『恐怖の作法―ホラー映画の技術―』感想文
小中千昭『恐怖の作法―ホラー映画の技術―』(河出書房新社、2016年)を読んだ。かの有名な「小中理論」が目当てであった。
小中千昭は日本の脚本家で1988年の『邪願霊』でデビュー後、『学校の怪談』シリーズや『ほんとにあった怖い話』などのホラー脚本を手掛けている。初期のホラービデオの他にも『serial experiments lain』『神霊狩/GHOST HOUND』といった哲学色の強いSFアニメや「ウルトラシリーズ」などの特撮作品の脚本も手がけている。
私が小中千昭を知ったきっかけはアニメの『serial experiments lain』だった。そのホラー表現や薄暗いストーリー展開にハマり、同じスタッフで作られているらしいということで『神霊狩/GHOST HOUND』を視聴してやっぱりハマった。そして小中千昭という名前を覚えると前から好きだったアニメ『怪~ayakashi~』や『モノノ怪』シリーズにも名前があるということに気が付き、そこから小中千昭を追って『TEXHNOLYZE』『邪願霊』『インスマスを覆う影』などを視聴した。『神霊狩/GHOST HOUND』や『怪~ayakashi~』の脚本・演出には知識欲をかきたてられたし、『邪願霊』は、よく言われているようにのちのJホラーで発展していくじっとりした恐怖表現が楽しめた。
そんなわけで小中千昭作品のファンとなったからには彼の名前が冠せられているホラー理論について知りたいと思ったのだ。
「小中理論」というのは彼のホラー映画・ドラマにおける脚本や演出のテクニックをまとめたもので監督の黒沢清や脚本家の高橋洋が命名したものだ。本書では2003年に文章化された「小中理論」と2014年時点で元の理論にいくつか追加された「小中理論2.0」を読むことができる。
問題の「小中理論」だが、ホラー映画の恐怖表現テクニックについてまとめたものと聞いていたが予想以上に脚本寄りの心得集だなという印象だった。特に印象に残ったのは観客を怖がらせるには登場人物が感じている恐怖を伝播させるのだ、という主張だった。そのため登場人物が恐怖を感じた結果とるリアクションをどうするかが肝要になるという。
アメリカの哲学者・美学者のノエル・キャロルも『ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス』(フィルムアート社、2022年)の中で同じようなことを述べている。ノエル・キャロルはアメリカ人なので当然アメリカのホラー作品が主な考察対象であり、主な恐怖表象はモンスターとなる。キャロルの論はもっと厳密な論理で組み立てられているがざっくり言うと、ホラー作品の登場人物はモンスターと対峙したとき不安や嫌悪感といったネガティブな感情をあらわにし、その登場人物の感情反応を読者や観客も共有することになるというものだ。
ホラーを作っている脚本家や美学研究者が同じことを言っているということはこの主張はホラー作品を作る上での肝になる部分なのだろう。私も趣味でホラー小説を書くが自分が怖いと感じるかどうかが主軸になっているため、この主張にはハッとさせられた。しかし言うは易しだが実際に恐怖が伝播するようなリアクションを表現するというのは難しい。安直に悲鳴をあげさせたくなるところだが小中千昭的にはそんなのは全然ダメということだ。
本書は三部構成になっており「小中理論」だけでなく小中千昭の脚本論や氏によるホラー映画史も記載されている。個人的に面白かったのは第一部三章の自伝にあたる部分だった。小中千昭は小学三年生の時に弟と一緒に8ミリ・カメラで自主映画を撮り始め、特撮や特殊メイクの技術を独学していき、そのままディレクターとして就職して数々の作品に参加していった。ビデオ作品の制作現場について全く知らないなりにイメージがついたし、彼個人の人物像を知れる興味深い章だった。それにしてもクリエイティブな職で成功する人は行動力にあふれる人物が多いような気がするが個人の印象論にすぎないのだろうか。
彼が担当した作品の制作裏話も面白かった。特に『怪~ayakashi~』の「四谷怪談」や『神霊狩/GHOST HOUND』がどういった経緯で制作され、どういう意図で脚本が書かれたのか詳細に述べられていたので両作品のファンとしては嬉しかったし「なるほど」と腑に落ちる部分も多かった。
そんなわけでつらつらと感想を書いてきたが、本書はホラー映画が好きな人や小中千昭とその作品群に興味がある人は楽しめる内容になっていると思う。「小中理論」も平易に書かれてあったし内容も説得力のあるもので、ホラー映画の楽しみ方が一つ増えたような気がする。小中千昭の初期ビデオホラー作品や小説は未開拓なのでそのうち履修していきたい。