森喜朗(前?)会長の発言を振りかえる
2021年2月3日、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長であった森喜朗氏がJOC臨時評議会で行ったスピーチが「女性蔑視」と報道され、同12日には辞任を表明するに至った事件を振りかえってみたい。
まだちょっと早いか、あるいは遅すぎるタイミングだけどね。
まずは問題の発言を引用することから始めよう。
これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。
女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。
私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/02/04/kiji/20210204s00048000348000c.html より
スポニチさんは”発言全文”と書いているが、こんな短くて尻切れトンボのスピーチはあり得ないので、実際にはこの前にも後にも話は続いているはずだが、まあ「問題発言の周辺を丸ごと引っこ抜きましたよ」という意味だろう。
マスコミがこの発言のどこを切り取ったかというと、
・女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。
・誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思う
・発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困る
・みんなわきまえておられます
といったところ。1つ目から3つ目については男女を問わず起こることなので、女性を主語に置いたのはたしかに失言だ。失言王・森喜朗の真骨頂といった感のある、いかにもな失言だ。会議を無駄に長引かせてしまう女性理事が実際にいたとしても(いたんだろうが)、女性一般がそうではない。森氏がそんな風に思っていないことは、発言の後半を見れば分かる。しかし悪意のある解釈をすれば問題にできてしまう時点で森氏の失点と言えよう。(嫌な世の中だ)
会議を長引かせてしまう人が出るのはなぜかというと、簡単に言えば、その人の知識が他の会議メンバーよりも劣っているからだ。古参のメンバーが共有している業界知識、慣行といったものを知らずに入ってくる新参者は知らないことが多い。だから議論についていけない。質問が多くなる。逆に自分の得意分野の知見を活かそうと思えば、今度は古参メンバーが付いてこれない。これは性別を問わず起こることだ。ラグビーはきっと長いこと男社会だったのだろうから、そこに女性理事が入れば摩擦が起こるのも当然だ。ラグビー業界に詳しい女性がいきなり降って湧いてくるわけもなし。困難な道程であるにもかかわらず、女性理事を5人まで増やしてきたラグビー協会はむしろ前進しているといって良いのではないだろうか。
私はダイバーシティ推進には大賛成だし、その先にすばらしいイノベーションが生まれることを期待してもいる。しかし多様な人材が参画すればそれだけでイノベーションが起こるとは思っていない。参画がなった後にこそ多くの困難が待ち受けている。
話を森氏発言に戻して、4項目「みなさんわきまえておられます」だが、これは他とはちょっと違う。「#わきまえない女」がTwitterトレンド入りするなど、最も話題になった部分ではないだろうか。多くの人達が抗議の声を上げた。抗議は「わきまえている」の意味を「発言を控えて、会議の進行を妨げない女性」、なんなら「森会長ら男性陣の顔を立てて黙っている女性」だとの解釈に基づく批判だ。
これはちょっと待って欲しい。明らかに解釈を間違えている。
「わきまえている」とされたのは、以下の8名だ。
荒木田裕子 ー IOCオリンピックプログラム委員会委員、
オリンピアン(バレーボール)
田中理恵 ー オリンピアン(体操)
谷本歩実 ー オリンピアン(柔道)
成田真由美 ー パラリンピアン(水泳)
蜷川実花 ー 写真家、映画監督
丸川珠代 ー 参議院議員(自由民主党)
ヨーコ・ゼッターランド ー 公益財団法人日本スポーツ協会常務理事、
オリンピアン(バレーボール)
塗師純子 ー 公益財団法人日本オリンピック委員会監事/弁護士
上の様な解釈で批判をするということは、この8名が「そういう女性」だとレッテルを貼る行為だ。レッテルを貼ったのは森氏ではなくこういう批判をした人達だ。これは侮辱ともいえる極めて不適切なことなので、謝罪と撤回をすべきだと私は思う。私はこの8名を詳しく知りはしないし、親しくもないし、ファンなどでもないが、何人もこのような侮辱を受けるべきではない。
なぜこのような間違った解釈が拡がってしまったのかと言えば、やはり「弁える(わきまえる)」という言葉の理解が不足していたからだろう。「弁える」の用法としてポピュラーなものに「身のほどを弁える」がある。これは高い身分の人に対して使うこともできるが、仮に「身のほどを弁えろ!」などと言われたらそれは「下の者がでしゃばるな!」という意味になる。ここから「身のほどを」を省略した「弁えろ!」の話法が浸透していて、そこに「日本は男尊女卑の社会だ」という認識が加わると、「わきまえておられます」が前述のような解釈になってしまうのだろう。
だが、弁えるとは言い換えると「分かっている」とか「理解が深い」とかそういう意味であって、何を分かっているかは前後の内容次第である。道理を弁える、とかいう言葉もある。
”みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、”とあることからすれば「議論の要点とどのような知見が求められているのかを理解している」ことを指して「わきまえておられます」と表現したのだという解釈が自然だ。おそらく森前会長は女性理事登用について「世の中にはネガティブな見方もあるが、当委員会では上手くいっているぞ」と言いたかったのだろう。本人が釈明していたとおり女性を蔑視する気持ちは無かっただろう。アンコンシャスバイアスまではあったのかどうか知りようがないが、少なくとも発言からそういったものは感じられない。むしろ受け手の側に「83歳の爺だから女性を下に見ている」という偏見があったのではないか。
蛇足になるが、発言を受けて藤田ニコルが「全文読んでもいやだった」とサンデージャポンでコメントしていたそうな。こういうのは一部を見て批判した芸能人が「全文読んでから言え!」って叩かれるのが定番だったのに対して先回りしてみせたわけだ。その結果、話題にすらならないという。難しいもんだね。
さて最後に。こういうふうに森バッシングに対して異議を唱える記事は、他にも書いている人はいるのだが、みんなきまって「森さんを擁護するつもりはないが、」みたいな前置きをしている。弁えない連中から差別主義者と言われちゃかなわないという気持ちはわかる。でもこの件で間違っているのはマスコミとそれに乗せられて騒ぎ立てた方だよ。やるならちゃんと擁護すべきだった。失言は失言だったけどね。もう遅いけどね。
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