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金村美玖さんから考えるサトミツさんとオノグチさんのラジオの違い

直近の「余計な事までやりましょう」の金村さん回(以下、ミクティー回)で、日向坂のラジオを担当してるサトミツさんとオノグチさんの話が多く出ました。その話を受けて自分なりにぼやっと思ったお二人の違いについて妄想を書いた記事です。どっちの方がより優れている、という話しではありません。

以下の2件が当該の回になります。

おのぐちさんのスタイル:先導的(ガイド)

特徴

「ほっとひといき」も「余計な事まで」もそうですが、リスナーからメールを募集するコーナーが主体になっており、かつそのコーナーも種類に富んでいて、ふつおたも読まない完全なフリートークは少ないです。
先述の余計な事まで #138 でミクティー本人も言ってますが、オノグチさんはパーソナリティのどの部分に面白みがあるのかがリスナーにも分かりやすいようにフォーカスし、何ならデフォルメされるようなコミュニケーションを取りますし、色んなコーナーを仕掛けてパーソナリティのいろんな側面を引き出そうとしているように感じます。
つまるところ積極的にパーソナリティを先導(ガイド)するスタイルだなと思います。「こんなんどう?」「あんなんどう?」「これしたらより魅力が出そう」「あなたってここが魅力だと思う」ということをどんどん放り込んでいるような感じですね。

先導(ガイド)スタイルのイメージ

よく見られるコミュニケーション

このスタイルの構造的に、ガイドの価値観や解釈が表に出やすいと思います。「それはこうでしょ」「それはああでしょ」みたいなシーンですね。それらがパーソナリティに投げかけられることで、よりパーソナリティ自身の価値観が縁取られ、ハッキリする面があると思います。

良さ

このスタイルがいいなと思うのは、「どんな人でも一定のクオリティには到達しやすく、大外ししにくい」ところです。どんなにラジオに慣れてなくても、そもそもラジオ以前に総合的に演者としての経験値が少なくて、パーソナリティ自身が自分の魅力や特徴の出し方・料理の仕方を分かってなかったとしても、積極的なガイドによってそのやり方に気づいていける良さがあります。ミクティーが #138 で「私ってこういう人なんだ、というのがみんなに伝わった」と言ってるのがまさに典型的な例で、オノグチさんのガイドによってミクティーの説明書が出来上がっていったっていうことだと思います。

難しさ

一方でこちらのスタイルには、「局所最適に陥る可能性がある」という面はあると思います。いわゆる「上ブレ」の可能性が減る、ということですね。

巷の企業でいうと、上司がマイクロマネジメント気味な場合、たしかに一定のレベルまで部下が育つのは早いかもしれませんが、「上司のレベルを部下(チーム)が超えない問題」が出てきます。

その構造と似てる部分はある気がしていて、もしパーソナリティがガイドやその他の経験を経て変化し、自走できる力が大きく備わった時、逆にガイドが将来の可能性を狭める場合も出てくると思います。

先導(ガイド)スタイルの限界のイメージ

サトミツさんのスタイル:伴走的(サポート)

特徴

サトミツさんは余計な事まで #136 で話をされているように、本人のやりたいことを尊重し、そのためによく対話をし、あまり台本を書かずに任せるスタイルだと思います。「日向坂高校放送部」のこのちゃんも「サリマカシーラジオ」のなっちょもトークパートが長いですし、コーナーも色んなものをチャレンジするというよりは固定で、「マ・このか」以外はパーソナリティから自然にイメージしやすい内容だとも思います。

サトミツさんご本人も #136 で語られていますが、パーソナリティ本人のやりたいことを第一にしたいため、気を使わず意見を言ってもらえるよう「ちゃんと信頼される、ということをじわじわやらないといけない」と、アイドルラジオの難しさを述べています。だからこそ、わざわざパーソナリティの有料サービスを購読したり、好きなものを調べてコーヒー豆を差し入れしたりと、色んな手を尽くして「ラポール」を構築しようとしてるんだなと思います。

パーソナリティに対して余計なアクセルも踏ませず、余計なブレーキも踏ませず、とはいえ何かあればいつでも相談に乗るし、必要なら壁打ち役にもなれるようラポールを築いておくという、「パーソナリティ自身が自分で魅力を出そうとする動きに伴走する」のがサトミツさんのスタイルなんだと感じます。あくまで先を走るのはパーソナリティで、それをサポートするイメージですね。

