Cocktail: マイアミ
「あちらのお客様からです」
私はスマホの画面から顔を上げた。目の前に、半透明のベールのようなお酒が注がれた華奢なカクテルグラスが差し出されている。さらに顔を上げると、バーテンダーが誰かを指し示していた。その手の先に目線を移すと、黒いスキニーパンツにお洒落な柄のシャツを着て、髪にふわりとパーマをかけたイケメンが座っている。………あれ?
「先輩、おひさしぶりです」
イケメンが言った。その声と、優しそうな糸目の笑顔。大学時代のサークルの、一つ年下の後輩だった。
「びっくりしたあ。久しぶり!」
「となり、いってもいいですか?」
「もちろん!おいで、おいで」
私が答えると、すぐに彼が移動してくる。
「すっごいイケメンになったね、一瞬誰か分からなかった」
大学時代の彼は、何というかもっとやんちゃなイメージだった。
「ほんとですかぁ、うれしいなぁ」
それでも天性の人懐っこさと、愛嬌のある話し方は全く変わっていない。
「先輩はあいかわらず、こういう大人っぽいお店が似合いますね」
「そう?ありがとう」
私は大人っぽく答える。
「このカクテルすごい綺麗。本当にもらっていいの?」
目の前のグラスに視線を戻してそう尋ねると、彼は
「もちろんです!マイアミっていうカクテルです」
飲んで飲んで、とジェスチャーする。細いスタンド部分をつまんでそっと持ち上げ、グラスを傾ける。さっぱりとしてとても上品な、それでいてしっかりとしたホワイトラムの味がした。
「んー!見た目も味もすっごく上品だけど、アルコール度数はがっつり!」
からかうように言うと、
「もと飲みサーの先輩のくせに、なにいってるんですかぁ!」
と彼も冗談を理解して笑っている。そう、二人が所属していたサークルは、活動もしっかりするが飲み会もしっかりするサークルだった。
「このマイアミ、カクテル言葉が“天使の微笑み”っていうんです」
笑いが落ち着いた後、彼が言う。
「さっき、スマホでなに見てたんですか?とってもすてきな笑顔でしたけど」
「さっき?」
言われて思い出した。そうだ。
「地元の同期から送られてきた、赤ちゃんの写真見てた」
「あかちゃんかぁ、それは微笑んじゃいますね。生まれたばかりですか?」
「そう。大学卒業後すぐに結婚して、2年目で子どもが出来たんだって」
説明しながら思う。この友達は、大学時代に相手に出会ったらしい。他にも同期が次々と結婚していく。
「大学時代に恋愛しとけば良かったかなぁ」
思わず言葉が漏れた。
「先輩が大学時代に恋愛までしてたら、ほんとに超人すぎて怖いですよぉ」
…そうかもしれないな。大学時代の私は、“やりたいことは全部やる”をモットーに全力で生きていた。部活とサークルを掛け持ちし、バイトで稼いで飲み会もしっかり参加して、興味のあったボランティア活動もいくつか経験した。どう考えても恋愛の入る余地はなかったし、自分はこれでいいんだと満足もしていた。
「まあ、やりたいこと沢山やったし後悔はしてないんだけどね」
私が明るく返すと、
「そうですよ、かっこいい先輩にみんなあこがれてたんですから」
と言ってくれる。そしてマイアミのカクテルを指差し、
「それ一口もらってもいいですか?飲んだことなくて、味きになりますー!」
と愛嬌たっぷりに聞いてくる。私が答えるよりも早く、彼がくいっと一口飲んだ。
「あ、たしかに度数つよいですね」
ふっくらとした彼の唇がアルコールできらりと光り、間接キス、と思春期みたいな言葉が頭をよぎった。回し飲みなんか大学時代に数え切れないほどしたのに。そう思うのと同時に、私が大学4年の時に少しだけ、彼のことが気になっていたことを思い出した。あの時期、なぜか彼とよく目が合う気がしていた。
「逆にどうなの?イケメンになったし、もうすぐ結婚しそう?」
冗談で聞いてみる。
「それが、イケメンになったのにぜーんぜん結婚しそうじゃないんです。それどころか、大学2年の春に別れて以来、恋人もいないんですー」
冗談のトーンで返される。それでも、私が
「嘘だな」
と言うと、真面目な顔で
「ほんとです」
と返ってきた。
「よし、じゃあ本当に恋人がいないなら、今から場所移動して思いっ切り飲みに行くか!」
久しぶりに後輩と会って大学時代がどんどん懐かしくなってきた私は、若者のノリで提案してみる。
「ほんとですか!いきましょ先輩!」
予想よりも食い気味に、彼が乗ってきた。
「よし!すみません、お会計お願いします」
私がバーテンダーを呼ぶと、
「ここは僕が払いますよ」
と制止された。昔のノリで当たり前のように後輩の分もまとめて払うつもりだった私は
「いやいや私が払うよ?」
と戸惑う。すると彼は
「大学時代めちゃくちゃおごってもらったんで」
にやりと笑った。それを言われると何も言えないぐらいには確かに沢山奢ってきたので、
「じゃあ遠慮なく、ごちそうさま。ありがとう」
と引き下がることにした。
バーテンダーが彼のお金を受け取り、お釣りを持って戻ってくるのを待つ間に、ふいに彼が言った。
「先輩。今からでも遅くないと思いますよ」
「え、なにが?」
「恋愛」
彼がふっと糸目で微笑んだところで、バーテンダーがお釣りを持ってやって来た。
バーの外に出て歩き出す。
「どこ行こうか?」
肩がぶつかる。
「あ、ごめ…」
と言いかけると、彼が
「どこいきましょー」
と言いながら、また肩をぶつけてきた。わざとだ。並んで歩きながら、とん、とん、とリズム良く二人の肩がぶつかる。
彼の肩が触れるたびに熱を帯びていくのを感じながら私は、確かに今からでも遅くないのかもしれない、と思いはじめていた。