LINKIN PARKの復活がまだ受け入れられない人のnote
ださいことをしている。
今、私はめちゃくちゃださいことをしている。
9/6、LINKIN PARKの復活が知らされた。
下戸な私がいつぶりかわからない缶のハイネケンをコンビニで買って、家にあったコーヒーゼリーと共に胃に流し込んでいる。
こんなことで普段買わないお酒なんかを買ってしまう自分が本当にださすぎて笑えもしない。お酒に酔って体全体が真っ赤になるし、筋肉痛のような痛みが走る。
私はLINKIN PARKの復活を受け入れられていない。
今日仕事でかなり良いことがあったから、ことさら彼らの復活が胸にしこりを残す。
仕事で嬉しい感情と、LINKIN PARK復活の複雑な感情が入り混じって仕方がない。自分が分からない。だからこそ整理をするためにnoteを書いているわけだが。
逆にすぐ「いいじゃん!」と受け入れられるのはなぜなのかと思う。(これは本当に人それぞれの意見があるので、受け入れること自体まったくおかしいとは思わない)
私の中のチェスター・ベニントンの存在が大きすぎるだけだ。
よくアーティストが「友達の兄ちゃんや知り合いがLINKIN PARKという存在を教えてくれて、そこからロック・メタルにのめり込んでいった」などとインタビューで答えているが、私にはそんなことを教えてくれる知り合いも友人も誰もいなかった。
元々友達が少ないし、ましてや中2の女子。同世代はアイドルに夢中だった。
どのようにしてLINKIN PARKを知ったのかがまったくわからない。けれど最初に聴いた曲は「Faint」だ。それだけは覚えている。TSUTAYAでロックコーナーをひたすら漁ってた13歳の頃、たまたま手に取ったのがFaintの入ったCDだったのだと思う。
中高はフェス禁止、門限は22:00。
家庭にこんな規則があったのでLINKIN PARKを観る機会はなし。
2017年、大学生の頃に彼らが幕張メッセで3日間ライブをするとのことで喜び勇んで2日間のチケットを取ったが、ライブ4か月前にチェスターが自死。
意味が分からない。
今日も、朝のLINKIN PARK復活ライブをYouTubeで観ながら、嬉しいとかよりも怒りが勝った。
なんでチェスター死んでるんだよほんとに。なんで代わりのボーカルがいるんだよ。あなたの代わりなんていないじゃん。意味わからないよほんとに。ふざけないでほしい。
個人的にリンキンの復活ライブは、マキシマム ザ ホルモンのフランチャイズバンド、コロナナモレモモを彷彿とさせた。
ボーカル以外にも体制が少し違ったようだし、私が知ってるLINKIN PARKとはまるっきり違うバンドのように見えている。
きっとそのうち、新ボーカルや新体制についてのインタビュー記事が沢山出てくるだろう。
それを読むうちに、「あーこんな経緯があったんだな」「葛藤もあったんだな」という感想が芽生え、どんどんと新体制のLINKIN PARKを身近に感じて好きになっていくのだろう。
自分のその姿は明確に見えている。
そのうち好きになるのはわかっている。
しかしその好きは、どこまでいっても「LINKIN PARK」としての好きではなく、「フランチャイズLINKIN PARK」は拭えないと、なんとなく思う。
本当にチェスター・ベニントンは偉大だった。
大好きだった。
寄り添ってくれた。
唯一無二なんてありきたりな言葉では表せられない人だった。
もはやこの思いを表すのに、言葉という道具は不十分すぎる。
思考がぐちゃぐちゃだ。
2017年の8月、とある河原でチェスター追悼イベントを開催した。
ヘッダーの画像が、その時の写真だ。
この時参加していたファンは、今どう思っているのだろう?