンタインは「なんでそんなことせなあかんの」でしかない。
(pecoちゃんは義理チョコや友チョコに対して、であったが)
「この日はチョコを好きな人や恋人にあげてください。あげないと好きではないということです。何なら礼儀知らずです」とでもいうように、かっちりと決められ、それに従わなければならない、そこで伝えるのが感謝や好意というのが嫌なんだと思う。
私は好きな日に好きなものを好きな人に、あげたいときにあげたい。
そしてそういうとき決まって、お返しは全くいらないという気持ちだ。
それがまずバレンタインデー・ホワイトデーの形式と真逆のスタンスだと思う。
バレンタインが終われば1か月後にホワイトデー。
まず最初に女性が男性に渡すという当初の決まりが個人的にあまり好きではない。
そして1か月後、男性からお返しをする。
しかもホワイトデーの名前はお返しのマシュマロの白さが由来という。なんとも適当である。
そもそもマシュマロいらない。チョコの方がいいに決まってる。
マシュマロはBBQの時に焼くくらいか、ココアの上に乗ってるくらいでちょうどいい。
その適当さゆえに、ホワイトデーの存在感も薄く、ホワイトデーフェスなど見たことがない。
バレンタインで無理やりチョコをあげた側は、1か月もホワイトデーに何かしらのお返しがもらえるかどうかを待たなければならない。
この「型にはまった感謝制度~長期ver.~」の仕組みが好きではないのだと思う。
ちなみにフェミニストではない。
昔、ホワイトデーを返してもらえなかったことが数回ある。
無理やり型にはまってバレンタインに苦手な手作りor美味しそうなチョコを探し、購入して、
それで1か月後、返してもらえない。
翌年はじゃああげないというのも礼儀知らずのようで、居心地が悪い。
「チョコをあげなければならない」
わたしのバレンタイン嫌いのはじまりであった。
他にも嫌になった理由がある。
大人になってからのバレンタイン、百貨店でのチョコフェスなどで自分用や身近な人用などに大量買いしている人は、すごく楽しそう。
わたしは、まずダークチョコが好きではない。
ダークチョコを食べたとたん、鼻の奥がむずむずしてくしゃみが出るという意味不明な人体の持ち主である。
おまけにチョコケーキもチョコアイスもチョコクッキーも好きではない。
ミルクチョコ、ホワイトチョコは好きだが翌日のニキビが気になって少ししか食べられない。
以前は百貨店のチョコフェスに行って、有名店のトリュフチョコを買ってみたり、チョコソフトを食べたりしていた。
百貨店のチョコフェスなどは、人がとにかく多い。
チョコのためにこんなに並ぶのなら食べない方がましだ。
そもそも並ぶのも嫌いなので、いいことがひとつもない。
そして、お菓子作りが好きではない。
お菓子作りは労力と食べる時間が見合ってない。
また、分量は守らなければ失敗するし、出来上がるまで成功か失敗かほぼわからない、
非常に精神不安定な作業である。
また器具も材料も用意が大変で、洗い物も多く発生する。
お菓子作りが趣味の人、楽しんでいる人、本当に尊敬する。
~私が総理大臣になったら~
・バレンタインは、義理チョコは廃止。(これは法律で取り締まる)
・学生の友チョコや好きな人に渡すのは好きにしてくれ。
・ホワイトデーの廃止。(恋人、夫婦、ともに同日交換とかにしてくれ)
・バレンタインという言葉を変えて「おかしの日」に。んで祝日に。
かなり荒ぶってしまいました。
みなさん、バレンタインあげなくても礼儀知らずではないですよ。