多様性とは
最近「多様性を認めよう」という動きが活発になっている。私はこの押し付けられたモラルが大嫌いである(考え方は別にいい)。「多様性を認める」ということは「多様性を認めない」という多様性も包括すべきではないのか? だが真の多様性への理解とは「多様性を認めない多様性も認める」ということも含蓄されるべきなのてはないか? うーん、わからなくなってきたぞ。
そもそもモラルなんてものは全ての人類が賢かったら必要のないものだ。他者を尊重する能力があれば、押し付けがましいモラルは不要である。バカのために作られた規範、それがモラルだ。
それに、モラルなんてものは百年、いや十年変われば変化していく。極端な例を述べると、戦時中は敵を殺せば褒められ、お国のために死ぬことが美徳とされた。それから百年経ち、モラルはどう変わっていったか。
モラルが嫌いな訳ではない。押し付けがましいモラルが嫌いなのだ。自分で善悪・好悪を選ぶ権利はあっていい筈だ。
ポリコレ思想・モラリストの友人と話していると時折この衝突が起こり、不愉快な思いをする。人のためのモラルではないのか。モラルの押し付けによって不快な思いをする人間は無視するのか。土台無理な話なのだ。
私は私の信じるモラルを支持する。考える自由くらいあったっていいだろ?