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シャッフル 第2話


005

「――どこで流行ってるんだ? その忍者のコスプレ代体?」
 すれ違う人の視線がいやに気になったのは己の身体がどれだけ血を拭っても鉄臭いから。鉄そのもので構成されているから。自意識過剰と茫漠の間を揺れながら、俺は無意識に人の少ない場所を求めた。思考を彷徨わせたまま、ふらふらと。病院から数キロほど離れたその時だ。先ほどの影からコンタクトが入った。
「機能性を追及した結果だよ。機動性に長け、隠密行動に優れた身体、その最高峰。突き詰めると、どうにもこの形状に行きつくらしい。世界にまだ二体しかない貴重品なんだ」
 肉体を盗まれた。その現実を直視できず、俺は理由もなく日陰へ。さらにはどうしてか、家に帰ろうとしていた。家を欲していた。そうして我が家を呼ぼうとキャンピングカーへ信号を送ろうとした、まさにその時だ。眼前の影が俺の頭に割り込んできたのは。
 言うまでもなく正常な判断ができる精神状態になかった俺は指示されるがまま、右へ、左へ。己が影に手を引かれるがごとく示されたとおりに路地を進み、そうして辿り着いた。ドアを開けて停車する移動式住居へ。躊躇わずあがりこむ。ロボットの身体で。見紛うことなき、俺の家へ。
「……お前、一体……何者だ?」
「身体拾いをやってる『マダムタッソー』の奴らを潰すための組織『クルティウス』のメンバーだよ」
「いや、それも……まあ、聞きたかったことだけど……それよりも、だ。なんで、俺の家にいる? なんで、俺の家を動かしている? 動かせている?」
 黒金の面を貼りつけた無表情な忍者は、さも当たり前とばかり俺のお気に入りのベッドに腰をおろしている。下手をすれば俺の側が客と見えんばかりに。
「リジって、言ってもわかなんないよね? もう一人この身体を持ってる、うちのリーダー。そいつが事前にあれこれと、ね? って、まあそこは気にしないでおこう」
「……気になるだろう? セキュリティとか? 自分の家なんだぞ?」
「意外に細かいんだね?」
「いや、普通だろう? それで、あんたは? 名前?」
「ワハ」
「なんか、アホっぽい名前だな?」
「コードネームだけど――」瞬間の抜刀。漆黒の背に隠れていた日本刀が瞬く間に抜き放たれ、その滑らかに反った切っ先が俺の機械の首の数ミリ先で止まる。「――僕は、気に入ってるんだ」
「……悪かったよ」俺は両手をあげながら不意に思い当たって言葉を続けた。「クルティウス……だっけ? そのメンバーとかって……機密情報みたいなものじゃないのか? もしかして冥土の土産……とか、か?」
「デメリットこそあれ、ここできみを殺してもメリットはないさ。心配無用だよ、のびる君。理由はいろいろあるけれど、まずもってきみには利用価値があるからね。そもそも機密でもなんでもないしさ、この代体がクルティウスのメンバーってことくらい」
「そうなのか?」
「人気ESPerのきみほどではないけど、けっこう有名なんだよ? クルティウス。アンダーグラウンドではね。っで、それよりも……きみ、ちょっと隙だらけすぎやしないかい? 予想どおりだけど予想以上。僕が助けに入ってなければ殺されるところだったよ?」
「殺される? 誰に?」
「やっぱり気づいてなかったか。あの石田って看護士に、だよ」
「……マジ、で?」
 やれやれ、と首をふりながら刀を納めた黒い影はそこが己の定位置とばかり、再び眼前のベッドにどっかりと腰をおろす。どうにも我が家を知り尽くしているような、このリビングがはじめてでないような、そんな素振りである。実にふてぶてしい。
「代体で身体拾いを追ってるってことは、あんたも被害者なのか?」
「僕? ああ、僕は違うよ。リーダーのリジは、あんたと同じ……だけど」
 ニュースで幾度か耳にしたことはあった。しかし己が被害にあうとも、同様の被害者を見知るとも思っていなかった。完全に余所事だった。まさか肉体盗難がこれほど身近な犯罪だったなんて。
「……盗まれてどれくらいなんだ、そいつは?」
「そろそろ二〇年……かな?」
 言葉を失う。この先、己も。何十年も。しばらくの沈黙の後、俺はどうにか言葉を絞り出した。
「……俺の、利用価値……ってのは?」
「身体拾い、というか実質そこから身体を買うクライアントたちかな? 奴らは奪った身体の元の人格を気にすることが多くてね。それを消去しない限り、せっかく奪った身体も完全に自分のものになってはいない。そんな風に思うみたいで」
 背筋が粟立った。マダムタッソーとかいう身体拾いたちは俺という人格を消しに再び現れる。目の前に座るロボット忍者はそう推測しているのだ。
「おとりに使える……と?」
「話が早い。っで、どうする?」
「……身体を取り戻すための手掛かりは……今のところあんたたちしかない。だったら、俺に選択肢はない」
「いや、あるよ。人型(ドール)として生きる、という道もね。まあ、その、見るからに機械って感じのボディも個性的で良いけど、もう少し人間にちかいものだって世の中には――」
「俺に選択肢はない」
 断固として言い切る。こんな形で己の身体を諦めるわけにはいかない。諦められるわけがないのだ。譲れない。そこだけは。たとえ判断の鈍った思考であっても『己の身体は必ず取り戻す』という意思だけは明確だった。己でも驚くほど鮮明に。
「……宗教家? それとも、ナチュラリスト?」
「大層な主義や主張を持ってるわけじゃない。とりわけ代体が嫌いってわけでもない」
「違うんだ?」
「理不尽に奪われたものを取り返したい。ただの意地だ。それと……気に入ってたんだよ、割と。何年もつきそった相棒だしな」
「……そんな理由で? もうちょっと頭冷やしてから考えてもいいよ? 下手したら死ぬかもしれないわけだし?」
「いや、いい。やるよ、おとり。協力する。俺の身体を取り戻すために。まっ、なんとなく取り戻せる気もするしな」
「すごい自信だね。というか楽観的なだけ? まあ、でも最悪は誰かに譲ることも少しは頭の片隅に置いておいてね。命あっての物種、人格あっての身体だから」
「いや、譲らない。取り返すよ、絶対に。何があってもな」
「……まあ、いいや。ひとまず協力関係が築けるんなら、このまま町を出て、もっと人気のないところまで移動するよ。運転はこっちでするから。きみは一人を装っておいて。頭を抱えて出来るだけ絶望した感じでね。うまくいけば奴らが襲ってくるから」
「上手くいくと襲ってくるのかよ? なんなんだよ、この状況……」
