見出し画像

好きになる

人を好きになる基準が全く変わってしまったのはいつからだろう。

昔こそ、かっこいい同級生や憧れの先輩に優しい人だとか気配りができるとか、自分に対しての接し方に心が揺れたり。

所謂、アオハルってやつだ。

こんなことを言ったら失礼だろうがここはあえて言おうと思う。簡単な人としか付き合ってこなかった。

見た目がすごくいいわけでもないけれど平均より少し上だと申し訳ないが自分はかわいいと思っている。というか、そのくらいのあざとさを女子は誰しも内に秘めていると思っている。それが個々の魅力となるとも思うしー

それに私はとてもワガママだ。いつでもお姫様がいいんだ。かわいいと言われ、綺麗と言われ、好きだよと言われ、満たされる。私の為にどれくらい尽くせるのか、そんな物差しで良き王子様を仕立て上げ、お互いにお互いを良きパートナーとして認識できることが最優先だと思っていた。だからこそ免疫がない人、ちょっと変わった人そんな人を自然と選んでいたというか仕向けていた。

だからこそ今、男運がないだの見る目がないだの好き放題友達には言われる始末。恋愛をメリットとデメリットの物差しで図り続けた代償なんだろうと今までを振り返って思う。でも私は感謝されていいと思う。私と別れた元彼たちはちゃんと好きになった人の完璧な王子様になれているから。冴えない君達にオシャレなカフェやレストランに、女子がされてうれしい事や行動、仕草、言葉を彼らはちゃんと覚えているんだから。

私が思う理想の男性に仕上がる頃には、自信というものも彼らは身に着けてしまう。この自信というものが厄介で、私の意図に反するようになり、そこで私がこと切れてしまう。すると私は可哀想な人になるんだ。

可哀想な人というより、都合がいい女になってしまうんだ。

私からすれば、私の理想とする男性に彼らを仕立てている時点で私は相当彼らにぞっこんになっているところがある。女の子はこういうことをされると喜ぶことを覚えてしまえば私だって例外でなく嬉しくなる。女の子の扱いがわかってしまえば、私の扱いにだって慣れてしまう。そして抜け穴を見るけてしまう。

人間だもの。

自分の魅力や価値に自分が気づいてしまったら嬉しくなるし、少なくとも、自分はこのライン上ではなくもう少し上のラインにいていいんだと思ってしまう。そう、調子に乗る。調子に乗った結果、遊ぶんだ。モテてこなかった人ほどこの変貌ぶりがすごい。私はそう思っている。

これらを経て、私は気づいたことがある。

そもそもである。なんでまた免疫がない人、ちょっと変わった人を選んだんだ。根本がいけない。彼氏という人をステータス化しようというわけでもないけれどやっぱり付加価値はあるわけだ。私は自分の期待値で探していたけれどそもそも毎回その期待を裏切られる結果になるのであればそれはその時点でやめるべきだった、ということ。

人の価値を見出す前に、自分の価値を高めなければいけない。

人を好きになる。

その前に自分を好きになろう。





いいなと思ったら応援しよう!