聖クロス女学院物語4巻 お姉さまのなぞとジュリエットの指輪 〈第1章 ぎわくのお姉さま〉
第1章 ぎわくのお姉さま
花音のお姉さまは、わたしのお姉さまとおなじ人かもしれない。
だけど、神聖な〈デスティーノ〉に、そんなことってあるのかな。
もし、そうだとしたら、わたしはいったいどうしたらいいの……?
学院の歴史をかんじるりっぱな部室棟のそのわきに、ひっそりたたずむ煉瓦づくりのちいさな小屋。でっかい南京錠をガチャリとまわして、重たい木の扉をギィッと開くと、部室のなかの空気は夏休みの太陽をとじこめてたみたいにムッとしていた。
「うわ、暑っちー!」
葵さんがいちばんに部室のなかに飛び込んで、りょうがわの窓をいっぱいに開けてくれる。とたんにすうっと風がとおりぬけて、開いた窓から、さやさやと葉っぱがゆれる音が聞こえてきた。風さえとおればこの部室はひんやりとすずしくて、もとは物置だったと思えないほどかいてきだ。
校庭のスピーカーから放課後のはじまりを告げる聖歌が流れてくる。それを合図にわたしたちは、いつの時代からここにあるのかわからない古めかしいダイニングテーブルをかこんで席につき、それぞれに胸の前でそっと指を組んだ。わたしのとなりには奈々、目の前に花音、そして花音のとなりには葵さん……
「天におられるわたしたちの父よ、御名が聖とされますように。御国が来ますように。御心が天に行われるとおり、地にも行われますように」
朝のお祈りと、おなじお祈り。なにも放課後にまでやらなくてもいいのだけれど、こういうのが大好きなわが部長のおたっしにより、神秘倶楽部では、お祈りからの部活動がおきまりになっていた。
まあ、たいていはおしゃべりに夢中になってるうちに、いつのまにか聖歌の放送が終わっちゃうんだけどね!
でも、今日は二学期さいしょの部活動だ。それだけじゃなく、今日はおおきくて重たい議題が、わたしたちのまえに横たわっていた。わたしたち4人組は、テーブルの真ん中におかれたふたつの封筒……花音とわたしに届いた “お姉さまからのお手紙” ……を見くらべて、うーんと頭をなやませた。
もちろん、見ているのは封筒だけで、お手紙のなかみは見ていない。文字の“けんしょう”のためには、なかのお手紙まで見くらべたほうがいいとわかってるけど、それは花音も言いださないし、わたしもやっぱり言いだせないでいた。
おもたい沈黙をやぶって、奈々がおずおずと口をひらいた。
「たしかに、よく似ているわよね……」
それっきりまたおしだまって、膝にちょこんと手をおいたまま、上目づかいにわたしたちのようすをうかがっている。葵さんがいかにもどうでもよさそうに、ふわあ〜っと大あくびして、ぼりぼりと耳のうしろをかいた。
「ま、べつにいいじゃん。同じ人だったって」
「ちっとも、よくありませんわ!」
花音がキッと目を上げ、それから、よよとテーブルにつっぷした。
「デスティーノは、『あなただけのお姉さま』のはずでしてよ? お姉さまの“かけもち”なんてありえませんわ!」
「そうよね。運命の人がふたりいるなんて、おかしいと思う」
奈々が、やけに力をこめてウンウンとうなずく。
葵さんが、クールに肩をすくめた。
「そうかぁ〜? そりゃ、結婚でもするならまずいけどさ、これってただの文通じゃん」
「ただの文通ですって!?」
花音がガバとテーブルからはね起きて、わなわなとくちびるを震わせた。
「……わかってない。葵は、まったくわかってませんわ!」
「なんだよ。お前がなんでもかんでも夢見すぎなんだろ?」
「ええ、そうかもしれませんわ。だけど、これはただの文通じゃありません。生涯で一度きりのデスティーノなんですのよ!?」
そう、花音の言うとおり! わたしは、おおきくうなずいた。
デスティーノは、ただの文通じゃない。わが聖クロス女学院の新入生が、生涯でたった一度だけ、たった一人のお姉さまと心を通わせる、“運命のお手紙”なんだから!