 思わず口に出して悪態をつくも、俺は四角い親指を立て、ぎこちなく了承の意を示した。動くたび生身とは異なる音をたてる代身に一抹の寂しさを覚えるけれど、肉体疲労を感じないという体感は新鮮だった。人格的には つつかれたくらいで今にもへたりこんでしまいそうな塩梅なのに、肉体はいつまでも立っていられそうだし、実際、立っていられている。イギリスからここまで休憩なしのノンストップ、一度も腰を落ち着けていない。
「それで……リジ、だったか? なにしてんだ、お前らのリーダーは?」
「追跡中だよ、きみの身体を」
「はっ? なんだ? 盗んだ奴を見つけてるんなら、俺がおとりをやる必要ないだろう?」
「リジが見失わないとも限らないし、盗んだ奴がそのままアジトに戻るとも限らない。っで、きみは、今、おとりに使えるポテンシャルを秘めている。となれば?」
「……俺をおとりとして使い、ひきつけた敵から確実にアジトの場所を聞き出す?」
「大正解」
 次善の策というのか、念のための抑えの策、それに命をかけろ。そう言うことか。なかなかどうして、さすがに忍者、その風体どおりである。
「……ところで話は変わるけど、きみ、こう……なんていうの? 恐怖……とか、そういうの、ないの?」 
「そりゃあ怖いさ。だけど仕方がないだろう? 自分の身体を取り戻すためなんだ」
「いや、そこじゃなくてさ」
 意外にも眼前の影が困惑を浮かべた様子で己自身へ指先を向けてみせた。もちろん表情は読めない。けれども なんとなし、そんな風に感じられた。黒づくめのその風貌からすれば、たしかに怪しい奴だ。しかしワハは手段を選ばず任務遂行にあたる冷徹なタイプ、というわけでもないだろう。少なくとも俺はそう感じている。
「あんたが? 別に? 悪い奴には見えないし?」
「……きみ、ちょっとネジが外れてない? 目の前で生身の人間の首を刎ねたんだよ? それが たとえ身体拾いであれなんであれ。普通はヤバい犯罪者だと思うところなんだけど? そこに、もうちょっと……こう、なんというか、嫌悪感とか……そういうの、ないの?」
「ああ、言われてみれば確かに? でもまあ、なんとなく? 大丈夫そうかなって?」
「……なんとなく、って」
「今は法律が技術革新に追いつけていないだろう? いわゆる過渡期ってやつだ。その隙間を狙って詐欺や犯罪があちこちで横行しているわけだけど、つまりはもう少し未来からみれば『何が犯罪』で『誰が犯人』か、そのあたりも変わっていると思うんだ。今とはさ。となれば、そんな曖昧な時代に信ずるべきは己の直感だ。違うか?」
 己で言っておきながら考えてみれば不思議である。身体が機械である影響で心が鈍としているのだろうか。しかし単純にそれだけとも思えない。眼前の影に対し、なぜだか敵ではないという確信があるのだ。加えて殺された石田にも最初からなんとなしの違和感を覚えていた。良くも悪くも得体が知れなかったのだ、あの看護士は。最初から。それでだから、かもしれない。
「いくら未来に進んでも殺人はいつまでも凶悪犯罪の類だと思うけどね?」
「たしかにな。でも、なんでだろうな? どうしても敵や悪い奴には思えないんだよな。むしろ味方って言うか? どうにも見知っている気がするし。お前、実はどこかで俺と会ったことがないか?」
「……へえ。意外に気づくタイプなんだ?」
「なにが?」
「やっぱり感覚派か……」
「だから、なにが?」
 聞けば、実は、あの石田自身も肉体盗難の被害者なのだという。つまりは俺に応対していたあれは、石田の身体にインストールされた人工人格だというわけだ。もちろん健診を受けるといった目的でなく、身体拾いのための作業をプログラムされている、いわゆる犯罪系AIというやつである。すなわちワハが殺したのは人間ではない。人格的には。
「生身のAI? どうりで違和感が……って、おいっ!? それなら首を刎ねちゃダメだろ! 取り返してやらないと、身体を!?」
「……あれは良いのよ、特別だから……って、ねえ、話、聞いてた? そもそも、なんで機械の身体のあんたがおとりをやれるのかって?」
 手遅れ、という言葉が脳裏を過る。石田彰夫。その元の人格は既に始末され、肉体だけがこの世に残っている。そういうことなのだろう。敵も元の身体の人格である俺を始末しにくるのだ。だから俺がおとりに成り得るのだ。気づくなり暗澹たる気持ちが俺の機械の胸の内を這ってくる。
「いや、でも、それでも石田の身体は――」
「おしゃべりは終わり。頃合いみたい」
 ワハが唐突に俺の知覚外に消えた。それでも室内にはいるのだろう。ここまで見事に気配を断てるとは忍者ボディの性能の高さに舌をまく。データを見れば我が家はもう十分な距離を移動していた。一人暮らしのキャンピングカー、一LDKでトイレとバスは別々。広さもそこそこ。自動運転で走るその車両はいかにも一般的で、つまりは賊の襲撃など想定していない。当たり前ではあるけれど、防弾も防刃も施されていない。
「……なあ、マジでくるのか?」
「人格だけになった人間は一度見失ったら探すのが大変だからね」
「だからって……今日の、今日? こんなにすぐに?」
「たぶん、ね」
「たぶん……かよ」と悪態をついた瞬間である。走行中の我が家が危機を知らせてきた。緊急警報。このタイミングで交通事故の可能性は低かろう。つまりは敵襲である。「まさか?」と声に出すまでもない。案の定、三方から飛びついてくる人型サイズの障害物の存在を衝突センサーが知らせてくる。
〈ドアを開けて! 玄関も、寝室も、全部!!〉
 姿の見えない影が音声をオフにし、目に見えない信号だけでコンタクトしてくる。
〈開けて大丈夫なのか? ヤバい奴らなんだろう?〉
〈奥へ。きみは奥の壁に背中を張りつけていて!〉
 ワハの言葉に有無を言わさぬ力強さを感じられた。俺は心中穏やかでないものの、ともあれ想定外により指示に従えぬ現状を伝えぬわけにもいかない。
〈……悪い。ドアを……開けられないんだけど?〉
 アイトラッキング。己の城はこれまで全部それで操作してきた。視線一つで。しかし今はロボットの身だ。目が、瞳が、ない。ゆえに思うまま我が家を制御できないことを俺はたった今知った。
〈アイトラ相当の信号を出すだけじゃない!〉
〈いや、そうは言っても、まだこの身体がうまく使えなくて……」
〈っとに、なにやってんの!?〉
「代体を使うのが、これがはじめてなんだよ!」
 これまで定期健診を受けている間、俺は人格情報のまま実体を持たず、電子の海を泳いで待つこともっぱらだった。不眠不休でも疲れないスペシャルタイム。栄養補給も不要。電力さえあれば無限に活動できた。代体を駆使した活動はレンタル費用がかかるため、ゼロと一の身体のままで動画編集と情報収集に勤しんできたわけだ。すなわち代体の扱いに殊の外なれていない。
