音MADとテキスト
音MADを作らず文章を作る
今回のテーマはまさに今私がしている(したい)ことです。
<音MADの構成>
データ的に音MADを構成する要素は「音声」と「映像」です。
私は映像編集が不得手で、さらに音声が完成するとそれで満足してしまってすぐにでも投稿したくなるタイプです。静止画や音声波形だけでもお構いなしにアップするタイプです。
ですが、やはり映像ありでないと伸びにくいという実態もあります。(カビキラメキラリは静止画なのにあんなに伸びたのは本当に時代と運(と工作)に恵まれたからでしょう。感謝です。)
映像頑張っても伸びないときは伸びないのでそんな時はもうお酒を飲んで次作構想に切り替えます。諦めきれないときは悪あがきしてみます。
(今書いてて思ったんですが、この駄文発散が悪あがきの一つとも言えます。)
(補足すると私は伸びたら伸びたで嬉しいですが、伸びなくても評価してもらえた実感があれば100再生でも大満足する自称草食系です。この評価してもらえた実感については別記事で詳しく書くかもしれません。)
(括弧書き多いのは私の個性です。)
<映像の重要さと非重要さ>
音MADは「映像」によって表現・発想の幅が無限に広がりますし、音声との呼応/シンクロ(その逆ですら面白さに繋がったり)が音MADを音MADたらしめているといっても過言ではなく、映像編集技術は上がり続けています。
切り抜き、手描きやアニメーション、3Dモデリング、デザインといった映像表現に繋がる様々な技術・手法が取り入れられ、音MADのハイクオリティ化は留まることを知りません。
私が休止する以前の11年前ですら、更に言うと前世のエア本さん全盛期の頃から「私にはこのレベルの映像は絶対無理!凄すぎ!やばすぎ!」って感想が常にあったんですが、復帰後の現在の音MADシーンに触れて「凄すぎィ!!ヤバすぎィ!!!」という感想に変わりました。
その一方でシンプルな映像表現の音MADや昔ながらの製法で作られた映像の音MADの方が数としては現在も多いですし(多分)、それが最適解の場合もあったりと一概に技術だけではないところも音MADの面白い部分です。
最近開催された「静止画音MAD晒しイベント」私も参加しました。
そのコンセプトである「映像苦手だから…」や「音のみで勝負!」という部分も音MADの多様性の一片かと思います。
作者間コミュニケーションの活発化に伴って音声担当と映像担当の分業、即ち合作という手段が選択肢の一つとなることもごく普通になりました。
気軽に作ることもできるし、力を入れまくることもできる。
そんな自由なところが音MADの良さとも言えます。
映像についての色々は私はこれ以上語ることできないので他の方に任せたいと思います。
[色んな記事参照したい]
<【Remind】音MADの構成>
さて、前置きがまたまた長くなりましたが本題に入ります。
「音声」と「映像」の他に当たり前すぎて忘れがちな「テキスト」の存在をクローズアップしてみます。
※ここで言う「テキスト」とは、映像表現としてのテキスト(歌詞やセリフのオシャレ/面白表現やタイポグラフィ、テロップや字幕など)”以外”を指します。
映像表現としてのテキストの面白い記事を紹介しておきます。
<文字情報>
動画共有サービスを利用する以上、タイトルやキャプションを設定することが可能で、ニコニコ動画ではさらにタグやいいねお返しコメント、スペシャル固有武器の画面上を流れるコメントもその動画を構成する要素となり得ます。
ここで一旦メディアについても考えてみます。
インターネットの爆発的普及・IT業界の加速度的進化でメディアの映像化・音声化は進む一方、「文字情報」も100%なくなることのないものだと思ってます。
紙媒体だったものの電子化はもちろん、個人による情報発信の爆増(まさにこのnoteやSNS・ブログ)、ネット記事やまとめサイトなどなど、むしろ文字情報が増えてるんじゃないかと思います。
本や新聞だってどれだけ時代が変わっても何らかの形で残り続けるでしょう。
情報を伝え、心を動かし、脳を働かせる。
人間が生み出した文字という残せる情報の原点は未来永劫なくなることはないでしょう。
<合体>
バラバラに話したこの二つの話題ですが、くっつけて考えてみます。
ウィーン、ガシャン!結論…!
