孤児、智子。
『瀾書店』の『瀾』の由来をよく聞かれる。
父の名前は『島田清司 しまだきよじ』
母の名前は『島田蘭子 しまだらんこ』
両親の名前を屋号にしたかった。
その漢字を探したら『瀾』にたどり着いた。
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「狂瀾を既倒に廻らす(きょうらんをきとうにめぐらす)」は、形勢が傾きかけた状態を元の状態に戻すことを意味する慣用句です。
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以上、Google先生のお答えです。
訓読みで『なみ』『なみだつ』と読める らしい
ので、迷わず『瀾書店 なみしょてん』の屋号に決めた。
ひとりっ子でひとり娘。
しかも、両親が39歳の時に産まれた『恥かきっ子』。裕福でもなく、貧乏でもない家庭で甘やかされて育ったひとり娘。
それが私です。
清司は北海道小樽市で生まれ、育ち、若さゆえの何かのきっかけで「こんな寒いところで生きてられるか」と捨て台詞を吐いて家出して、横浜に来たらしい。しかし、破天荒にはなりきれずにきっちりと真面目に働き、そろそろ奥さんが欲しいかもしれない。と、思っていたら、蘭子と出会う。
蘭子が作ったお弁当が驚くほどに美味しかったのと、蘭子もそろそろ結婚したいかも。
と、なり慎ましい家庭を持つ。
そして、智子(私)が産まれた。
『驚くほどに美味しいお弁当』を渡した場所がどうやら、横浜市金沢区富岡らしい。
そして、二人が初めて会った場所は『京急富岡駅』のホームだったらしい。
そんな二人のひとり娘は結婚をする気にもなれず、若い頃は常に苦しく毎日を苛立つ日々を過ごす。自ら死のうと何度も思い、何度か実行するも、死に切れずに46歳になった。
そして、清司は天命を全うした。
死ぬ前日に夢に父が出てきた。
病院にいるはずの父が、歩くこともままならない父がスタスタと歩いて玄関でお気に入りのNIKEのスニーカーをスッと履いて「俺、行くからな!」と捨て台詞を吐いて家から出て行った。
あの日の感情を一生忘れない。
「心が凪のよう」だった。ぼんやりと「あー、お父さん、死ぬんだな」と思った。いつも苛立っていたが、心は落ち着いていた。「あー、これが凪かー」 翌朝、清司は亡くなった。
悔いる事は一つ。孫の一人でも抱かせてあげたかった。ではなく、最後一緒に居られなかった事だ。コロナ禍の終わりが見えかけた頃だったが、患者との面会は禁止で、父と最後に会えた時間は死ぬ三日前の十分間のみ。
しかも、父はせん妄の症状が強かったのでまともな話しは出来なかった。
父に「私は一人でも大丈夫だから!」と伝えられなかった事が一番の後悔だ。
母も天命を全うする歳なので、近い将来、私は一人になる。
『孤児 みなしご』になるが、私は『瀾書店』を作った。
大好きな本に囲まれて、清司と蘭子が出会った場所で過ごしている。
もうすぐ、清司が亡くなって三年目を迎える。
『瀾書店』は私が作ったが、清司が真面目に働いて残してくれたお金で作ったので、清司と蘭子の本屋でもある。
清司、安心してください。
あなたのひとり娘は「あー、もう早く死にたい」とは、今は考える事すら無くなりましたよ。
皆さま、良いクリスマス&良いお年を。
追記:『孤児 みなしご』は未成年をさすが、私は両親の子供なので『孤児』と表現しました。
おばさんなお年頃ですが。(2024年12月24日)