賢者のセックス / 序章 / 彼女がセックスについてのファンタジー小説を書いていた六ヶ月の間に僕が体験したこと
あらすじ
「僕」はアニメやマンガが好きな青年。去年の五月から中学校の先輩のソラと同棲をしているが、恋人同士というわけではなく、セックスフレンド兼愚痴聞き役というような立場だ。
ある日、僕は性交の直後のいわゆる「賢者タイム」に、性交中にどこかの風景が見えるという話をする。それを聞いたソラは、小説の新人賞に自分が応募する小説の素材として、それを使わせて欲しいと言い出す。
最初は冗談だと思っていた僕だったが、ソラが熱弁をふるった結果、小説執筆に協力することになる。こうして始まった不思議な性生活を通して僕はソラに恋心を抱くようになるが……
序章
"So now faith, hope, and love abide, these three; but the greatest of these is love." -1 Corinthians Chapter 13:13, ESV.
風が吹いている。
風は緑の丘を登る僕たちの周りで一瞬だけ渦をまき、またどこかへと去ってゆく。
丘の上の方には敷き詰められた白い石が見えている。
僕の少しだけ先を歩いてた彼女が歓声を上げる。
「ここだよ、ここ。この目のところでルブリンは殺されたの」
「ルブリンって誰?」
「サトクリフの『ケルトの白馬』の主人公」
この小さな丘の上にたどり着くまでに、僕たちは何度、こんな会話を交わしただろうか。僕は返事をするかわりに右手をそっと伸ばし、バランスを崩して転びそうになった彼女の左腕を掴んだ。すぐに彼女の左手が僕の右腕を掴む。
彼女が笑っている。僕も一緒になって笑う。
笑っている二人の周りを次の風が通り過ぎる。
彼女の細い細い髪が、揺れている。
彼女の細い細い髪を、イングランドの風が揺らしている。
東京のマンションの一室から始まった二人の旅は、二年という年月と幾つかの涙を越えて、僕たちをイングランドの緑の丘の上へと連れてきた。でも、僕たちの旅はこれで終わりじゃない。それはいつまでも続くはずだ。
おとぎ話のように。
一つの小さなファンタジーのように。
それは、そう、こんな言葉から始まった。
「どうかな? 何か見えた?」
ソラちゃんが尋ねる。
何かが見えてきたような気はする。それが何なのかは、よくわからない。緑色の斜面。階段。手すり。柵?
だから、正直にそのように答える。
「そうか。じゃあちょっと強さを変えてみるね」
そう囁いて、ソラちゃんは左の手のひらに少し力を込めた。
「あ、見えなくなった」
「え? そうなの? 強さがいけないのかなあ。それとも早さ? 場所?」
「どうだろう。強さ……だと思うけど」
すぐにソラちゃんの手が緩められる。女の人の手で触ってもらうのは、やはり気持ち良いなと思う。しばらくして、再び緑色の斜面のようなものが見えてきた。
ソラちゃんが耳元で囁く。
「見える?」
「うん……どこかの斜面。草が生えている。上の方には木もあるかな。それから階段が見える。階段には手すり……茶色の手すり」
「それから?」
ソラちゃんの髪の毛が耳にかかってくすぐったい。それが引き金になってしまったのだろうか。僕の脳裏に映し出されていた斜面の映像は消えた。下半身が性的快感で一気に満たされる。
「ごめん。もう……無理」
「あ、ちょっと待って」
ソラちゃんが慌てて僕のものから手を離す。でも、遅かった。僕は腰を天に向かって突き上げる。
「あっ……ああ……んんっ!」
予定よりもかなり早く出してしまった。温かい液体が僕の身体を点々と汚した。
「……手遅れだったか。いっぱい出ちゃったね」
ソラちゃんの指先がスッと僕のものの先を撫でて、残っていた精液をすくい取る。
カーテンの隙間から漏れてくるかすかな光の中で、ソラちゃんが笑っているのが見えた。それが苦笑なのか単に面白がっているだけなのかは、よくわからなかった。何だか申し訳ないような気持ちになる。今日の計画では、あと二ヶ所を回ることになっていたからだ。
二ヶ所を回るというか、二ヶ所が回ってくるというか。
回ってくるのはソラちゃんの右手と、ソラちゃんの舌先。
巡回先は全て同じ。僕の股間にあるもの。
でも、とにかくこれでデータを一つは取ることが出来た。それは収穫と言える。最初の一歩だ。僕たちの調査の第一歩。
僕は、大きく息を吐いた。果たして間に合うのだろうか。締め切りは六月三〇日。
当日消印有効。窓の外からは雨音。
冬の雨の音。
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