〈ああ、もう!? きみは奥へ引っ込んでいて! ドアは二つとも僕が開けるから!!〉
 頭の中に直接叩き込まれる叱責、弾かれるようにして後方へ転がった。ワハによって開かれた車のドアと寝室のドア、俺は入口から最も遠い最奥の壁に背を預けに走る。
 再びのアラートが冷たい空気を切り裂き、遂に不法侵入を告げてくる。刹那、三つの影が飛び込んできた。そのまま俺へまっしぐら。慌てて両の拳を構えるも己の四角い指が視界に入り、たちまち戦意を削がれてしまう。この身体で、このスペックで、襲撃者らに勝てるわけがない。眼前に迫る三つの影は間違いなく代体で、それもかなりの性能だと窺い知れる。
 三角形、凸、魚鱗。リビングを抜け、寝室へ突入してきた襲撃者ら三人が組んでいる陣形だ。張り出した前衛の一人が俺まで二メートルまで一気に詰めてくる。そこで急に横へ弾けた。ワハだ。一瞬の間をおいて後衛の二人もベッドの脇に崩れ落ちる。彼らからしたら なにが起きたのか、まるで分からぬ始末であろう。
「……すげえな、おい?」
「まっ、スペックが違うから。僕やリジと張り合おうなんて一〇年早いよ」
 神出鬼没。音もなく姿を現わした黒装束の忍者は、動かなくなった襲撃者らの代体をひっくり返したりなんだりと早速あれこれ忙しくする。
「……なんか、こう……拍子抜けだ」
「なにが?」
「映画とかドラマだと、あんたが仕留め損なった一人が俺に突っかかってきて、それを俺が……みたいな?」
「次があれば、そうしてみる?」
「いや、遠慮しとく……」
 会話しながらも手際よく作業を進め、漆黒の影はものの数分で襲撃者ら三体の代体を解体し終えた。敵の人工人格はセキュリティをかけて無力化したのだろう。あわせて信号の逆探知をして身体拾いらの拠点の割り出しをも行っているようだ。
「さあ、それじゃあ行くよ。行き先を『トイランド』に設定して、っと」
「……当選もしてないのに俺の行き先を勝手に決めるなよ」
「んっ? なにか言った? ちゃんと信号でも送ってよ。音声だけじゃなくてさ?」
「いや、なんでもない。それよりわかったのか、敵さんのアジト?」
「まあね。逆探先はリジの追跡ログとも一致してるから間違いない」
「……っで、もしかしてこのまま突入するのか?」
「まさか。そっちはまずはリジに偵察を任せるよ。きみには、一度、なる早でクルティウスの本部に来てもらわないといけない。人格防護障壁を張らないといけないから。あとは、まあ、身体も……そのままじゃあ、ね?」
「そいつは助かる。今はもうESP映えをどうこう言ってる場合じゃないから。今のうちに戦闘に向いた身体に替えておきたい」
「それを聞けてひと安心だよ。もしかして趣味なのかも? って、ちょっと心配してたから。骨董品マニア、とか?」
「そんなわけないだろ!?」
 タイヤが悪路を跳ねる。俺の家はガタゴトと揺れながら進んでいく。人口減少により日本には道路整備もままならなかった時期があった。そうした労力不足を補ってくれたのがロボットと人工人格である。彼らなくして、もはや社会は機能しない。人間は今や彼らが整備してくれるインフラの上を走るのだ。
「ところで今さらなんだけど……ワハってもしかして、女?」
「はあっ、今さら!? 当たり前じゃない! きみ、僕をなんだと思ってたわけ?」
「年齢性別不詳の黒忍者……って、ちょっと待てよ! 個人情報がまったく開示されてない上に声は機械音声で、一人称が『僕』なんだぞ?」
「それは個人情報の……セキュリティの関係で……」
「にも関わらず、だ。なんとなくのニュアンスから感じ取って女だと当てた俺、むしろすごくないか? 責められるいわれはねえだろ?」
「……そう言われてみれば、そう……かも? まあ、いいや。とりあえずハックされたら怖いからちょっと黙ってて。防護障壁を展開するまで、これ以上の余計な詮索は禁止。情報はあとで開示するから」
「お、おう……」


006

「ここが本部、だって?」
 どう見ても子どもの遊び場だ。オレンジ色に陽の傾きかけた空に高く掲げられた『トイランド』の看板もカラフルでファンシーである。傍らに立つ暗い影との不似合いさといったら。しかし、じきに夜が訪れる。忍者の時間が。
「……しっかし、でけえな」
 一五三号という道路が走っていた頃、ここは世界最大規模の家具量販店であったという。大型ショッピングモールに匹敵するサイズの倉庫一体型の大規模店舗、それを買い取り、表向きはトイメーカーとして、しかして裏は、地下は、私設武装組織クルティウスの本部として改装したらしい。ピンク色のお椀を逆さにしたようなドーム状の屋根の上には長い耳が二つ生えている。ウサギを模した建屋の、その口の部分が出入口だ。開かれた自動ドアの奥に覗ける部屋のそこここに、オモチャ、オモチャ、オモチャである。
「ほら、こっち」
 見るものすべてが新鮮な俺を他所に、ワハがずんずん進んでいく。オモチャの間を真っ直ぐに突っ切って。漆黒の影の不可視の手に引かれるようにして後へ続くも、どこを見ても色とりどり。カラフルな玩具の数々に興味を惹かれずにはいられない。
「いろいろあるんだな?」
「まあね。子どもの夢の数だけ、ってとこかな?」
 随分と歩いて到達したのは一番奥に配された従業員トイレだ。その脇にある掃除用具入れの前で黒装束の忍者が足を止める。周囲にワハ以外の人影はない。というか、ここまで一階フロアのどこにも生体反応が感覚されなかった。トイランドのファースト窓口は機械応対のようだ。人が出てくるのは、その後、と言うことであろう。
「一回で覚えてね?」
 録画機能をすぐさま作動させる。機械の身体だからこそ可能な芸当である。俺の準備が整っていることを確認するなり、ワハがとてつもないスピードで用具を出したりしまったり、あれこれと忙しくする。最後にバケツを持ち上げ、元あった場所へとおろせば、カチッという音もなくシームレスに掃除用具入れの奥の面が左右に割れた。大人が一人通れんばかりの隙間、その向こうへ黒ずくめの影がするりと滑っていく。
 ……これ、生身の人間には突破できないだろ?
 内心で漏らさずにはおれない。さすがは警察の力も借りず、独自で身体拾いを壊滅させようという組織の秘密基地である。俺も遅れずロボット忍者に続き、闇に吸い込まれていく。進む先は下り階段だった。二段ほど踏み降りると背後で扉が閉まるのが闇の深まりでわかる。隙間は完全に閉ざされ、光が欠片も届いてこない。掃除用具入れは掃除用具入れに戻ったのだ。俺の身体はフルオートで暗視モードに切り替わり、赤外線で世界を視る。階段はすぐに終わり、その先には二基のエレベーター。
 ……だから、これ、生身の人間には突破できないだろう?