伴走(サポート)スタイルのイメージ

よくみられるコミュニケーション

このスタイルの構造的に、ガイドの価値観や解釈は表には出づらいと思います。なのでよく見られるのは、パーソナリティに対し肯定するシーンですね。あくまで先を行くのはパーソナリティなので、「それいいじゃん」「やってみなよ」が基本になるんだと思います。ベランダのウクレレに対する肯定が象徴的なシーンですね。
また、パーソナリティ自身が進んでいる方向に迷いがあったとしても、進めていること自体に着目し、「そのままでいいんじゃない」というスタンスを取っているなぁとも感じます。

良さ

このスタイルがいいなと思うのは、「パーソナリティが自走できる場合、魅力が溢れ出るラジオになる」というところです。いわゆる「上ブレ」が期待される感じですね。素材に余計な手を加えずそのままリスナーに味わってもらえるスタイルなので、パーソナリティ自身から魅力がダダ漏れで何もしない方が逆に良さそうなら、このスタイルが一番合うと思います。オードリーなんてまさにそうなんだろうなぁという感じですね。

難しさ

こちらのスタイルで考えられることは、「パーソナリティが自走できない場合にクオリティが出ない」、つまり「下ブレのおそれがある」ことかなと思います。要は「人を選ぶ」だろうなということです。

あくまで先を走るのはパーソナリティなので、走る力が弱かったり、方向を決める力が弱かったりすると、途端に大変なことになります。走る力、決める力を付けるには時間がかかります。その間ずっと伴走スタイルだと、光を見失ってパーソナリティ自身が疲弊する可能性はあると思います。

大学の研究室などもそうですが、教授に厳しく指導され研究テーマも設定される研究室だと、指導自体はキツイですがやることは決まるので、目指す方向自体に苦心することはなくなります。
一方、放牧的で学生の自主性に任せる研究室だと、もちろん指導自体は優しいです。が、研究頭になっていないと方向自体を決めることもかなり難しいので、決めることに慣れていたり好きだったりしないと、どうしていいか分からず路頭に迷うこともままあります。それと同じような構造があるように思います。

また、あくまでパーソナリティが先を走るということは、「一定の自走はできるけどまだちょっと弱い」という、「走ってる方向とかペースってこれであってんのか?」と悩む時、その産みの苦しみにはパーソナリティ自身が向き合って解決していくことが基本になるので、これを楽しめない人も大変だと思います。いわゆる「サトミツさんをうまく使う」ということが出来れば一緒に解決していけるんですが、そこまでの図太さを持てるかどうかが一つの試練でしょうか。

こんな感じでパーソナリティの力量にかなり依存し、「ガイドすればもっと魅力が出そうだが、そうしないゆえに魅力が出ない・出しきれない」という可能性も裏腹に秘めたスタイルだなぁ思います。

伴走(サポート)スタイルの限界のイメージ

複数スタイルを試してほしいお気持ち

どっちのスタイルも良し悪しはあるので、あとはパーソナリティに合ってるかどうかが結局は大事だと思います。

人(メンバー)は必ず経時的に変化していきますが、本質的に変わらない部分もあると思います。なので、「前はこっちのスタイルがよかったけど今はあっちのスタイルのほうが合っている」という状況も、「ずっと片方のスタイルのほうが合っている」という状況も、どちらも考えられます。なんなら、「こっちのスタイルのほうが合ってると思ってたけどあっちのスタイルをやってみたらかなり良かった」、みたいなことも起こり得ます。

ということを考えると、「どっちもやってみたほうがええんでない?」という気持ちに、自分はなります。とはいえ作家さん/ディレクターさんを完全に行って来いするとかはなかなか難しいとは思うので、「オノグチさんスタイルにサトミツさんぽさを、サトミツさんスタイルにオノグチさんぽさを」、なんとか散りばめられないかなぁと思ったりするわけです。

するとちょうど最近、「余計な事まで」の #137 でミクティーがトークメイン回をやってみたいと言ってたことが #138 で実現されました。また、このラジでいうと「マ・このか」はかなり特色があって、普段のこのちゃんならやらないような事にもチャレンジできる場だなぁと感じるので、この辺りが新しい刺激になるんじゃないかとちょっと期待してたりはします。「マ・このか」は、願わくばチェ・ひろし(関口)さんが固定でついて頻度がもっと上がると面白そうだなとは思ってますが、そう簡単じゃないでしょうから僕らリスナーが頭捻って頑張っていきたいところですね。

まとめ

オノグチさんの先導スタイルはどんな人でも一定の結果が出せる形だと思いますし、サトミツさんのスタイルはフィットすると大きくハネる余地がある形だと思います。叶うならばパーソナリティはどちらのスタイルも経験した上で、よりパーソナリティの魅力が出る形に変化していくのも面白いんじゃないかなぁ、という妄想でした。


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