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Cocktail: ハネムーン

こちらのツイートに敬意を込めて。


「いらっしゃいませ。あ、こんばんは。奥の席取ってありますのでどうぞ」
仲良しのマスターが笑顔で二人を迎えてくれる。私は彼に腕を絡めたままバーカウンターの横を通り抜け、奥の二人席に座る。
「一年記念日おめでとうございます。まずはいつものでよろしいですか?」
マスターの問いかけに
「ありがとう、俺はいつもので」
と答え、彼がこちらを見る。
「私もいつものでお願いします」
「かしこまりました」
そう言うとマスターはカウンター内へと去っていった。

「あの衝撃の日からもう一年経つのかあ」
私が感慨深く口にすると、彼はひゃっひゃっと笑って
「君は何度でもあの日の話をするね」
とからかってきた。
「だって…」

 ✳︎

今日は私たちが出会ってから一年。日付は違うけれど、今日と同じ四月の第一日曜日の夜に、このバーで出会った。
その日の私は、休日が土・日から日・月に変わった初めての日曜日の夜を、どう過ごせば良いのか困っていた。それまで毎週土曜日に通っていたバーは、日曜日が定休日だったからだ。

それでもバーでお酒を飲む日を楽しみに毎日働いている私には、飲みに出かけない選択肢は無かった。スマホを取り出し、現在営業中のバーを検索する。すると、いつものバーから少し離れたところに、一軒だけ見つけることができた。今までのところより幾分お洒落で少し戸惑ったが、とにかく行ってみよう。

せっかくなら、と少し気合を入れたメイクと服装で、そのバーのドアを開けた。流石に日曜日で、店内に人は少なかった。
私は入り口近くのカウンター席に座ると、シャンディガフを注文した。いつもの一杯目。

シャンディガフを飲みながら、店内を見回す。装飾は少ないが、リキュールの瓶とカクテルグラスが綺麗に磨かれて整然と並べられていて、マスターの品格とこだわりを感じる空間だった。

店の奥の方に目を移した時、私は思わず二度見してしまった。ボサボサの髪の毛と薄ピンクのスウェット上下を身に纏った男性が、カウンター席の一番奥に座っていた。このお洒落な空間にあまりにも似合わない風貌のその人は、しかしマスターと親しげに話していた。

不思議な人だなあ。でもお洒落なバーに部屋着で来る勇気は私には…無いな。そんなことを考えながら視線を戻してシャンディガフを一口飲み、スマホを開いた。
SNSをだらだらと眺めていると、突然「ひゃっひゃっひゃっ」という笑い声が聞こえて顔を上げる。声のする方に目を向けると、さっきのピンクスウェットの人だった。マスターと話しながら特徴的な声で笑っている。

楽しそうな人だなあ。そう思いながら何となく見ていると、バチッと目が合う。見過ぎてしまった、と思いながら咄嗟に会釈をして目線をそらす。目の端で彼がまだこちらを見ているのが見えた。

半分になったシャンディガフのグラスを眺めながら、二杯目は何にしようかと考える。もうあの笑い声は聞こえてこなかった。すると、後ろから
「あの、」
と声をかけられる。振り返ると、彼がそこに立っていた。
「はい?」
「マスターにあなたが何飲んでるか聞いてしまいました。隣、いいですか?」
見ると、彼の手にはシャンディガフがなみなみ入ったグラスがあった。
「あ、はい…」
変な人だったら嫌だな…という気持ちもありつつ、話すだけならいいかと思い受け入れる。彼が名乗ったので私も名乗った。
「こんな恰好してますが、変な人じゃないです。まあ信じられないかもしれませんが…」
そう言って彼は笑った。
「マスターさんと友達なんですか?」
なんと答えていいか分からず、私は質問した。
「いや、僕はただのお客さんです。もう一年以上毎週通ってるので仲良くなっちゃって」
「この辺り、日曜日に空いてるバー無いですもんね」
「そうなんですよ!」
そう答える彼の横顔を見てみた。ボサボサの髪に隠れてよく見えないが、黒い瞳がキラキラと輝いている。そして、耳から首までが真っ赤に染まっていた。酔っているのだろうか。
「えっと、あの… とっても綺麗ですね」
「えっ?」
私はびっくりして耳を疑った。私が?まさかナンパ?
「あの、ナンパじゃないんです…いやナンパになるのか?女の人に声掛けるとかしたことなくて… スウェット姿でも声を掛けずにはいられなかったっていうので逆に本気なのが伝わればいいんですけど…」
「…私たち、以前に会ったことは無いですよね?」
「あの… 一目惚れってやつだと思います」
そう言ってこちらを見つめる彼を見返すと、彼は顔まで真っ赤になっていた。思わず私も顔が熱くなるのを感じた。