 ワハが電子干渉してエレベーターを操作する。生身の人間で言うところのアイトラッキングのようなものだ。しばし待てば片側のエレベーターが開き、二人して乗り込む。
「こんなもん、よく作ったな……」
「でしょ? 僕もそう思う」
 ワハは迷わずBの二八を押した。高速エレベーターが地下へ沈む動きを感じさせぬよう、それでいて超スピードで降りていく。機械の代替がセンシングする現在高度の凄まじい数値変化のみが俺に落下中である旨を知らせてくる。
「着いた。ここよ」
 扉が開く。ワハの背に続けば、まさしく秘密基地めいた本部であった。今度は照明がついている。明るく、しっかりと。それでいて一階のファンタジーさやメルヘンさが欠片もない。ラボと称するのが最も相応しい。そう感じるフロアであった。白と灰を基調とした無機質な空間は端から端まで一本の直線通路が走り、両側に透明なパネルで大小様々の部屋に区切られている。中にはそれぞれ電子機器や某かのレーダー類が配されており、フロア全体の広さは俺の代体計測でおよそ千畳ほど、まるで体育館だ。
「千畳敷に寝ても畳一枚……ってな」
 ざっと見て八人なのか八体なのか、部屋を移動する人型の存在が感覚される。視界情報として捉えてみれば白衣を纏う科学者然としたその者たちの姿に、俺は地下室の広さ以上に驚愕させられる。
「さあて。さっそく、きみに――」
「おい、待て! あそこ!! なんで石田がっ!?」
 石田彰夫、忘れもしない数時間前に首を落とされたあの男である。それが歩いている。それも八人も同時に。瞬時にこの身に浴びた鮮血が思い起こされる。
「……どういうことだ? あれは人間モデルの、代体……だったのか?」
「ちょっと違う。あれは生身といえば生身だから。でも違う」
「まさかクローン? 実在……してるのか? そんな技術が完成されているのか?」
「それも微妙なところかな?」
 石田彰夫は細胞のコピーに成功した唯一無二の肉体だという。石田以外のコピーは未だ成功の兆しすら見えないらしい。記憶の操作と並んで禁忌の研究と呼ばれるものだけあって、少なからず妨害もあるのだろう。石田一人だけとはいえ、それを成功させられたのは奇跡にちかい。そのうえでしかし、そんな石田も人格までは再現できていないという。コピー元の石田彰夫の人格は元より、どれだけ複製を重ねても出来上がるのは空っぽの器だけ、そこに新たな意志が芽生えることはないそうだ。
「……空の肉体だけ量産可能、ってことか?」
「量産っていうほどには無理だけどね」
「んっ? 待てよ? その石田某の身体が、なんで敵さんの側にもあったんだ? 盗まれたのか? マダムタッソーとか言う奴らに?」
「……まあ、そんなようなところ。いろいろあるのよ、そこも。いいから。ともかく早いところ人格防護障壁を展開してもらってよ」
 光沢のある滑らかな床の上を漆黒の影が変わらず音もなく進んでいく。他の八人、つまりは石田ののっぺり顔をした彼らは、それぞれの部屋で、それぞれに、研究あるいは仕事をこなしている。俺たちに見向きもしない。ワハはそのままフロアを奥まで進み、通路の左手にある一ヶ所だけモザイクパネルで仕切られた不透明な部屋のドアを開ける。中へ入れば他に誰もいない。
「しっかし防護障壁……ねえ? 人格を守るファイアウォールみたいなもんだろう? いるのか、そんなもん?」
「いるに決まってるじゃない。生身ならいらないけども」
 どうにも人間の人格、精神と身体というものは見えない糸で繋がれているらしい。ワハが言うには、生身の身体に人格がインストールされている場合、その結合力から乗っ取りはほぼ不可能だと言う。
「なんでだ? 代体だって同じだろ? PMSの三原則ってのによれば、なんであれ人格がインストールされていれば乗っ取れないんじゃないのか?」
「普通はね。今の代体の性能なら素人が簡単に乗っ取れはしないし、事故もよっぽど起こらない。でも今回みたいな場合は別……」続ける一文を漆黒の影は殊さら噛んで含めるよう、強く、ゆっくり口にする。「あからさまに、悪意を持って、狙ってくる、ヤバい相手がいる場合は、別」
「……なるほど。って、んっ? でも、それなら逆に生身でも一緒じゃないのか? 狙ってくるマダムタッソーとかいう奴ら、生身を乗っ取ったりはしないのかよ? それとも生身にも障壁ってのを張る必要があるのか?」
「生身のハックはさすがに聞いたことがないかな? 生身には自然と人格を守る防護障壁が展開される、って説が今のところ有力らしいけど。逆に公にはされてないけど、代体のハッキング被害ってのは実はそれなりに起こってるんだ」
「……起こってるのかよ……やっぱり?」
「ああ。やっぱり、じゃよ」
「おわっ!?」
 不意にどこからともなく声が聞こえてきた。ワハではない、男の声。それも肉声だ。ステレオタイプの老人的な話ぶりの。視線を彷徨わせれば部屋の片隅にデスクに隠れる小柄な輪郭を視認できる。些かの違和感もない。どこからどう見ても博士、といった博士然とした老人である。第一印象はフクロウ。大きめの頭部のインパクトに比べ、身体は華奢で存在感が薄い。頭頂部は綺麗に禿げ上がり、残された両サイドは総白髪なるも、そこはかとなく愛嬌のある風貌である。
「シヒじゃ。よろしくのぉ」
 名乗った老人は無数の皺を刻むその丸い面に無邪気な子どものような笑みを浮かべてみせた。表情が刻まれると尚さらで、もはや首から上の球体のみが彼といった印象である。
「……よろしく。って、えっ? 九人目? なんで?」
「生体センサーに感知されないようにあれこれしてるのよ、シヒは。これでも天才なんだ。それも世界屈指のね。同時に変人界の世界ランカーでもあるんだけど」
 困惑する俺へ助け船とばかり、漆黒の影が肩を竦めて答えてくれる。俺、ワハ、八人の石田、そして感覚できないシヒ。他にはもう、この二九階フロアに動くものは存在しないだろうか。
「世界屈指の天才、ねえ……それで、あんたは? どっちだ?」
「わしは生身の人間じゃよ。人格も肉体ものぉ。生まれたまんまのナチュラル、ボーントゥビーワイルドじゃ。ところでおまえさん、生身のAIの反対って、なんて言うと思う?」
 生身のAI、生身の身体に人工の人格。その逆となると機械の身体に人間の人格、つまりは代体を利用している今の俺を指すのか。しかし。
「……考えたこともなかったな。生身のAIの逆……機械の人間、ってとこか? でも、なんか微妙だな……しっくりこない」
「じゃろ? 機械の人間って……なんとなし微妙じゃろ? のぉ?」
 どうにも人懐っこい眼前の老人、どこかで見たことがあるかと思えば、ひさしく呼び出していない情報支援ガイド知能である。全体的にコミカルで、フクロウ似。今にも悪態をつきそうにありながら、しかし憎めない。そっくりだ。思い出したが吉日、そこでフクロウの表示をオンに設定し直す。呼び出すなり、くるくると首を回して飛び回るそれは、やはり目の前の老人に似ていた。
「んっ? なんじゃ? どうかしたか?」
「いや、どうにも見慣れてるわけだと思ってさ。まあ、なんでもない」
「んんっ? なんじゃ、おかしなやつじゃの? まあ、ええ。それで、じゃ。機械人間なんていうとな、どうにも人工知能みたいじゃいないか? のぉ? それこそAIを指しているようであって、とても――」
