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ドライブゲームが好きになったキッカケと歩み

はじめに

初めまして、KNNと申します。
普段は成人向けを主軸とした同人作家をしております。
他にも音楽を作ったり色々と活動しております。

名前の由来としては、昔のゲームはランキングに載った際3文字英語しか表示できませんでした。そこで、音楽活動名義のKno-neno(ノネノ)を三文字に略し、"KNN"にしました。

ドライブゲームが好きになったきっかけ

幼少期

物心が付いた時、ゲームセンターのドライブゲーム筐体に父の膝の上でハンドルを握っていました。
それから車のメーターの絵をよく描くようになり、よく「ゲームセンターに行きたい」と言っていたようです。
とにかくゲームセンターで色んなゲームに触れ、いっぱい遊んでおりました。

小学生時代

それから小学生なった時には"頭文字D Arcade Stage"が出始め、私も親にねだって遊ばせてもらっていました。
カードを作り、データ記録する。特にいろは坂は大好きなコースでした。
家にADSL、つまりインターネットが導入され、いろんなものを検索するようになっていたのですが、一つ疑問に思っていたことが

(物心が付いたときにやってたあのゲームのタイトルなんだろう)
筐体の特徴、ゲーム内のボイス、覚えているものは全部検索しましたが見つかりません。
しかしヒントが一つ、それは幼き頃のアルバム。
これだ!と思いすかさず調べたところ、出てきました。

Rave Racer(レイブレーサー)

もうスーパーのゲームコーナーに置かれていなかったことを記憶しておりまして、とにかく設置店舗を探していました。
連れて行ってももらいました。でも流石に毎回は連れてってもらえず、プレイ回数も限られていました。
充分に遊ぶようになったのは大人になってから。
ですが、私はある障害を抱えてしまったのです。

思春期から大人へ

パニック障害。
特定の状況下で緊張感、過呼吸、痺れ、現実感から離れた感じと色んな症状がでてくるパニック発作が怖くなり、どんどん社会的活動ができなくなる障害です。
それを中学生から患っており、不登校状態になってしまいました。
そうすると自然とゲーセンから離れていくんです。
といっても、症状が軽くなる時もあり、その時は同伴者とゲーセンに行っておりました。
しかし急に訪れるパニック発作で何度ゲームをリタイアしたことか
充分に遊ぶこともできませんでした。

成人を迎えてからもその状況は続きます。
バイト、会社も障害を持ちながらもやってはおりましたが、長くは続きません。色んな人に迷惑もかけてきました。
強いて救済があるとするならば、たまたま同人活動で自分のだした作品が光り、今があるだけです。

電車がだめなら免許持とうと、合宿免許に行きましたが、体調不良で断念、転校も考えましたがその時コロナが流行り、どの自動車学校も満杯。入ることさえできずそのまま取れずに終わってしまいました。
ずっと無力感に苛まれ生きてきました。
あの出来事が起こるまで…

推しのGiGOコラボから、現在これを執筆している自分まで

GiGOとVtuberグループのコラボがあった時にとても衝動に駆られました
「推しのプライズが欲しい」
でも電車で行かないといけない。またあの苦しい発作で人様に迷惑をかけてしまう。あきらめようと思いました。
ただ、「欲しい」が勝り、発作を起こしながら電車にのりGiGOに向かいました。
小鹿のように震え、全身が痺れ、過呼吸おこしながらも推しのプライズを五千円掛けて取りました。
それが私にとっての成功体験となり、少しずつ自信がついたのです。

その後は電車に乗れる距離を伸ばし、ある店に行きました。
そこは昔のゲームが置かれている天国のような場所。
良心的なことに1時間1000円、上限5000円で一日遊べる。

お目当てのレイブレーサーをひたすらやりました。
そうそうこの音楽、この操作性、UIのセンスの良さ。すべてが大好き。
もちろんほかのゲームもやりました。

といっても行動範囲が広がるといろんな可能性を見出したくなるもので、散財してしまいますよね。それに関しては猛省…

ただ、外に出れるようになったキッカケをくれたGiGOさんには感謝ですし、そのお店にも感謝しております。

総括

人生何が起こるか分からないなとつくづく思います。
些細な出来事が大きくなって帰ってくるなんてのもザラです。
私のルーツであるレイブレーサーが出てきて執筆時現在でもうすぐ30年、現在もゲームは動いていますが、やがては動かなくなります。
私自身も変化し続けます。体調、内情、価値観等、どんどん。
だからこそ今を大切にするんです。それが私のスタンス。

いつか無くなるその時まで、味わい尽くすのみです。

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