花音が、かなしげに長いまつげをふせた。
「……それに、結婚じゃないとおっしゃいますけど、すくなくともわたくしにとっては、デスティーノは結婚とおなじくらい神聖なことですわ。だって未来永劫、特別なその方のことが永久に記憶に残るんですもの」
重たいその言葉に、さすがの葵さんもグッと詰まる。
わたしはふと、いつかいただいたお姉さまのお手紙を思い出した。
わたしのお姉さまは永遠にあの方おひとりだけで、もう永遠にどなたかわからない。時間はどんどん進んでいるのに、いまこの瞬間は、永遠にうごかない気がした……
花音、いま、お姉さまと同じことを言ったんだ。
そう気がついて、胸のおくがひそかにキュッとしめつけられる。
花音って、もしかしてお姉さまに似てるのかもしれない。
それとも花音も、お姉さまからわたしと同じようなお手紙をもらっているの……?
ずっとだまりこんでるわたしに、花音がじれったそうにたずねた。
「陽奈。陽奈は、どう思いますの? わたくしたちのお姉さまが」
と、花音はその言葉をさいごまで言わなかった。うっすら開いたくちびるがためらうように止まって、ため息まじりにまた結ばれる。
それはまるで、唱えたら叶ってしまう呪文をふうじこめてるみたい。はらりと落ちてどこかに消えちゃう桜の花びらみたいに、めのまえをかすめて消えてく言葉。
切ないきもちをこらえて、わたしは口を開いた。
そう、これいじょう、花音をなやませたくない。
「わたしは、……どっちでもいいかな」
花音が「えっ?」と、目を見ひらく。奈々も、葵さんさえ、おどろいた顔をした。うん、わたしだって、ほんとは無理してるけど、でもさ。
「えーっと……、そりゃあわたしも、わたしだけのお姉さまがいいけどさっ。でも、花音といっしょのお姉さまなら、まぁ、いいかな……って」
ほかの人だったら、いやだよ?
だけど、花音だから。花音とだったら。
わたしは照れかくしに、あはっと笑った。
「お姉さまたちにも、なにかふかいご事情があるのかもしれないし!」
「陽奈!」
かんげき屋の花音がガタンと椅子から立ちあがり、テーブルごしに、はっしとわたしの手をとった。やたらととのったお顔が、ぐぐっとせまってくる。
「そうですわね、陽奈! まったくそのとおりですわ!」
「えっ、ちょ、ちょっと」
「そうですわ! わたくしだって、陽奈と同じお姉さまならよろしくてよ!」
ぎゅうっと手を握られて、わあーっとはずかしくなる。眼帯をしていないほうの瞳が、オレンジ色の夕日をうけてきらきらと輝きながらわたしを見つめてくる。ほんとうに花音って、お人形みたいだ。わたしはてれて、目をそらした。
「いいよ、そんな無理しなくてー」
お友だちだからってなんでもいっしょじゃなくてもいいんだからねっ? ……ってママも言ってたし。でも、花音はますますつよくわたしの手をにぎりしめ、イヤイヤをするように首を横にふった。
「無理なんかしていませんわ! ええ、無理なんて! ……ちょっとはしてますけど」
「ほらーーー!」
奈々と葵さんがドッと笑って、ピンとはりつめてた空気がやっとゆるんだ。
「よかったな、花音。陽奈がこういうやつでさ」
「ええ、反省しましたわ。わたくしったら動揺して、自分のことばかりで」
そのとき、奈々がぽつりとつぶやいた。
「……でも、わたしは花音のきもち、わかるな」
だって……
「やっぱり、運命の人のことだもの」
……そうだよね。わたしはまたこまってしまう。それはたしかに、そう思うんだけど。
ふぅ〜とため息をついたわたしに、あわてたように奈々が言った。
「ご、ごめんね! わたし、こんど時ちゃんにあったときに聞いてみるよ。お姉さまの“かけもち”なんて、ほんとうにあるのかどうか」
花音が、急にしんぱいそうに首をかしげて奈々を見た。
「いえ、それでは時子さまにごめいわくがかからないかしら? たしかに真相は気になりますけど、もしかするとこのことは、デスティーノにかかわる重大なひみつかもしれませんわ」
葵さんが、またやれやれとばかりに肩をすくめた。
「チェッ、おーげさ。聞いてもらえばいいじゃん。ひみつがわかれば、すっきりするんだしさ!」
そっけなくそう言うと、葵さんは窓からふとグラウンドを眺めた。つられて目をむけると、ピーッとホイッスルが鳴って、サッカー部が練習試合をはじめている。
花音が、やさしく葵さんをうながした。
「葵、あちらの活動も気になるんじゃありませんこと? こちらはもういいですから、サッカーをしていらしたら?」
「ん? いや、べつに」
葵さんはうごかない。こんなとき、わたしはすこしせつなくなる。花音が事故にあって右目をなくしてしまったのは葵さんのせいじゃない。なのに、葵さんはたぶんずっとそのことに責任をかんじていて、だからいつも花音のそばから離れないんだ。まるでお姫さまを守る騎士のように。
「じゃあ、お茶でもいれましょうか」
花音がたちあがり、奈々が「手伝う」とつづいた。葵さんとふたりでテーブルに残され、わたしはちょっと話題にこまった。夏合宿でずいぶんうちとけたけど、まだ花音のようにはいかないから。
でも、そうだ。
二学期こそはと、心にきめてたことがあったんだ!