「シヒ、そろそろ無駄話は止めて。さっさと彼に防護障壁を張って」
 ワハに遮られたシヒはまだまだしゃべり足りないと言った様子を隠そうとせず、しかし本人以外不可視のコンソールを宙空に引っ張り出しては命令を入力する。少し先の無機質なフロアが音もなく割れ、下から人一人が入れるくらいの透明な筒が出現する。
「おおっ、まさしく秘密基地って感じじゃねえか!」
「じゃろ? ロマンじゃろ?」
「人が乗り込めるくらいの巨大ロボットが地下から出てきたらアツいな!」
「おまえさん、話がわかるじゃないか! 実はそういうのも考えて――」
「いいからさっさとして! いつの時代のアニメの話してんのよ、馬鹿馬鹿しい。何事も大きけりゃいいってもんじゃないでしょうが!!」
「……っとに、うるっさいのぉ? わかった、わかった。すぐやるわい。ほいほい。んじゃ、まあ、おまえさん、あの筒に入っとくれ?」
「PMS? ……先に身体を変えるのか?」
「いんや、これは人格転送の装置ではないぞ。人格へ防護障壁を張るためのものじゃ」
「そっくりだな?」
「まあ、見てくれに凝る必要もなし。同じ者が作れば同じような形になるわい」
「なるほどねえ……っで、防護障壁だっけ? 人工の? それって本当に大丈夫か? 生身くらいの防御力が出せるのかよ? てか、そもそも全然聞いたことないんだけど? 危険とかないの?」
「危険はない。作った人間が天才じゃからな。防御力に関しても人体に入ってる時の人間の脳波に似せて作っておるからのぉ。同等と思ってくれて構わんよ」
「……構わんよって言われてもなぁ。まあ、いいか」
 筒は近づくと自動ドアのように湾曲した透明な壁面を左右に開き、俺が中へ入ればすぐに閉じた。直後、異変を感じなかったのは機械だからだろう。気づけば少し浮き上がっていた。それを数値の変化でようやく知った。生身であればおそらく、ふっと浮いたような感覚を味わったことだろう。
「……んで、俺はなんかすることあるのか?」
「ないわい。っというか、もう終わったしのぉ」
「えっ、もう?」
 あまりに手軽、逆に強度が心配になる。ゆるりと着地して筒から出るなり口を開こうとすれば、即座にシヒに遮断される。
「何事も時間をかけりゃいいってもんじゃない、からのぉ? なによりわしはここのメンバー全員の障壁を一人で張った身じゃぞ? そう、たったの一人でじゃ。何人いたと思う? それこそ手慣れてもくるわい。まったくこの老いぼれを、まあ……人使いの荒いやつじゃて、おまえさんは」
「いや、俺じゃねえだろ!?」
 眼前のフクロウめいた老人に反論しながらも俺は後方でドアが開き、移動体が二つ部屋に入ってくるところを背中で感覚している。まったく代体、機械の身というのは便利なものだ。センサーがあちこちに埋め込まれ、生身では到底把握できない情報まで捉えてくれるのだから。反応の一つは生身だった。残る一つは先ほどまで傍らにいたはずの黒装束の影と同一。いつの間に外へ出ていたのだろうか。
「あんたたち、いつまで馬鹿やってんの?」
 聞こえてきたのは女の肉声である。振り返れば二〇代前半、いや一〇代か。若い女が立っている。ピンクのタンクトップに迷彩柄の短パン、それこそまるで古典アニメに出てくるステレオタイプのレジスタンスガールである。明るい髪は短く、それでいてボーイッシュでない。気が強そうでありながら目は切れ長ではなく丸く、快活であろうことが一目でわかる。生命力に溢れた野性的な瞳だ。
「……ええっと? なあ、じいさん……誰だ?」
「なんじゃ、わからんか? ワハじゃよ?」
 絶句した。そういえば障壁を張る云々の際、あの影のような忍者の姿が一時見えないタイミングがあった。本体と言うべきなのか、いつの間にか生身の身体に人格を戻していたわけか。
「じゃあ……代わりに、そっちは?」
「んんっ? どっちじゃ?」
 生身のワハと代体の忍者、二人が快活にハイタッチし、そのままくるくると回って位置を入れ替えてみせる。まったくややこしい限りである。同時に改めて眼前のロボット忍者の性能に驚かされる。人間と並べてみても、いや並べてみてこそ、まるで遜色ない。滑らかな体重移動、シームレスな関節駆動、まったくもって生身相当である。身体が身体だからか、その中身も人工人格というよりも人間であるように感じられる。これが現在二体のみ存在するという、スーパーボディか。
「ワハよ。改めて、よろしく」
「諏訪花(すわはな)よ。改めて、よろしく」
 僅かな時間差で二人の手がすっと伸びてきた。漆黒の影がワハの呼称を引き継いでいる。生身の方は本名なのだろうか、花と名乗った。
「……なにがなんだか、俺にはもうわからん」
 どちらともの手を己の巨大な手で恐る恐る握り返せば、そこへ甲の皺の目立つ小ぶりな手が遅れて差し出されてくる。
「小林弘親(こばやしひろちか)、シヒじゃ。改めて、よろしく……のぉ?」
「ああ、よろしく」
 まさかしかし、この黒装束を駆る凄腕操者がこんなにも若かったとは。なんとなし年下だとは思っていたものの、ここまでとは予想していなかった。それこそ十歳は離れている。花は身長は高くなく、また細身であった。しかし情報支援ガイド知能のセンシング結果によれば覗ける腕や脚は華奢というわけでもなさそうだ。数値から見れば筋量などは並の男を上回る運動性能だと伺える。伊達に忍者よろしくの代体を操作してはいないと言うわけか。
「何事も大きけりゃいいってもんじゃないでしょうが!」
 突然の後ろ回し蹴り。それも俺との身長差を埋めるべく、跳躍しての。じゃじゃ馬にも、さらには無鉄砲にも、程があろう。一体どうして蹴られなければ、ならないのか。なにより生身で機械を蹴りにくるとは一体どうした了見なのか。直撃しても痛くも痒くもないにも関わらず、俺はどうにか上体をそらして彼女の足をやりすごした。受け止めてしまえば、あちらが負傷しかねない。
「ちょっ、なんだよ! なんのつもりだ!?」
「それはこっちのセリフだ、このド変態!」
「はあっ!? おいおい、いきなりなんで喧嘩腰なんだよ!」
「初対面の女の子の身体をセンシングするだなんて、なに考えてんだ!」
「……えっ? あっ、そういう? いや、違うぞ!? それは違う! 誤解だ!! センシングはオートで、ジジイが勝手に!?」
「おいおい、いきなり随分な物言いじゃのぉ? わしはなにもしとらんぞ?」
「いや、あんたのことじゃねえ! さすがに俺も初対面の相手をジジイ呼ばわりはしねえよ。ジジイってのは俺の視界の端っこの、フクロウに似た……って、クソっ!? ややこしいな!!」
 即座にオートセンシングをオフにした。明示的に。同時に『なるほど』と花の怒りの原因がセンシングでなく、純粋なカメラ機能、視覚情報から察せられる。数値ベースで計測しておらずとも『理由』はなんとなし伺い知れた。要するに彼女自身のコンプレックスだということだ。
〈その手の話題は口にせん方が無難じゃのぉ。映画でも小説でもゲームでも、そういった表現は暗に禁止されよる。ジェンダー云々は欠片でも臭わせれば炎上必至、今は平成の頃のようには許されんぞい?〉
〈うるせぇ、わかってるよ!〉
