4回目のひな誕祭:いつの間にか「小説」はなのちゃんのエピソードにもなってたんだなぁ
4回目のひな誕祭を配信で見ました。
周年っぽさ、お祭りっぽさを大いに感じたライブでとても楽しかったです。
振り返ると、個人的に今回のライブは「成長」のイメージが強かったなぁと感じます。 1ヶ月半で見せた4期生の伸び、ゴーフルでの3期生の堂々とした振る舞いなどからそれらを感じたわけですが、何よりひなくり2019以来、3年ちょっとぶりひなくり2020ぶりに披露された「一番好きだとみんなに言っていた小説のタイトルを思い出せない」(以下、「小説」)のインパクトが強烈でした(ずっと2019以来だと思ってましたが違った!)。何が強烈だったのかを整理したのがこの記事です。ざっくり言うとタイトルの通り、「小説」はなのちゃんにとっての「アイドル人生のエピソードトーク」であり、3期生全員で表現することに蓋然性がある曲になったんだな、ということです。
ひなくり2019の「小説」
前回の披露はひなくり2020ですが、最初の頃からの変化を見るためにひなくり2019を振り返ろうと思います。
2019年12月当時になのちゃんが「小説」を披露したとき、技術的にも精神的にもまだまだ成熟してなくて、「なんとかやり遂げた」という状態だったと思います。声は震えてるしダンスも余裕がなく、とにかく必死そうに見えて、こちらはハラハラしつつ「がんばれ〜!!」と心のなかで叫んでいたのを思い出します。
表情も基本的には一定で、当時のなのちゃんの普段の表情っぽい、どこか影のあるような感じでした。その時は「曲の内容的にもこんな感じだよな〜」くらいに思っていましたし、実際、MVの表情・表現とほぼ同じような感じだったと思います。
4回目のひな誕祭(2023)の「小説」
ところが今回の「小説」は、歌唱やダンスなどの驚異的な技術向上だけではない違いがありました。なのちゃんの表情に、何かが吹っ切れたような、どこか清々しいものがあったんです。優しく柔らかい笑顔も多く見せ、ひなくり2019やMVのそれとは全く違うものになっています。
中でも印象深いのは、以下のポエトリーリーディングの表現でした。
「頭で勝手に作り上げた理想の自分なんてうたかたのように存在しえなかったんだ」と語るこの一節を、なのちゃんはまるで昔を懐古するかのように朗々と語り、けろっとしたような笑顔で「どこにもなかった」と言ってのけます。
そして、3期生の"友達"全員が揃ったメインステージで、最後まで本当に楽しそうに笑顔で歌い切ります。
そんなMVともひなくり2019とも全く異なる様相になったパフォーマンスをあとからよくよく考えると、「そうかこの曲、上村ひなのが加入してからこれまでのことを、まるで予期していたかのような曲になってるやん!!!」と気づき、非常に衝撃を受けたわけです。
つまりどういうこと?
"小説"を夢見たアイドル史
「小説」はこちらの歌詞のとおり、「思い描く理想やあるべき姿(="小説")が、自分の本質には無く似合うものでないことがある。それに気づかないフリをしつづけていたけど、最後にはハッキリとそれを受け入れる」ようなニュアンスがあると思います。そしてなのちゃんは加入してからこれまで、まさにその"小説"を何度も思い描いてきた歴史があります。
たとえば2021年5月7日放送分の「ひなあい」や2022年8月27日放送分の「このラジ」、あるいはテレビブロスウェブのインタビュー記事などで、以下のことを述べています。
加入当初は王道アイドル然とした振る舞いをしなければならないと思っていたこと
クールなイメージを付けたくて、ずっと真顔でいようとしていたこと
他の3期が後から加入した当初、加入間隔が2期生と同じくらい(1年3ヶ月)離れていることやある種のプライドから、同期といえど先輩らしさが求められるのではないかと考えていたこと
そしてそんな"小説"によって自分らしい振る舞いができず苦労もしていたわけです。
「小説」は「アイドル人生のエピソードトーク」
以前に以下の記事でも書いたのですが、なのちゃんの歴史はそういった"小説"に囚われた自分の姿勢を客観視し、軌道修正してきた歴史でもあります。