わたしは、すうっとひとつ息を吸いこむと、思い切って葵さんに呼びかけた。
「ねぇ、葵」
葵さん、もとい“葵”が、「お?」という感じで、キョロッとわたしを見る。こいつ、呼びすててきたぞ、ってかんじに。でも、すぐにニヤッと笑って。
「なんだよ、陽奈」
「あの、葵……、あ、葵はさ!」
わーん、ちょうカミカミなんだけど!><;
でもいいかげん、「葵さん」なんて、みずくさいと思うんだよね! ね!?
「あっ、葵は、お姉さまからのお手紙、届いてた?」
「あー、届いてた届いてた。ちょーめんどくせー」
葵は、またそんな失礼なことを言う。でも、まんざらでもなさそうに、椅子の背にかけてたかばんから、かわいくラッピングされた紙袋を取り出した。なかから、いくつも焼き菓子が出てくる。フィナンシェ、ダックワーズ、マドレーヌ……
「ちょうどよかった。これ、食べようぜ」
「わっ、お姉さまから? いいの? わたしたちが食べちゃって」
「いいよいいよ。どうせ、うちにもって帰っても父さんが食べちゃうし」
「おじさまは甘いものがお好きですものね。葵とちがって」
花音が、レトロなシルバーのトレイに紅茶をのせてはこんでくる。このトレイも物置ではっけんして、自分たちで磨きあげたものだ。発掘したティーカップはさすがに欠けていたんでいたので、“華美ではない”白いカップを花音がおうちからもってきていた。
「そーだよ、あたしは柿の種が好きなのにさ!」
「でも、ピエール・エルメが好きだとお手紙に書いてしまったのでしょう?」
「そっ。おまえにそう書けってそそのかされてな。そしたら毎回、これだよ」
わー、なんてぜいたくな悩み! それにしても……
わたしは、まるでお店で買ってきたみたいにひとつひとつラッピングされた焼き菓子を、じっとながめた。やっぱり葵のお姉さまって、華枝さまなんじゃないかしら?
「……生徒会室でいただいたお菓子にそっくりな気がする」
「陽奈もそう思います? わたくしもそう思うのですわ。でも」
花音が、チラリと葵のことを見る。
葵が、その話は聞きあきたとばかりに口をとがらせて頬杖をついた。
「ちがうな。バターがちがう」
「え?」
バター?
えっ、えっ、そんなちがいなんてわかる!?
「うっそ、葵さん……じゃなかった、葵すごーい!」
「ばーか、そんなん食えばわかるよ。食ってみ、ほら」
ぽいっとむぞうさに渡されたフィナンシェをとりだして、そうっとかじってみる。香ばしいバターの香りがふわんと鼻をくすぐって、うーん、とってもしあわせな気持ち! そしてサクサクした軽い焼き目を割ってあらわれたしっとりやわらかな生地は、うっとりするほど甘くって……
うーん、わかんないっ! すごくおいしいってことしか!
バター、バターかぁ。バターのちがいってどんな……?
