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ゲームセンターという場所~GiGO桑名(セガワールド桑名)に捧ぐ~

どうもなにか無いと記事を書かないおじです。

先月、私にとって最寄りのゲーセンであるGiGO桑名店が閉店しました。
…のをつい先日買い物ついでにちょいと寄るかと言った所入口が閉まっていて、Twitter(現X)の閉店botで知った次第であります。
ここ最近は英傑大戦が置いているわけでもなく、かといって昔遊んだワンダーランドウォーズをもう一回やってビルドに必要なアシストカード揃えるのもなあって感じだったので寄ってもALL.NETでバーチャちょろっとやって終わりとかメダルのパチスロ4号機軽くやって終わりみたいな感じでした。
晩年お客としてはどうなんよってくらいインカムに貢献してないのですがほんの少しだけ思い出なんぞ語りたいなと思います。


近所にゲームセンターがやってきた

ショッピングモール、サンシパークが開業したのが2004年、その中のテナントの一つとしてオープンしたのがGiGO桑名の前身であるセガワールド桑名なのだけど、当時のことを思い出してもうおおお近場にセガのゲーセンできたじゃん!って行ってみたけど謎に階段を登って降りる郊外セガあるあるのよくわからないエントランス構造だったり、プライズとメダルとプリしかなくて当時はまだ元気だったビデオゲーム遊びたいゲーセンオタクにとってはゲーセンだけどやるものがない、今で言うアミューズメントパークしてたわけなんですね、自分にとって本当に遊ぶものが無かったからその頃の思い出が遊ぶものが無かったから行かなかった以上出てこないのです。もしかしたら友達とちょこっとクレイジータクシーやったかもしれないしやってないかもしれない。
その状態はアーケードゲームに一大旋風を起こしたアレの時代まで続きました。

三国志大戦、来々

そんなこんなで2005年、セガより三国志大戦(旧)がリリースされそりゃあ当時すごいブームになったわけで私も当然のめり込んでしまってゲーセン通い詰めてたわけです、主に四日市にあったGAME OFFに。
セガ桑名じゃないんかい!?ってなるんですが当時のセガのアーケードゲームってローンチで地方のセガのお店になかなか入りづらい傾向にあってセガだから入れてくれるだろうみたいな期待を数度肩透かしを食らっていることがあって、三国志大戦(旧)とボーダーブレイクがまさにそれで仕方なく遠くの店まで遊びに行くのがこの頃のゲーセンライフでした、セガのお店が直ぐ近くにあるのにセガのゲームが遊べないジレンマ…。
GAME OFFで初めてさわった三国志大戦は一時間以上待ってなにもわからないまま国性爺型開幕乙にボッコボコにされて出されたカードは裴元紹(他馬2/1活)でした。ただ、GAME OFFはお店も広くてSTGから格闘ゲームとビデオゲームがとても充実していてとにかく退屈しなかった、もう無いけど。
そんなこんなしているうちにセガ桑名にも三国志大戦が入ってそこから大戦やるならセガ桑名になりめっちゃ通いました。
大戦遊びながら当時併設されていたピザ屋でピザを貪りつつデッキを考えまた遊ぶ、そんな大戦ライフの場としてセガ桑名は重宝しました。
まあ全然上手くなかったんですけどね三国志大戦、今もですけど。

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数年後、三国志大戦が3になりだいぶ個人的にもだいぶ飽きが来た頃今度はボーダーブレイクがリリースされて私はそっちに傾倒することになります。
例によってセガ桑名には入らなかったので当時三重郡朝日町に存在したジョイプラザあさひに。三国もそうだったけどボダも本当にローンチでセガの店に入らなかった…確か生桑セガにも入ってない。
で、ジョイプラザあさひは三国もおいてあったから三国と並行する形で徐々にボダ側に比重が乗ってきたところでジョイプラザあさひからボダが撤去されて、ジョイプラザあさひの近くのラウンドワン川越→再導入したジョイプラザあさひ、ジョイプラザから新しめのネットワーク筐体が全撤去されるくらいのタイミングでようやくセガにボーダーブレイクが入ってくれたのでこれで休日朝の時報マッチは結構ギリまで寝てても大丈夫だやったぜってなりました。