たとえ"小説"に囚われても、内省によってそれが幻想であることを受け入れ、打ち消し、自分の本質に目を向けることを繰り返してきたなのちゃん。ここがまさに、「小説」がなのちゃんのこれまでのアイドル史そのもののように感じられる由縁です。
そうなると、ひなくり2019と4回目のひな誕祭とで、その表現が全く異なることにもうなずけます。
2019年当時のなのちゃんは、まだ自分の本質にフタをして"小説"を追いかけている最中で、それが"小説"でしかないことをまだ完全には受け入れきれていない状態だったと思います。
しかし、2023年は違います。これまでに何度も"小説"を追いかけ、それが幻想であることを受け入れ、かき消し、自分の本質で表現ができるようになってきたなのちゃんにとって、「小説」はまさに過去の自分そのもの。そんな「小説」を今のなのちゃんが表現する際、
「いやぁ〜、実は私、昔はこうだったんですよ〜」
という形になっても何ら不思議じゃないと思うんです。さながら「これまでの人生で失敗したなーと思うこと」みたいなトークテーマでエピソードを話す時のような、そんな雰囲気ですね。
そんなときって、口調や表情はどうなるでしょうか?きっと難しいしかめっ面で落ち込んだような低い声ではなく、柔らかく、やや照れも混じったような、暖かく優しい声と表情になりそうですよね。ともすれば、
「いやぁ〜、実は私、昔はこうだったんですよ〜、アハハ」
みたいなニュアンスがより近いかもしれません。そしてこのニュアンスが、まさに4回目のひな誕祭で表現したなのちゃんの「小説」のニュアンスそのものだったように見えたんですよね。
先に述べた以下のポエトリーリーディングの最後でなのちゃんは、さながら「テヘッ」とでもいうようなお茶目なニュアンスで「そんな小説はどこにもなかった」と語ります。
そこには「そんな"小説"なんて追いかけちゃって、私ってバカでしたよね、アハハ」と、過去の自分を笑って振り返るような清々しさがあるわけですが、それもこれまで"小説"を追いかけ内省を繰り返してきたなのちゃんだからこそ、その表現に説得力があるなと思います。
このように、2019年ともMVとも全く違う「小説」の表現になり得たのは(違和感がないのは)、なのちゃんのアイドル史と非常に重なり合う「小説」だからこそだなと感じました。
「小説」は2019年10月発売の「こん好き」のカップリングであり、制作期間を考えるとそれより数ヶ月前から作られていたわけで、なのちゃんの加入(2018年11月10日)から1年未満、下手すると10ヶ月も満たない時期に作られています。そんな時期にこの歌がソロ曲としてなのちゃんに割り当てられ、3年が経過した時には「アイドル上村ひなの」の歴史そのもののようになっている。先見の明なのか、はたまた数奇な運命なのか分かりませんが、いずれにせよ事実は小説より奇なりだなぁと思います。
"友達"が「小説」のパフォーマンスに加わる蓋然性
4回目のひな誕祭の「小説」が従来と大きく異なっていたもう一つのポイント、それは「他の3期生がダンスパフォーマンスで参加したこと」だと思います。「小説」はソロ曲なので、ともすれば他のメンバーは参加しないほうがいいように思える節もあるかもしれません。しかし、今この曲の表現を完成させるには、1期生でも2期生でもなく、さらには4期生でもない、3期生全員が必要で、単なるバックダンサーでも無い(3期じゃないとダメである)ように感じました。
「小説」はなのちゃんのアイドル人生のエピソードトークであるということを先に述べました。そんななのちゃんのこれまでのアイドル史を語るにあたって欠かせない期間があります。2021年の終盤からの1年ほどの期間です。ちょうど全国おひさま化計画の頃から7-8枚目の期間にかけてですね。
どう欠かせなかいのかというと、この期間のなのちゃんの変貌ぶりがスゴかったからです。何かしらの殻を破ったかのように、本当に楽しそうに伸び伸びと活動しているなと感じるシーンが明らかに増えました。かとしから「ぷりっぷり」という表現が飛び出るほどに、なのちゃんしか成し得ない充実した表現ができるようになり、一つの「上村ひなのの完成形」が出来上がった期間だったように思います。
これが何によってもたらされたかというと、新加入の3期生の影響が非常に大きかったようです。
