家族ってなに? vol.28 〜高校時代のいじめ〜

祖父母の言葉と両親の心配をとことん無視して韓国2週間の短期を終え日本に帰ってきた。

帰ってからは、バイトと学校、独学で韓国語の勉強を始めた。
この頃は自分の学歴に本当にコンプレックしかなかった。
だから「語学」という武器を身に付けたくてしょうがなかった。

その頃の私は勉強は嫌いではなかったが、学校は嫌いだった。
幼稚園の頃から集団行動が嫌いで、中学になると学校という社会が嫌いで、その空気が嫌いで、高校ではその影響とたった5人のクラスで私はいじめに遭い学校にいくのがさらに苦痛になったでも、不登校になるのが負けたと思われるのが嫌で通った。
(これがいじめと言えるのかは正直わからない。でも、私はいじめだと思った。
そして、この頃の記憶は辛すぎたせいかあまり覚えていない)

このいじめに発展したきっかけは本当にくだらない事だった。
新しく入った生徒(A子)がクラスのリーダー格 (B実)である子に気に入られる為に私がその子の悪口を言っていたと言いふらしていたそうだ。

それをきっかけにそのリーダー格の子は無視を始めその空気を読み取った周りはそれに従うのみ。
先生も気付き仲裁に入ろうとしたが、B実は「嘘だって知ってるよ」と先生に言いつつ態度は変わらなかった。

先生から直接話したほうがいいと言われB実に「私は言っていない」と話したがそれも、「嘘だって知ってるよ」と言い流された。態度はその後も変わらず。

いじめの発端を作ったA子は、先生たちが関与し始めたことを知り、居ずらくなったのかそそくさと在宅学習コースに変更し会う事は無くなった。
A子がクラスからいなくなっても、一度壊れたクラスの雰囲気は変わることはなかった。

そして、数ヶ月後さらに2人の転校生がきた。
1人目のC奈は人に流されやすく、影響されやすい性格。
2人目のD夏は田舎のヤンキーギャル。自己中心的で自分のやることを人にも強要する。

そんな二人はいつも2人で行動しC奈はどんどんD夏に影響されギャルと化し、一緒に男遊びもするようになっていった。

そんな2人が来たことでB実は最初警戒していた。
だが、なぜか転校生の2人はクラスの中心的存在であるB実に取り入ろうと必死だった。

私は、そんなことをしているクラスの光景をひたすら傍観していた。
この頃にはクラスで浮く存在になっていたのでしゃべることもなかった。
陰口を聞こえるように言われるに言われることも毎日。
本人たちはいじめている感覚もなかったのだと思う。

先生もあの一件があって以降、腫れ物を扱うような態度になった。
クラスでさらにひどい状況になってももう、何にもしなかった。
私も先生にはもう何にも期待しなかった。
「あー先生ってどこいっても一緒。自分の評価しか気にならんのか」
「あなたのこと一応気にしてるよオーラがひたすら感じられた」

クラスにも居場所がなく、先生にも失望していたが学校に行くことだけはやめなかった。
学校に行くのをやめた瞬間負けたって思われるのが嫌だったから。



毎朝吐き気が出るくらい辛かった。
毎朝胃腸の痛みに襲われた。
毎朝今日どんな顔して過ごすか考えていた。
毎朝泣くのを我慢して学校に行った。
毎朝早退する理由を考えていった。

でも、大学に行く事を決めたから推薦をもらいたくていった。

ある日までは。。。。。



文化祭が迫っていた秋頃
高校最後の文化祭ということでクラスは浮足だっていた。
でも、私は参加する気がなかった。
文化祭の参加は希望制であったが建前で参加する程にしていた。

クラスの出し物は「メイド服でももクロを踊る」ことになった。
私はそのノリが嫌いだった。
メイド服もいやだった。
着たくもない衣装に貴重なバイト代4000円を出したくなかった。
何よりも、建前で仲良しに見せてニコニコ合わせることが無理だということが容易く想像できた。
空気のような存在で扱われていおり、なんら煙たがれていた存在。

だから、準備でも何にも言わずただ時間が過ぎるのを待っていた。

当日は少し行ったが、途中で早退した。
(正直この日の記憶が曖昧だ、精神的にしんどかった日で)

クラスメイトと顔も合わせず。踊らず。


次の週学校に行った瞬間に
D実は文化祭に来なかった私にブチギレた。
そのブチギレを本人(私)に伝えるのではなく大声で先生に愚痴り倒していた。
その声は私にも聞こえた

「よく学校に来れたな」

この言葉、行動にクラスは黙って賛同していた。

私は、来る来ないは自分の自由であると思った。
それを強制される必要はないと考えていた。
なんで、仲良くもなく、やりたくもない思い出作りに無理して付き合う必要があるないと考えていた。

そしてこの日は1時間目から最悪の空気で始まり。
ひたすら感じるD実からの睨む視線とプレッシャー。そのプレッシャーに先生もたじろぐ。

そして、この日早退した。
早退したのをきっかけに、このクラスに戻ることはその先なかった。


単位も取得し、推薦も貰い、大学も決まったので学校に行く必要がなかった。
でも、先生からは「学校に来い」という連絡が来た。
なので私は言った「あの状況で行けると思ってるんですか?今まで何にもやって来なかったじゃないですか。単位も全てとってるので2度と学校に行くことはありません」


学校という小さい世界で生きるということは本当に無理だった。
自分を見失い、自分の意見も言えず生きていたこと、建前ばかりで周りの顔色を伺い空気として生きていたこの頃本当に未熟だった。





実は、そんな最悪な生活の中でも唯一心を許せる友人がクラスに一人いた。
その子はE代

その子は、唯一なんでも話せて自然体でいれた。
でも、B実との一件時はB実との仲を取り持とうとしていた時期もあった。

でもC奈とD夏が来て状況がさらに悪化していくと、クラスで話すことも無くなった。
自分の立場を気にし字はなれていったのだ。
小さな世界で生きているからしょうがない。
自分のことしか考えられない歳だからだしょうがない。

と、私も解釈しE代との関係も切れた。
卒業を控えたある日E代から「会って話がしたいと言われた」
断る理由もなかったので会って話すことにした。


E代から言われたのは
「裏切るような行為をしてごめん。助けられなくてごめん。友達に戻りたい。許してほしい」という言葉だった。

言葉を失った。
そんなことどの口が言ってんだとしか思えなかった。

だから私の答えは
「あなたとは友達に戻れない」
「今更そんな調子のいいこと言われても困る。自分を守ために行った行動は私を裏切った行動それをきちんと自覚してほしい。そんな行動を私以外に2度としないで」


そんな高校時代は
いじめが始まった時期と同じ時期くらいから家族と話すことも無くなった。

理由は
話し合いができない家族、自分の状況を心配しようともせず仕事に明け暮れる家族に対する不信感が頂点に達し、話すことを諦めた。




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