鈴木・J・真矢
皆さんは鈴木・J・真矢ご存知でしょうか?
今回は彼の半生を彼が成した偉業と共に振り返ってみたいと思います。
紀元前2年。
彼は当時のクリームマカロン帝国(現富山県三坂市神里区)に生を受けた。
学生時代は彼の2期後輩のイエス・キリストによく焼きそばパンを買って来させていたらしい。
その時生まれた名言として
「パンがなければケーキを食べればいいけど、俺は焼きそばパン食いたいの!
お前が買ってきたのこれベーコンエピじゃん。
ベーコンエピも美味いよ、でも俺は焼きそばパンが食いたいの!!
うん、だからベーコンエピも美味いのは認めるって!!だけど今は焼きそばパンの気分なの!!
あと俺、昨日親知らず抜いたって言ったよね。それでベーコンエピ買ってくるってお前ヤバいよ。
ベーコンエピってパン界で1番硬いからね!!
歯へのダメージエグいからね!!!!」
がある。
キリストとのエピソードはここまでにして、彼の幼少期について語りたいと思う。
彼の家庭では多夫多妻制を取り入れており、彼にも誰が本当の両親なのか見分けがつかなかった。(尾びれの形を見れば分かる)
鈴木・J・真矢の親がおさかなヒューマンであることは今更言うまでもないだろう。
そんな沢山の親からの愛を受けすくすくと育った彼は幼馴染のキリストには横暴なものの、それ以外にはとても穏やかな性格だった。
彼の見せるその二面性が外はカリッ、中はふわっとしている銀だこのたこ焼きに酷似していることとうんちを漏らしたことから友達に「銀だこうんちマン」略して「うんだこ」と呼ばれていた。
小学校時代は「うんだこ!!」と連呼しながらを職員室の前をケツで歩くというデスゲームを考案し一躍人気者になった。
しかし中学、高校時代になるとそんなお下品な遊びを誰もしなくなり、そしてうんちを漏らしてしまったことからあだ名が「鈴木くん」になってしまう。
うんこを漏らしたのにあだ名がつけられないこの苦しみを皆さんは分かるだろうか?
この時期は彼にとってとてもつらい時期だったが、この鬱屈した青春の日々が後の彼をつくりあげたと言っても過言ではない。
いや過言か
あ、これ過言だ。
よくよく考えたらめっちゃ過言じゃん笑
ごめんみんなすっごい過言やわ笑笑
彼は後のインタビュー(月刊ろくろの魅力再発見。5月号)にて暗黒時代についてこう語っていた。
「あの頃は僕らを支配する夜の空から自分に似合う星屑を探しだそうともがいた日々を送っていたね」
意味は1つもわからないがこれは彼なりの強がりだったんだろう。
しかしそんな中学、高校時代が嘘だったかのように彼は大学デビューに成功する。
大学では髪を金色に染め上げ、金色のハートのネックレスに金色のドラゴンの形をしたピアスそして金色のキャッチャー用具をつけていたこととうんこを漏らしたことで周りから「クソ漏らし」と呼ばれ一目置かれる存在となった。
そんな彼は折り紙サークルに入った。
全身金色の脱糞男が折り紙サークル?
皆さんも大きな違和感を感じただろうが当時の人はもっと大きな違和感を感じただろう。
しかしこの違和感、なんだかいいぞ。
そう、鈴木・J・真矢は世界で初めてギャップ萌えに成功した人物なのである。
その後もギャップ萌えで全てを欲しいままにした鈴木・J・真矢は年2回のペースでコンスタントのうんちを漏らし続け、西暦2012年にエルフとしては異例の早さでこの世を去った。
雨の日に子犬を拾うヤンキーも実は親を大切にしているギャルもバイオハザードが得意なおばあちゃんも全てのギャップは彼から始まったのだ。