なのちゃんが「同期」ではなく「友達」と呼んでいるように、今ではとにかくめちゃくちゃ仲が良く、いつも一緒にいる4人。はじめは接し方を迷っていた3人とそうなれた大きなきっかけが、「このラジ」でも語られているように全国おひさま化計画のツアーで一緒に過ごす時間が長くなったことでした。時を同じくして、外から見ていても明らかに変化を感じるようになっていったなのちゃん。このことは、同期3人がなのちゃんの本質と魅力を引き出せるだけ引き出して、なのちゃんを「完成させた」ことを示唆していると思います。するとやはり、なのちゃんのアイドル史を語る上で3期生は非常に重要なピースになります。
4回目のひな誕祭の「小説」の演出では、最初はメインステージになのちゃん1人が登場し、その後なのちゃんはセンターステージに移動、他の3人も続いて登場し花道でパフォーマンスするという構図でした(配信で見るかぎりこんな感じに見えましたが、現地で見ていると少し違うかもしれません)。
そして終盤、まるで3人に導かれるように縦一列に並び、その最後尾でセンターステージからメインステージへ歩いて移動する途中、なのちゃんは一度立ち止まってセンターステージ方向へ少しの刹那振り返ったあと、3人が待つメインステージへ、今度は一人走って向かい、合流します。
ここでポイントになると思うのは、合流する直前の以下の歌詞です。
今まで頭で描いてきた"小説"は、そんなに好きな生き方ではないと気づいています。じゃあなのちゃんは、何が「好きな生き方」だと気づいたのでしょうか?
この歌詞の最後、「好きじゃないだけ」を歌い上げると同時に、4人が初めて横一列に揃いパフォーマンスをします。
同じ3期生4人全員で、
同じセンターステージで、
同じ方向を向き、
同じダンスで、
同じ瞬間を過ごす。
それはまるで、「一人だけ先輩のように振る舞う生き方」ではなく、「なのちゃんの懐に入り込み、最後の殻をひっぺがし、その本質をさらけ出させた3期生の3人と、足並みをそろえて共に過ごす生き方」こそが、なのちゃんにとって「一番好きな生き方」であると気づいたんだと表現されているように個人的には見えました。
最初はたった一人の3期生として加入し、その後に3人が遅れて加入しました。接し方に戸惑いを覚えるなのちゃんを導くように懐に飛び込み続けた3人。そんな3人と触れ合っていくうちに、幻想の"小説"を振り払い、今度は3人の懐に自ら飛び込むことができるようになり、今の「上村ひなの」が完成する。そんななのちゃんと3人の時系列のすべてが今回の「小説」の表現には含まれていたように思えて、かつその表現であればやはり3期生全員が必要になるとも思います
このような意図を持って演出されていたのかどうかは分かりません。というか、多分そうじゃないだろうなぁとは思います。しかし、そんな解釈も生まれる余地があるという点で3期生全員でのパフォーマンスには蓋然性がありますし、3期生4人のストーリーって本当に面白いなぁと思います。「加入時期の違い」や「極端に少ない4人」という他の期にはない特殊性があるからこそ生まれる独特の絆が、1年後にはどう表現されるのでしょうか。
楽しみなこれからのサンキさん
2023年3月25日のSHOWROOMで、かとしがまりもとに対し、
「イッキさん、ニッキさんに続いて、今後はサンキさんが中心になってやっていく時が来る」という旨の話をしていました。
確かにそうだよなぁと納得しつつ、個人的にはそんな未来も少しこのひな誕祭で見えたような気もしています。
現状はなのちゃんが軸になっている事実はあるでしょうが、バラエティにおいてどんどん力を発揮できるようになってきている「まりもと」、今回のパフォーマンスを見ても明らかに力や自信がついてきていて、ひなあいでの振る舞いの変化も感じる「みくにん」、野球を軸にしつつのびらじレギュラーに抜擢されるなどチャンスが巡ってきている「ぱる」と、みんな今は高く跳び上がるためのバネを溜めているような、そんなフェーズに感じます。
おぼろげながらに、「次の一年がかなり大事そうだなぁ、それ次第では5回目のひな誕祭、こちらから見える景色がぜんぜん違うだろうなぁ」というようなことを感じつつ、どんな変化がこれからあるのか、今からとても楽しみです。
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