 呼び出すべきじゃなかったか。さっそく後悔しながらも俺は己の内側で久々に情報支援ガイド知能と言い争う。頭の中でうるさくて敵わない。しかし、無論、周囲には聞こえていない。
〈っていうか、そもそもおまえが原因だろ! この、クソジジイ!!〉
〈濡れ衣も甚だしいのぉ。諸々の設定を決めたのは、お前さんじゃろう?〉 
〈うるっせぇんだよ!〉
 まったく自動センシングとは余計な支援をしてくれたものである。そのくせ肝心な花のスリーサイズが入手できていないときた。これでは怒られ損にも程がある。
「……っていうか、んっ? ちょっと待てよ? そもそも生身でセンシングされたかどうかなんてわからないだろう? 言いがかりじゃねえか!」
「わかる! どう見てもいやらしい顔してた!! 僕にはわかる!」
「してねえって! いやらしい顔って、悲しいかな、どこをどう見てもただの四角い鉄の塊だろうがよ!! 今の俺に表情なんてねえよ!?」
 声を大にして抗議するなり唐突に視界が回転した。座標を示す数値が前後左右上下と入れ替わり、すぐには己の状態が把握できない。一体なにが起こったのか。
「僕からはセンシングの痕跡がはっきり見て取れるんだけど?」
 直後、視界の九割を埋めたのは黒金の面である。その向こうに覗ける天井により、俺は己がひっくり返されたことを知る。合気道よろしく投げられ、仰向けに倒されたのだろう。
「……色眼鏡で決めつけんなよ、ワハ。そりゃあ言葉のあやってもんだ。おまえ、高性能なんだろう? だったら、ちゃんと解析しろよ。オートセンシングは指摘されてすぐにオフにした。っで、その前に感覚し、はからずも俺が見ちまったデータは、花の手足の筋量バランスとかそんなものだ。変な数値じゃあねえ」
「ふうん。たしかに、嘘ではないみたいね?」
「……だろ? 無実だっての。しっかし驚いた。やっぱり、とんでもねえスペックだな? こっちも代体だってのに接近をまったく感知できなかった」
「驚いたのは、こっちだよ。まったくとんでもないド変態ね。筋肉量を知りたいだなんて。想像の斜め上。おかしな性癖ね。なにフェチなの、それ?」
「違うっての!? 性癖目線でセンシングしてねえよ! 自動で、勝手に、って言ってるだろうが……って、ワハ、おまえ、それもわかってるだろ!?」
 声を大にして抗議する俺を黒ずくめの忍者がなんの気なしに片手で引き起こす。どうにも嵩のある重厚感たっぷりの、俺を。どうやらレスポンスだけでなく、このロボット忍者、単純な腕力にも優れるらしい。恐るべき性能だ。
「ありがとう、ワハ。あとは僕がやっておくから、あっちをよろしく」
「了解。でも気をつけてね、花。彼、思いのほか変態みたいだから……」
「だから違えって言ってるだろうが!?」
 撓むことすらない鉄仮面に表情が浮かぶことなどありはしない。しかし、どうしてか、その去り際の瞬間、不意に俺にはワハが少し戯けて見せたように感じられた。
「さてさて、それじゃあ、まあ……ええっと、なんじゃ? わしはこういうのは得意ではないんじゃが、そうじゃのぉ……二八、二八、ジュ……ニヤ、ジュニヤ。よし、ジュニヤとでもしておくか? ジュニヤには晴れて障壁を張れたってことで、ちょろっと詳しい今後の話を共有していこうかのぉ?」
「ジュニヤ? ……おい、シヒのじいさん、それはまさか俺が二八歳だからか? それで、そのコードネームか?」
「いんや? 往年の、あの巨大ロボットの、二八号から取ってじゃ?」
「なるほど、気にいったぜ!」
 シヒへ大袈裟に親指を立てて見せれば、俺の後頭部にあたる鉄板部分を花が音が鳴るほど掌で叩いてくる。
「二人とも馬鹿やってないで、もう一つ下へ行くよ」
 ジュニヤ。俺のアダ名もといコードネーム。なんとなし『Jr』が想起され、シヒに息子として扱われているような気がして変な感じもするけれど、思った以上に悪くなかった。それどころか、かつて呼ばれた経験でもあるかのようにしっくりくる。もちろん日本人の俺はこれまで実の両親にすら、そんな名で呼ばれたことはないけれど。
「遅いってば!」
「ほいほい。今、行くわい」
 不意に頭の中で通知が鳴った。二〇時を告げるアラームだった。今朝は目覚ましが鳴る前に起きたため気づかなかったけれど、どうも午前と午後を間違えてセットしていたらしい。打ち合せの日であれば危うく大遅刻をかますところだ。
「……って、まだ二〇時? 朝起きてからまだ半日しか経っていないのか?」
 急転直下あるいは電光石火、あれよあれよの一日である。三ヶ月分を一日に凝縮して働いたかのような。気を抜けば人格が揺らぎ、目眩いがする。とはいえ、ひとまず防護障壁までは張れたらしい。これで、いよいよ、あれこれ質問させてもらえるのだろうか。未だ現状把握には遠く、俺は思考を整理できずにいる。肉体を失ったという事実すら本心ではまだ受け入れられていない。ここまではバタバタによって気を紛らわせてこられたけれど、これから改めて現実を直視するとなると少々怖くもある。
「んっ? おい、どうした? ジュニヤ、おまえさんもじゃぞ?」
「……ああ、わかってる。今行くよ」
 先を歩む二人の背を追い、俺は、理由もわからぬまま、理由のわからぬ、誰の作ったのかも知れぬ組織の、秘密の基地を、底へと進む。不恰好な鋼の身体を引いて。不安がうねうねと渦を巻いていた。とはいえしかし、もう引き返せないであろうことだけは確信としてこの機械の身の内に浮かんでいた。やればできるよ、のびる君。そう、やるしかない。


007

  部屋の中に部屋が、箱の中に箱がある。エレベーターを抜ければ奥の端まで見渡せた。今度は直線だけでなく、四方八方が。広さは先ほどと同等であろうか。それでいて開けたフロアだった。地下三十階にはなにもない。先ほどのフロアが研究所ならば、こちらは実験場といった様相だ。十メートルはあろうか。クリアでありながら耐久力の高そうな分厚い透明の壁が、部屋の内側にさらなる部屋を築いている。
「……こりゃあミサイルにでも耐えられそうだな、おい?」
 なんとなし機械の拳でガラスのような壁面を叩いてみれば、意外や意外、コツコツという音は返ってこなかった。反発も反動もない。
「核爆発にも耐える代物じゃよ。両面とも最外層はジェル状の衝撃吸収材になっておる。その一つ内側に強化ガラスが、さらに内側に液体金属、さらに……っという塩梅でのぉ。この分厚さをもってして内外を完璧に隔てておるわけじゃ」
「出入口は……って、おいおい? 左右に開く……自動ドア?」
 一階にあった掃除用具入れを思い起こされる。一切の隙間を作らず、ぴしゃり。光すら遮断するそれの接合部は、あるいは、このジェル状の素材によるのかもしれない。一体どういう仕組みになっているのか。
「……開けゴマじゃあるまいし、嘘だろ? 十メートルの厚さの壁が動くだって?」
「どうじゃ? 驚いたか? しかしそれよりもわしが気づいて欲しいのは、この壁の透明度じゃがのぉ。これだけの厚さにありながら向こうが完全に透けて見える。これがわしの腕、というわけじゃ?」
「……まさしく秘密基地って感じだな」
「じゃろ? このフロアも上のフロアもその他もどれもこれもわしが作ったんじゃ。すごいじゃろ?」