『音MADにもっとテキストを!』
終わり!閉廷!以上!皆解散!ラブアンドピース!
…というわけにもいかない(いってもいい)ので深掘りします。
無言投下兄貴や簡素な一文だけのキャプションで投稿すること、リスペクトや流れの意を汲み定型文で投稿すること、音MADに限らずどの界隈でも見られる現象です。
私はこの感じ…非常に好きなんです!
無言投下や一言投稿にかっこよさを感じることもあります。
結論と違う?いいんです!
それはそれ、これはこれ、です!
さらに結論と違う例を挙げると…
・秀逸なタイトルの動画では説明文が蛇足にもなることがあったり
・言葉を扱うプロが考えたキャッチコピーに匹敵するキャプションはシンプルイズベストでハートのど真ん中を突いてくるし
・多くを語らないミステリアスさがカリスマ感を押し上げたり
と、色んな例が思いつきます。
じゃあ無理矢理こじつけでカバー出来るようにするために「もっと」ではなく「ホット」に変えてみます。
『音MADにホットなテキストを!』
よし!しっくりこない!でもいいや!何かステキだから!
<長文>
動画のキャプションにおいては長文は避けられます!?
私はキャプションの文字制限1200文字を埋めたことが何度もあります。自作品のマイリスコメントもギリギリまで書くこと多いです。
14年の呟き封印は困った事にこんな形で溢れ出しております。
そんな私は長文に出会うと読む気が失せる事の方が多いです。えぇ!?
(初期の必須アモト酸動画にはセットとして付いてきた赤字という存在を思い出しました。懐かしい…「赤字」とは非常に長いコメントをたくさんしてくださる方のことです。感謝感謝。)
ではなぜ私は今、長文を書いているのか。
なぜ復帰後の動画ではキャプション文字数限界まで埋めることがあるのか。
なぜマイリスコメントもがっつり長文を追記しだしたのか。
なぜ文字だらけの動画を投稿したのか。
答えは至極単純。
私が文章を書きたいからでしかありません。
偉そうに語った前半部分なんて後付けです。
読んでくれる人がいるかは分かりません。ですが実績として読んでくれる人はいた、という事実は相当嬉しいことです。
…まとまりも繋がりもない記事になってしまいました。
この文章自体も書きたいから書き散らかしてるだけなのが分かりますね。
<本題>
今更ながら少し真面目なことも言っておきます。当たり前のことかもしれませんが…
動画に直接的な関係性が薄い「テキスト」という要素が動画を視聴する際に受け取り手には少なからず影響を及ぼしています。
タイトル・キャプションだけではなく、制作後記なども見る前と後では意識する箇所が変わって違う見方になるので違う感じ方になるのです。
視聴者が書き込んだコメントも影響があります。
例えば、「!?」というコメントが同じ場面で多数流れれば一緒になって盛り上がってしまいます。
見せ場の前に「※ 鳥 肌 注 意 ※」というコメントが目に飛び込んできたらどうでしょう?
冷める人もいればそれが逆に面白さになることもあります。
また、自分では気付かなかった点をコメントから知れてより楽しめる場合もありますしネタバレを喰らってがっくりすることもあるでしょう。
ニコる機能やYouTubeのコメント欄にいいね機能がついていることもコメントの重要性を示しています。(そもそもニコニコ動画のコンセプトがコメントを重要視してる)
そしてそこまで活用されてないイメージのある”投稿者コメント”の存在。
CA界隈では大活用してめちゃくちゃすごい動画が投稿されているので「コメントアート」タグ見てみて!
他にも投コメを活かして面白いことをやってる動画たくさんあります。
少し話がズレてきましたので〆たいと思います。
<終わりに>
映像表現としてのテキスト”ではない”使い方で映像内に文字を詰め込んだ音MADを作ってみました。
これはまた別記事で全文載せようと思ってます。
その動画冒頭の「テキスト見本」は2号兄貴リスペクトであると同時に、今一度「音MADにおける文字情報」について考えてみるのもまた面白いのではないかというメッセージも込めていたのです。(これこそ本当に後付け)