「シャンディガフ美味しいですね。ビール苦手だから飲んだことなくて。でもこれならおいしく飲めます」
一口飲んで彼が言った。
「そうでしょう?私もビールは苦手だけどこれは大好きで。いつも一杯目はこれです」
改めて彼をよく見ると、とても綺麗な肌をしていることに気がついた。形の整った凛々しい黒眉、キラキラした黒い瞳、それに艶やかなピンク色の唇。ボサボサ髪とスウェットでなければ、とてもかっこいい人なのではないだろうか。
「二杯目を迷ってるんですが、何かおすすめありますか?」
話の糸口になるかと思い、尋ねてみる。
「モスコミュールって知ってますか?僕はいつもそれを一杯目に飲んでます」
「シャンディガフと同じで、ジンジャーエールで割ってるやつですよね?それにしてみます」
私がそう答えると、彼はマスターを呼んで代わりに注文してくれた。

それから私たちは、飲みながら色々と話した。もともとお互い毎週一人飲みをしていたこともあって、お酒の話題で盛り上がった。彼の話は軽快で楽しく、特徴的な笑い声はこちらの笑いも誘い出してくれた。

日付も変わり、私は流石にそろそろ帰ろうかと思い御手洗いに立つ。思った以上に楽しくて、気付けばいつもよりも飲んでいた。席に戻ると、彼が真剣な目でこちらを見た。
「付き合ってくださいと言いたいんですが、流石に初対面ですし、酔ってるので今日は言いません。それでも、どうしても貴方にもう一度会いたいので、来週日曜日の同じ時間にここで待っています。来てくれたら嬉しいです」

 ✳︎

マスターがシャンディガフとモスコミュール、それに前菜の盛り合わせを持ってやって来る。
「いつもの一杯目と、こちらの三種の前菜は僕からのサービスです。改めて一年おめでとうございます」
「そして?」
彼がからかう目でマスターを見る。
「お客様の少ない日曜日に、一年間ほぼ毎週二人で来てくれてありがとう」
「どういたしまして!」
ひゃっひゃっと笑いながら彼が答える。マスターは軽い仕返しの意味も込めて、
「それにしても、僕は二週目が一番面白かったけどね」
と言った。私は前のめりになって
「その話は何度でも聞きたい!」
と促す。
「毎週適当な時間にスウェットで来ていたお客様が、急にスーツでバッチバチに決めて開店時間に来たんだよ。ずっとそわそわして、ドアが開くたびに振り返ってはため息ついてさ」
「やめろよー!」
彼の顔が一瞬にして真っ赤になった。私とマスターは目を見合わせて笑う。
「来なかったらどうしよう、ああ何で連絡先交換しとかなかったんだ、ってずっと言いながら、ろくにお酒に口もつけずにさ」
「私もあのスーツは本当にびっくりしたなあ。ボサボサ髪でスウェット姿の人に会いに来たのに、オールバックでスリーピーススーツ姿のめちゃくちゃかっこいい人が現れたんだもん」
言いながら彼の頬に触れると、彼は照れ過ぎて耳や首まで真っ赤になりながら「いやぁー」とかもごもご言っている。
「一年経ってますます仲良くて素晴らしいですね。それではごゆっくり」
プロフェッショナルなマスターはいつも完璧な頃合いで仕事に戻る。すると彼がマスターを呼び止め、
「二杯目はあれで」
と小声で言った。
「ん?」
と私は彼に問いかけたが、何でもないという顔をされる。
「かしこまりました」
マスターはカウンター内へと去っていった。

「出会って一年、おめでとう。乾杯」
二人で言って、グラスを合わせる。ごくり、とシャンディガフを飲むと、やっぱりとても美味しい。いつも通りに、彼のモスコミュールと一口ずつ交換する。他愛無い話で笑い合っていると、すぐにグラスは空になった。

流石のマスターがタイミング良く席にやって来る。トレーの上には、レモンの皮が飾られた薄いオレンジ色のカクテルが二つ乗っていた。
「ハネムーンでございます」
空いたグラスを下げると、マスターはさっとカウンター内に戻って行く。

彼が手を伸ばし、テーブルの上にある私の手を握った。
「これを二人で飲みたくて。一年間一緒にいてくれてありがとう」
さっきまでとは変わって、落ち着いた声で言う。私はぎゅっと手を握り返す。
「こちらこそ、ありがとう。でも何でこのカクテルなの?」
「ハネムーンのカクテル言葉は、“幸福はいつもあなたと”。俺はこの一年君と一緒にいられて幸せだったし、これからも一緒にいられたら幸せです」
あの時と同じ真剣な目で、彼が言った。私は心の中で思う。一年前の私へ、あなたはとても素敵な人と出会ったよ。
「私も、貴方と一緒にいられてとっても幸せです」
彼と私のグラスを優しく合わせ、幸せのお酒を一口飲む。黒い瞳が私を見つめる。私も彼の瞳を見つめる。彼がすっと目線を外した。横目で誰も見ていないことを確認すると、素早くキスされる。柑橘と蜂蜜の、すっぱくてスイートな味がした。

ハネムーン
〜幸福はいつもあなたと〜

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