二つのゲームを看取る

そんなこんなで永くゲーセンにいると筐体の寿命、オンライン機器の寿命というのは確実にやってきてまず、三国志大戦(旧)がサービスを終える日が来ました。
それまで自分にとってゲーセンって、友達とワイワイしながらいろんなタイトルにワンコイン入れては移動してみたいないろんなゲームをお試しで沢山遊べる場所だったわけで、一つのタイトルに傾倒するというのがなかなか無かったのだけど三国志大戦はカードにプレイデータを保存できる仕様もあいまってゲーセンに行く=三国志大戦やりに行くくらいになっていました。それはその後のボーダーブレイク以降も続くわけですが、逆にその頃からアーケードゲームってカジュアルにZAPしながら遊ぶものから一つのタイトルをとことんやりこむ傾向が強くなって、〇〇が無いお店に価値を見出し辛くなってしまったなあと。
ともあれ、三国志大戦の終わりの日、その頃私はすっかりボダの人だったのですが、セガ桑名で仕事上がりから閉店まで大戦をやっていました。
普段使わなかったデッキを試したりして、最後は一番思い入れのある大好きなSR乱れ撃ち太史慈を入れた流星デッキ、やっぱかっこいいなあ太史慈、乱れ撃ちなんで夏侯淵に持ってかれたんだよとか思いながら最後のプレイを終えて閉店、今回のヘッダーが当時のものになります。
もっと遊んでおけばよかったな。

そしてボーダーブレイク、以前の記事でも語っているのでざっくり書きますが、仕事を休んで開店から閉店までずっとセガ桑名に居てひたすら遊んでいました。楽しかった。そしてボーダーブレイクがあったあのスペースはボダ撤去からGiGOに屋号が代わり、そして閉業するまでぽっかりと空いたままでした。正しくは横にあったMJの台の間隔がめっちゃあいてすこしだけ埋まってたけど、最後に目にした日までそこはボダがあった場所、でした。
ボダが無くなった後もまだ少しだけセガ桑名に通う日々は続きます

ありがとうセガ桑名

ボーダーブレイクが円熟期を迎えたころに帰ってきた三国志大戦(新)、今度はちゃんとローンチでセガ桑名にも入ってくれました、ありがとうございます。
三国志大戦とボダの両輪で休みの日や仕事上がりにゲーセンに行って、来々亭でラーメンを啜る、そんな日々を続けて居ました。ボダが無くなった後も大戦があるから、とセガ桑名に行き、時々ワンダーやってボッコボコにされて味方に場外引かれたり、クロノレガリアをちょろっと触ってやらなくなったり、FGOACは一度も触らなかったり、知らないうちに三国志大戦が撤去されてまた行く理由を見失って、セガがゲーセン運営から撤退しても熱心に音ゲーをやる子がいたり、ガンダムは相変わらずだったり、コストをかけてGiGOにに改装したりとまだ大丈夫だろうと油断していたら無くなってたはちょっと切ないな。
タイミング的に新札発行で両替機更新するくらいなら畳むかあって感じだったのかなあ、異業種でもそれが理由で閉業するって話はちらほら聞くし。あとは隣のTSUTAYAがずっと廃墟なのも集客の導線に影響したのかもしれない。使われなくなった階段側のエントランスに巣を拵えていたツバメは大丈夫かな。
ともあれ、私が居て楽しいと感じるゲームセンターの原風景は桑名市内から完全に消えてしまったわけで(キッズ向けアミューズメントとプライズとプリの店ならまだあるけど)なんだかんだゲーセンの空気が好きだった自分にとってまた一つ思い出深い場所が失われたわけで生桑のお店はもっと長生きしてほしいな、と思いながら今日も家でスト6のランクマしてるわけなのですが、ゲーセン大好き勢としてはやっぱり筐体で遊ぶゲームの楽しさ、そこで生まれる人とのコミュニケーション大事にしたいな。

最後にGiGO桑名店さん、セガ時代からお世話になりました。近年はお客として貢献できず心苦しい限りですがサービスの行き届いた大好きなお店でした。
長い間ありがとうございました。

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