「作ったシヒのじいさんもすごいけど……これだけものを作れる財力にも驚かされるよ。貧乏暮らしの身としてはな」
 なにやら自慢げな老人の背に独り言ともつかぬ調子で投げ掛けた俺の言葉は、その傍らを歩く小柄な女の子から跳ね返ってきた。生身の二人が先を進み、代体の俺が後に続いている。部屋の中央を目指している。
「宝くじ。当初の資金源はね。リーダーのリジが当選金を元手に事業展開して、今ではトイメーカーとして成功して――って感じ」
「宝くじ?」
 花の言葉に耳を疑い、思わず聞き返した。「俺も買い続けている、あの?」と内心で続ける。一体どれほどの運に恵まれれば、POTO六六六に当選できるというのか。そういえば、と思い出す。十年くらい前、一度、当選者が出たとかなんとか。まさか当選者が実在し、しかもこんなところにいただなんて。
「あっ、でも、勘違いしないで。もちろん運じゃないから」
「……嘘だろ? ハッキング? いや、シミュレーション? 予測か? でも、六六六桁だぞ? 可能なのか? 当選番号を知ってるとか、そんなレベルじゃないと無理だろう?」
「……まあね。それでも狙って当てられる人がいるのよ、この世には」
「マジかよ? ……えっ? じゃあ、もしかして?」
「胸くそ悪いが、わしにはできん芸当じゃよ」
 俺の視線と期待を背に感じ取ったのか、シヒがそこで振り返らず答える。
「いくら史上最高の天才とて、あれのハッキングやら改竄は不可能じゃ」
「……史上最高の天才……って自分で言うのかよ? っていうか、その天才をもってして無理だってんなら、そりゃあ不可能ってことじゃねぇのか?」
 ここのリーダーはまさかシヒ以上の天才だとでも言うのか。はたまた別のからくりがあるのか。俺が機械の首を捻っていると花が話を本筋へ引き戻す。
「それも、まあ、おいおいね。さて、それじゃあ少し話をしよっか? あっ、そうそう。安心して。ここはこの建物の中で一番セキュリティの高い部屋なの」
 だろうな、と思う。この分厚い囲いの中であれば、よほど情報漏洩はしまい。外部からの電子干渉もあらかた不可能とみえる。
「よっしゃ、よっしゃ。そうじゃな。まずは作戦を立てねば。こやつを餌にして、どうやってあのドクサレどもに一泡を吹かせてやろうかのぉ?」
「……じいさん、直球すぎだろ? 餌って……まあ、実際そうなんだろうけど。とりあえず、なんかもういろいろ最初から説明してくれよ」
「そうね。じゃあ、最初から――」
 およそ三四年前、二〇三九年に最初の一例目の成功をおさめたというのが今や知られるマインド・アップローディングという技術である。
「はっ? 最初って、そこからかよ?」
「いいから聞いて」
 そのときの研究チームの一人に数少ない日本人研究者として、小林弘親が参画していた。
「マジで!? じいさん、そんなにすごいやつだったのか?」
「なんじゃい、その驚きは!? 史上最高の天才と言うとるじゃろう!」
「そんなもん真に受けるわけないだろ!」
「だから話の腰を折らないで、ちゃんと聞いて! シヒも黙ってて!!」
 そこから六年後、すなわち二八年前。シンギュラリティと目された年にして俺の誕生年。そこで時を同じくして誕生したのが『マダムタッソー』だという。チームメンバーは小林弘親『親子』をはじめとしたマインド・アップローディングの第一人者たち。
「えっ? じいさん、悪者なのか?」
「だ、か、ら、黙って最後まで聞け!」
 動きはじめた研究者チーム。無限大の可能性。莫大な財力に支えられた恵まれた環境。各国から集められた天才らは勢いづき、そこからオリンピック周期の四年後、二〇四九年に人格転送システム『PMS』が一般サービス化されるに至る。同時に小林弘親が組織の向かう方向に不穏さを感じるようになったのも、この頃だという。
「マジかよ……PMSつくったの、じいさんなの?」
「わしだけの力ではないがのぉ。とはいえ、わしがいなくては、これほど早くは完成していまいて。なにせ天才じゃからのぉ」
「こんなじいさんがなぁ……いよいよ世の中わからんもんだ」
「うるさいわい!? っといっても、わしらは、まあ、オマケじゃったがのぉ……」
「はっ? なに? もっとすげえ天才がいたのか?」
「いや、あれは……天才とはちぃと違うな。知能もわしら研究者にはまったく劣る。しかし、なんというのか……確信、というのか……のぉ?」
 シヒの老人が言うにはマダムタッソーには一人の絶対的なリーダーがいたそうだ。クザンと名乗った彼は賢いとかではなく、彼自身にも原理不明でありながら、なぜか常に確信めいた発案をし、チームを牽引したらしい。
「自分にもわからない? なんだそれ? 占い師とか、そういう類いか?」
「わからんかったのは、わしらも同じじゃて。クザンの言葉は常に『新しいものを発明する』という感じがしなかったんじゃよ。まるで知っているものを説明するかのような、そんな口ぶりでのぉ」
「いや、でも、さすがに自分ではわかってるはずだろ? 理論とか、なんとか? こうすればPMSが完成するはず、とか?」
「ジュニヤ……じゃあの、おまえさん、時計を作れるか? ひと昔前の、デジタルでなくクラシックな、針が回るやつでいい。あれがどんな仕組みで、どんな部品から構成されているか、知ってるか? ゼロから時計を作れるか?」
「えっ? いや、それは……」
「じゃろ? しかし時計の形は知ってるじゃろ? イメージはできるじゃろう? デザインはさておき、基本は円形で一から十二までの数字が盤面に配され、長針と短針が回る。さらには秒針があるものもある」
「……それが、どうしたんだよ?」
「そんな感じだったんじゃよ。クザンのやつは、こうなるはず、こうできるはず。その確信だけがあったんじゃ。まるで未来でも視えているかのようにのぉ。しかして技術者や研究者でないあやつにはそれがなぜか、どんな理論で、どうしてそうなるのか、そこがわからん。まさしくブラックボックスって感じでの」
「……つまり、絶対こうなるはずだから、そうなるように作ってみてくれ、ってことか?」
「そういうことじゃ。あやつの完成イメージからわしや彰夫が逆算して理論を構築したんじゃ。わしらでは到底たどり着けなかったイメージをあやつは確信とともに持っておった。普通なら荒唐無稽と受け止められるそれなのじゃが、なぜだかどうしてクザンの言葉には妙な説得力があってのぉ。そして本当にそのとおり完成してしまった」
 けっきょくそのクザンを名乗る者の顔をシヒは最後まで見ることができなかったという。常にマスクで顔を隠し、夏でもすっぽりとフードをかぶり、肌の露出はゼロ。音声もマスクで変換されていて、実際のところ男なのか女なのかすら不明なのだそうだ。
「……ようやく完成したその技術を悪用して、そのクザンとかってリーダーが身体拾いをはじめたってのか?」
 シヒは俺の問いには答えず、遠い目で無機質な天井を見上げている。やれやれと肩を竦めた花が代わりにあとを拾ってくれる。
