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珈琲ミル

それはおじいちゃんの手の中にあった。おじいちゃんの家で、同い年のいとことブロックで遊んでいると、ごりごりと音がしはじめる。すると5歳の二人はテーブルまで駆けて行く。
「おじいちゃんやらせて!」「先にやらせて!」
あらそってそれを受けとる。力を込めてまわす。ぐるぐるとハンドルをまわす。
1、2、3、4、5、6、7、8、…
「できたかな?」
「まだまだだね」
とおじいちゃんが言う。
1、2、3、4、5、6、7、8、…
ハンドルは重くて、だんだんと腕が疲れてくる。
「おしまい!あげる!」
いとこにそれを渡して、僕はブロックまで駆けて戻る。

ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、
気がつくと、まだ音がする。テーブルの方を見ると、それをおじいちゃんがまわしている。いとこはとっくにブロックに戻ってきていた。
ごりごり、ごりごり、…………
音が止まる。おじいちゃんが席を立って、白い湯気をあげているケトルを持ってくる。

そこからはもう、僕には興味ない。コーヒーっていう黒くて苦いやつができて、お父さんもお母さんもおじさん達もみんなでテーブルでしゃべってる。僕はいとことブロックでお城をつくる。

 ✳︎

「そろそろコーヒーをいれようかね」
おじいちゃんが戸棚からそれを出してくる。コーヒー豆を入れて、ごりごりと回しはじめる。僕と従兄弟はテーブルに座ってそれを眺める。5歳の妹たちが
「それやらせて!」「ぼくがやる!」
と駆けてくる。

ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、
妹たちがハンドルを回す。
「はやくかわって!」「あと10かい!」
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10!
「10かいやった!ぼくのばん!」
ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、…
「つかれた!おじいちゃんのばん!」
「じゃあ仕上げはおじいちゃんがやるかな」
そう言っておじいちゃんがハンドルを回す。
ごりごり、ごりごり、…………
おじいちゃんが立っていって、ケトルを持ってくる。粉になったコーヒー豆がお湯をふくんで、大人な香りがしてくる。

「何人飲むかな?」
コーヒーをいれ終わったおじいちゃんが、カップを用意してくれる。僕も従兄弟も手をあげる。
「砂糖とミルクは?」
「砂糖だけ」
従兄弟が言う。
「僕はブラックで」
得意げに答えた。

妹たちがテーブルに寄ってくる。
「コーヒーのみたい!」「コーヒー牛乳!」
お母さんたちが、カップにたっぷりと入った牛乳に一滴だけコーヒーを落とす。牛乳がほんのり茶色く染まる。
「もうちょっと!もっとコーヒー!」
もう一、二滴。カップを受け取った妹たちは
「コーヒーおいしい!」
と言いながら、ほとんど牛乳だけのコーヒー牛乳を飲む。僕はそれを見ながら、100パーセントのコーヒーを飲む。美味しいけど、ちょっとだけ苦いな、ちょっとだけ。

 ✳︎

「おじいちゃん、今日は僕が珈琲淹れるね」
「おお、そうか、じゃあ。ここに、これと、それと、お湯も沸かしてあるからね。こりゃ楽しみだ」
珈琲豆をすくってそれに入れ、ごりごりとハンドルを回しはじめる。すぐに珈琲の芳ばしい香りが立ち昇ってくる。
ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、
やっぱり、だんだんと腕が疲れてくる、というか飽きてくる。それでも僕はハンドルを回し続ける。
1、2、3、4、5、6、7、8、…
心の中で数える。
ごりごり、ごりごり、…………
音が止まって、ハンドルを回しても手応えがなくなる。珈琲豆が全部挽けた合図。ペーパーフィルターをセットして、バイト先のカフェで教わった通りにゆっくりとお湯を注ぐ。粉全体を湿らせたら、20秒待つ。またゆっくりと、粉を膨らませるようにお湯を注ぐ。
「うん、良い香りだ」
おじいちゃんが言う。
「何人飲む?」
皆に聞くと、従兄弟は当たり前のように手をあげる。妹たちは
「わたし牛乳と砂糖」「ぼく牛乳だけ」
と口々に言って、牛乳と砂糖を取りに行く。

「結構上手くできたと思う」
飲んでみると、ちょっと雑味はあるけれど、まあまあな味がした。従兄弟は何も言わずにブラックで飲んでいる。妹たちは、ちゃんと半分珈琲が入ったコーヒー牛乳を飲んでいる。
「うん、これは美味しい。孫の淹れたコーヒーは美味しいね」

 ✳︎

「一人暮らし、何か欲しいものあるかい?」
おじいちゃんが僕に聞く。今日は僕とおじいちゃんしかいない。
「あのさ、あの珈琲ミル、良かったらもらいたいんだけど」
「ああこれかい、良いよ。持っていきな。まあ、大事に使ってくれたら嬉しいよ。大正からあるものだからね」
「大正?そんなに長くあるものだったんだ。ありがとう、もらってくね」
心の中で、大切にしよう、と思う。おじいちゃんが、それを手に持って、僕に手渡してくれた。

 ✳︎

ごりごり、ごりごり、ごりごり、ごりごり、
今日も僕は、手動の珈琲ミルを回す。良い香りがする、良い音がする。それにとっても挽きやすい。
ごりごり、ごりごり、…………


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