#4 暗証聖句よくやってたなぁ…
繰り返し唱えて覚えるイメージ。な小包。
暗証聖句だけの特徴ではありませんが、繰り返し唱えて覚える行為って、「ざ・暗証聖句」感があるなあって思いません…?
まあ他にも掛け算九九とか百人一首覚える時も、全く同じ事を皆さんもしたと思いますが、僕が初めてこれをしたのは小さい頃、それも小学校にあがる前の頃に教会学校でやっていたので、それ=暗証聖句といったイメージなんです🤔
今では全くやってない。
それこそhi-b.a.に通っていた頃とか、卒業後もOBとして参加していた頃はよく暗証聖句やってたけど、社会人なってからは全くと言っていい程やらなくなった。し、やる機会も無い。
たまには頭の体操がてらやってみるのも良いかなと思ったりもしますが、それだと何か目的として変なような気もしてしまいますww
皆様はいかがでしょうか?これまでに暗唱聖句をしたことのある方々、最近はやる機会ございますか…?
そもそも何でやってたの?
…でしょうか?
やっている事そのものはとても素晴らしい事で、神様から賜った“宝物“なる言葉の一つ一つを覚える事は、その身の確かな糧になる事でもあります。が、最初からみんながみんなそんな事まで意識して、暗唱聖句なんてはたしてできていたのでしょうか…🤔?
教会・教会学校(要するに大人たち)的には、そういった明確な目的があって、暗唱聖句をする機会を設けて下さっていたと思うのですが、我々当時の子供たちからすれば、そんな意図があるとは露知らず。
僕の持ってた当時のイメージとしては、
・好きな箇所や場面を覚えるきっかけ
・いくつ覚えたかを競うため
・たまに発表する機会があるから
・覚えたらご褒美が貰えるから
と言ったかんじ。
まあ、僕がただ覚えていないだけで、ちゃんとその趣旨も伝えてくれていたのかも知れませんが…😂
“われわれ”のためにやるんだよね🤔
っていう結論。
これを書いてて思い出したのが、僕がかつてhi-b.a.に通っていた頃のメッセンジャーがよく「結論から言いますと」なんてふうに言っていた事。
つい最近に友人から、「ともかって文字になると凄い回りくどいよね笑」なんて言われて、自分でも今までの記事を読み返して「確かにそうかも…w」と感じ、少し反省しているところです。
絵に上井、“われわれ”なる我らが三位一体の神様の為、それに似せて作られた私たちの為、そしてそれをする本人たちの為に、暗唱聖句をするんだよな〜と思うんです。そのことを覚えて、暗唱聖句をする(してもらう)んだよな〜と。
ただただそう思っだけ🤔
暗唱聖句あるある
最後に、ふと思った暗唱聖句あるあるをいくつか載せたいと思います。
子供がよくやるイメージ
覚えたらご褒美が貰えたりする
みんなで一緒に覚えようとすると、他の人の声が気になって集中できない
いくつ覚えたか誰かと競う
デイリーブレッド(?)、パンの形した入れ物に、聖句と箇所の書いたカードが入ってるやつを使う事もある
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