
おばサポ日記:逃げ場になれる人でありたい
ファイナンシャルプランナーの吉岡奈美です。
「#8月31日の夜に」のテーマに寄せて。
去年の夏、ニュースで統計データのことや、
「#8月31日の夜に」のことも初めて知りました。
noteすることで、誰かが少しでも楽になってくれたら嬉しいです。
小学校5・6年生の一時期、
いじめられたことがありました。
地元のお寺の子同士の派閥争い??
に巻き込まれた形で。
クラスのみんなが一人の女の子を無視していて、
私は特にイヤでもキライでもないからと
普通に話していたら、
いつの間にか私ひとりだけ
クラスのみんなから無視されていた。
という...。
空気の読めない子だったのでしょう。
今、もし同じような状況になったらどうするか?
と考えてみたけれど、
きっと、また話しかけるのだろうと思うのです。
誰かがどう思うか?よりも、
私がどう思うか?の方が重要だから。
今は、大人になってすこしだけ世渡りが
うまくなったので、
どうして仲たがいしてしまったのか聴いたり、
自分の率直な意思を伝えたりしながら、
どちらとも付き合っていくだろうと思うのです。
ふと、漫画 「宇宙兄弟」シャロン博士の
「迷ったときはね どっちが正しいかなんて考えちゃダメ。『どっちが楽しいか』で決めなさい」
のセリフに出会ったとき、
自分を肯定してもらえたようで
嬉しかったことを思い出しました。
心のキズは消えない
SNSもない時代の
今ならいじめと言われたりしない程度の
コトなのかもしれないけれど、
それでも、
「小学生の頃、いじめられていた」という
記憶が心の重苦しさと一緒に残っています。
もう、あんまり覚えていないし、
親にも相談できたような気がするし、
学校を出て、塾に行けば別の友達もいたし、
案外、気にしていなかったのかな?とも
思ったりするのだけど、
それでも、やっぱり心の重苦しさは甦ります。
とても苦しかったし、悲しかったし、
情けなかったし、そんな自分がイヤでした。
中学・高校は人づきあいが怖くて、
ひっそり過ごしていたのも、
この時のいじめ体験があったからでしょう。
今でも自称、人見知りです。
周りの人にはそう見えないようで、
まったく賛同してもらえないけれど。
辛い気持ち
悲しい気持ち
苦しい気持ち
イヤな気持ち
一度、強く感じてしまったら
消すことは出来ないのかもしれません。
だから、忘れようとか
その気持ちを見ないようにしようとか
しなくていいのだと思うのです。
自分がそういう気持ちを持っていることを
ただ単に「そうなんだ。」と、
受け止めてくれる人を探してください。
私は、伯母として、そんな風に寄り添える
子どもたちの逃げ場でありたいと思うのです。
きっと、同じように接してくれるヒトが
あなたの周りにもいるはずです。