ヤクザと家族 The Family
「私の3回目に付き合って」
そう友人に誘われて私は劇場に足を運んだ。
正直言ってノーマークの映画だった。「ヤクザ映画」には縁がないのだ。嫌っている訳では全くない。しかし私とは縁遠い。
けれど友人が3回目に行きたがっている。しかも私にも観てほしいと思ってくれている。友人の熱意に興味を持ったのだ。
鑑賞後の今、誘ってくれた友人に感謝している。
物語は簡単に言ってしまうと、ヤクザの栄枯衰退を描いている。抗争シーンもあるし、バイオレンスなシーンも沢山ある。拷問シーンも容赦ない。
けれど「ヤクザ映画」じゃないのだ。
私の認識として私の思い描くそれは、ヤクザ同士が抗争を起こし、成り上がっていく華々しさを描かれる印象がある。そこからあっけなく衰退していくが同情できるそれではないもの。
しかしこの映画は、全くそうではない。
ジャンルを分けるならば、ヒューマンドラマで、家族の物語なのだ。
狭い世界でしか生きられなかった人間の壮絶な人生が描かれている。
家族の為に戦い、家族の為に一線を越え、家族の為に更生を誓い、家族に殺される。愛されて憎まれながら。
「人を愛し、人に愛される」人権すら持てなかった人間のドラマ。その世界を作り出した今の日本社会に対する問題提起。
人並みの優しさを持っている人間ならばこの映画を見ると苦しいし、やるせなくなるのだ。
彼を愛したいと思うも、許されない。
彼女を愛したいと思うも、許されない。
誰に?
「人を愛すること」は一番自由であるはずで、好きな人に好きと言い、愛し、そうして生きてきた自分からすると、疑いたくもなるような世界があった。
ただ、私は苦しくてやるせないばかりではなく「家族」の中で、そこに溢れている小さな愛が愛おしく感じるシーンもあった。
「山本」を演じる綾野剛さんは、それを滲み出すのが非常に上手いのだ。「心では笑ってる」顔、「愛おしんでいる」顔。
抜群なのだ。もうそれは圧巻でしかない。
そして
19歳の山本は19歳の山本で、
25歳の山本は25歳の山本で、
39歳の山本は39歳の山本。
なのだ。
19歳の少年だし、25歳の青年、39歳の中年。どの世代も肌から何から全てが年相応で、そこにいるのは綾野剛ではなくて「山本」なのだ。
とても惹き込まれるし、映画に違和感なく時が過ぎる。
劇中で尾野真千子さんが演じるゆかが、山本に「本物のヤクザって初めて見た」と言う。山本は「本物とニセモノってなんだよ」と返す。
私はこのセリフがとても好きだ。
綾野剛はヤクザじゃないから、これはニセモノのヤクザである。けれど、山本は本物のヤクザで、ニセモノじゃないのだ。
そう思わせてくれる演技力がすごいのだ。
そして、藤井監督の構成力がすごい。
親父(頭)を演じる舘ひろしさんは、非常にカッコイイ。いい声で、顔のシワの一つ一つまでとにかくカッコイイ。
そして舘ひろしさんの使い方が上手いと感じた。
親父さんは「義理人情」を重んじ、とにかく優しい笑顔を向け、親父なのだ。
ちょっとしたところで凄みのあるシーンはあるし、そこであぁ頭なんだなと感じてもバイオレンスなシーンでは直接自分の手にかけることは一切なく「優しい親父」であり続けるのだ。
いい演出である。映画を見やすくしたし、ヤクザという本来なら同情を寄せられないような立場の人たちに簡単に感情移入できてしまう。
そして、友人が「帰ってから主題歌のMVを見てこの映画は完成するから」と言う。
本当にその通りだった。この映画を観たなら、FAMILIAのMVまでみるべきである。
この映画は、タイトルだけで敬遠する人がいたり、私のように縁がないなと思う人が必ず一定数はいるのが残念でならない。そして、本当に届けたい人たちに届かない悔しさも感じてしまう。
友人が熱弁していた意味が今はよくわかる。
友人はエンドロール終了時に「4回目早く観たい」と言った。
私も「私の2回目に付き合って」と、大切な人を誘って行きたいなと思う。
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