「簡単に言えば、そういうこと。メンバーを誰がどう集めたのかは今となっては不明だけど、世界的規模で編成された天才科学者集団マダムタッソーは確立したPMS技術を世界へ普及するために無償でバラ蒔くと、突如、解散したの。それを受け、そこここの企業が競って応用方法や付随サービスの開発を行い、今に至ってる。そして表向きは解散したマダムタッソーの一部のメンバーは、そのまま秘密裏に新生マダムタッソーを組織し、誘拐を担う非合法な武装組織と手を組んで身体拾いをはじめた」
「……理由は?」
「憶測はできるでしょ? 正解はわからないけど」
 永遠の命。たとえば技術者自身が永遠に生身で生き永らえるため。もしくは金のためだろうか。研究費用なのか、贅沢のためなのか。ともかく金のため、そのために資産家を生身の身体で生き永らえさせる代わりに大金をせしめる。あるいはその両方か。ともあれ、それを可能とすべくPMSは社会に普及されようとしているのかもしれない。一般化されればされるほど、拾える身体が増えていくから。
「何年も一緒にいて顔を見たことがない? そのクザンってやつ、コンプレックスでもあったのか?」
 そこは己にはわからない、とばかり花がシヒに視線を送る。シヒは変わらず天を仰いだまま、今度はゆるりと口を開く。
「さあのぉ……はてしなくブサイクだったのかもしれんし、某かの怪我や障害を抱えておったのやもしれん。しかしわしは彰夫とは違い、一度もあやつの素顔を見たことはないからのぉ。とりあえず、まあ、なんじゃ……あそこでの研究の日々は研究者にとっては幸せの一言に尽きた。最高の環境に、最高のメンバー。明確な目指すべき目標。必ず辿り着けるという確信。あれ以上の興奮は、なかなか味わえまいて……」
「感傷にがっつりふけってくれてるみたいだけど、それでなんであんたは加わらなかったんだ? その新生マダムタッソーってやつに? 愛着あったんだろう?」
「マダムタッソーに愛着があったからこそ、新生マダムタッソーは受け入れられんかったのじゃよ」
「永遠の命を手に入れられるかもしれなくても?」
「無駄に長生きしようなどとは思わんよ」
「でも、だ。永遠の命ってのは言い方を変えれば……永遠に研究できるってことだろう? 好きなことをずっとできる。俺は研究とかはよくわからんけど、まだ解き明かせていない問題にチャレンジできる。そのための時間を得られる。研究者ってのは、そういうのを望む人種じゃないのかよ?」
「それはまあ……魅力的ではあるのぉ……」
「だろ?」
「しかし、わしは世界一の天才じゃからな」
「はぁ? なんだよ、それ?」
「ゲームとは限りがあるからこそ、ゲームなのじゃ。時間無制限となれば、この史上最高の天才に解けない問題なんてない。なに一つ、な。となると、途端につまらんくなる。時間に限りがあり、無理かもしれないからこそ、楽しいのじゃ」
「じいさん……あんた、どんだけぶっ飛んでんだよ? よくもまあ、そんなふざけた自信を持てたもんだよ……」
「自信じゃなく、確信じゃよ」
「ああ、そうですか!?」
 シヒはそこで首が疲れたとばかり天から視線を切り、俺へと移して肩を竦めた。
「それにな、他人の身体なんてまっぴらじゃ。この史上最高の頭脳は、この身体におさまってこそ、最高のスペックを出せるんじゃから」
「……ああ、そうですか。よくも今の俺にそんなことを言ってくれるものだよ」
「若い頃の自分の身体に戻れるってんならまだしも、その辺の雑兵どもの身体など、とてもとても。頼まれたってわしはお断りじゃよ」
「……俺としては、なんでもいいが……とりあえずジジイの古巣が身体拾いをしていて、そいつらが俺の身体を盗んだってことだけは理解したよ。とにもかくにも、そいつらをぶっ潰して身体を取り返す。俺としてはそれだけだ。だろ、ジジイ?」
「誰がジジイじゃい」
「あんたに決まってんだろう?」
 分厚い壁に俺の電子音声がわずかに跳ねる。シヒの肉声も。しかしてその大半は吸収され、透明に消える。俺の視界の端で、情報支援ガイド知能が眼前の老人そっくりな顔でくるくると首を回している。
「めでたく利害一致って感じね。私たちクルティウスはマダムタッソーを潰したいわけだから。あとはまあ、私は私で、興味半分、あんたの素顔も見てみたいし?」
「……興味本位で、かよ」
「そんなわけで、花よ。改めてよろしく」
「ああ、こちらこ――」
 言い終わるより先に花が軽快に俺の頭を叩いてくる。ポンポンポンポンと。まったく。代体であるからよいものの、そうでなければたまったものではない。
「それじゃ、さっさと取り戻そっか?」
「……って、いきなりだな? 妙にノリが軽いし?」
「だらだらしてても仕方がないでしょ?」
「……まあ、そりゃそうだけどよ」
「こういうのはチャッチャッといくべきだって!」
「チャッチャと、ねえ?」
「はい、今すぐ行くよ!」
「……はっ? っていうか、待て待て。俺……そもそもなにをすりゃいいんだよ?」
 二層の部屋の内側に急速に膨らみつつあった猛々しい勢いを盛大に挫いた俺はしかし、具体的にやるべきことのイメージが本当にまるで見えていなかった。
「ほっ、ほっ、ほっ。まあ、焦るな。そもそも今から作戦を立てるところじゃから。今すぐ行くものでもないわい」
「あっ、やっぱり? 驚かせるなよ、花! 俺がなんか聞き漏らしたかと思っただろうが!!」
「まあ、逸る気持ちも……わからんではないがのぉ……」
 シヒはディスプレイになにか表示しているのだろう。あれこれと俺からは見えない操作をしながら達観したような表情で呟く。
「……なんだ、じいさんまで? どうかしたのか?」
「いや、なんでもないわい」
「まっ、ともあれ、そんだけ俺の身体を取り返そうとしてくれてるってのは俺としてはありがたい限りだ。っで、作戦的にはどうするんだ?」
「……決まってるでしょ、あんたがおとりよ」
「また、かよ?」
「また、よ」
 俺が俺の人格を餌に敵さんを漏れなく惹きつけている間にワハとリジで潜入、俺の身体を奪還してくる。ついでに奴らのアジトになんらかを仕掛け、マダムタッソーを壊滅に追い込む。俺で想像できるレベルではザッとこんなところか。細部はどうあれ、おそらく己の役割に認識齟齬はあるまい。
「やれやれ、わかったよ。でもまあ、それなら、とりあえずもう少し新型の、素早く逃げ回れる身体を貸してくれないか?」
 四角い指をかくかくと動かす。握ったり、開いたり。ロボット忍者ワハとは動きの滑らかさに雲泥の差がある。こちらはどこからどうみても機械、機械然とした機械だ。鈍重でとてもおとりに向かない。
「そうね。その代体じゃあ、さすがにちょっと無理かもね?」
「っても、実は、地味に愛着が湧いてきているんだけどな、こいつに」
「だったらいっそ、それを個人登録しなよ? ジュニヤの本体として。生身の身体は僕がもらっておいてあげるからさ」
 分厚い壁の内側に笑いが満ちる。俺は平静を装いつつもこれからの戦いへ向け、ひそかに闘志を燃やしていた。もしも身体を取り戻せなかったら、どうするものか。それも二十年も先まで。そんな不安を機械の胸にしまいこみ、新たな代体に希望を求める。
 この時、俺はまだ気づいていなかった。代体と生身による印象の違い、くらいにしか思っていなかった。快活に振る舞う花のテンションが普段と微妙に違うことに。

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