もぐもぐしつつ目を閉じて、ウーンと首をひねりまくる。
花音が、よしよしとわたしの髪をなでて、なぐさめてくれた。
「安心して、陽奈。わたくしにもわかりませんわ、バターのちがいだなんて」
「だよね、だよね?」
「マジかよ。なんかそう言われると、自信なくなってきたな」
葵がむぞうさにマドレーヌをつかんで、わしわしとかじる。
そして、「……うん、やっぱちがうと思うなあ」とつぶやいた。
「ま、どっちもうまいっちゃ、うまいんだけどさ。なんつーか、こう、こっちのほうが香りのグレードが高いっつーか……」
「それは学校でつくるお菓子と、おうちでつくるお菓子のちがいかもしれませんわよ? 生徒会室でいただいたものは料理部でつくったものだと華枝さまはおっしゃっていましたわ。部活動では用意できるバターも限られているでしょうし」
「まー、そうかもしんないけどさ。こんな女だらけの学校、菓子づくりが好きな先輩なんて、きっとうようよいるじゃん? 料理部の先輩だって何人いるかわかんねーし」
ブツブツ言いつのる葵に、奈々がするどくツッコミをいれた。
「葵は、華枝さまがデスティーノのお姉さまだったらいいなぁって思わないの? すごく仲良くしていただいてたじゃない、沖縄の海で」
「ふえっ!?」
たちまち、葵が真っ赤になる。
あっ、いつのまにか奈々も葵のこと呼び捨てなんだ。じゃなくてー。
「あっ、あれはおまえが、蜜希さんとどっか行っちゃうからだろっ!」
こんどは、奈々が真っ赤になった。
「そ、それは……! だって蜜希さまが……!」
「おまえらは勝手にいなくなっちゃうし、璃子のやつは史織さんにべったりだし、だからしょーがなく華枝さんとあたしが一緒にいるしかなかったんだろっ!」
ふう〜ん、しょうがなく、ねぇ?
そのときだった。開けはなしていた部室の窓からひょこっとカメラのレンズがのぞき、パシャッとシャッターが切れる音がした。
「スクープ、いただき! 神秘俱楽部、新学期そうそう仲間われかッ!?」
「うわ、千春さまっ!!!」
窓から部室のなかをのぞきこんでいたのは、新聞部のエース、いつもおさわがせの駒林千春さまだった。花音がもはや動じないといったようすで、優雅にティーカップを口もとにはこんだ。
「千春さま、こまりますわ。撮影のさいは許可をとっていただかないと」
「うふふ、ごめんね。でも許可なんてとってたら、スクープをのがしちゃうじゃない?」
「因果なご活動ですわね。よろしければ、ひとやすみしてお茶をいかが?」
「あら、やさしい! さすがは今年のジュリエット」
え、今年のジュリエット?
花音がきょとんとして首をかしげた。
でも、わたしと奈々は、すぐに千春さまがおっしゃっていることの意味がわかった。
「えーっ、ほんと!? 花音がわたしたちの代のジュリエットに決まったの!?」
「すごい、すごい! あれっ、でも投票って、まだこれからだよね……!?」
「な、なんのお話ですの、いったい……」
いっきにこうふんしたわたしたちに、花音がめずらしくおろおろする。
すばやく扉へとまわりこんで部室に入ってきた千春さまは、おもむろにテーブルに手をついて焦らすようにすうっと紅茶の湯気をすいこみ、「んーーー、いいかおり!」なんて、おおげさにほめたたえた。
「うふふ、さすがはわが校のジュリエット! すてきなお茶会を楽しんでいるわねぇ〜?」
「さっきから、なんのお話ですの? 千春さま。まったくわけがわかりませんわ」
「あら、ごそんじない? そういえば、花音ちゃんは受験組だったわね。でも、わが聖クロス女学院にあこがれて入学してきたのなら、うわさくらいは聞いたことがあるんじゃないかしら? わが校の中等部に代々伝わる伝統劇のロミオとジュリエット……」
そう言いながら千春さまは、さっとテーブルの紅茶をとってごくりと一口。
「あっ、それわたしの!」
わたしの抗議など意に介さず千春さまは、おぎょうぎわるくテーブルに腰かけてニヤリと笑った。
「持ち上がり組のみなさんのご指摘どおり、配役選考のための投票はまだこれからよ。でも、この私が独自に調査したけっか、今年のジュリエット役はぶっちぎりで花音ちゃんに決まりなのよ!」
「えーっ! じょ、冗談じゃありませんわ、どういうことですの千春さま……!」
花音があせって立ち上がる。
「なんだ、また伝統かよ。やたら伝統の多い学校だな〜」
葵さんがへきえきしたように、もそっとダックワーズをかじった。
☆次回予告☆
奈々です。聖クロス女学院では、伝統劇の主役に選ばれるのは、すっごく名誉なことなんです。でも、花音は「ぜったいに、いや」なんですって。どうしてだろう、もしわたしなら……あっ、こういうこと考えるのって暗いですよね? 花音は、どうしてわたしなんかと仲良くしてくれるのかな……あっ、いまのもだめですよね! ><;
と、とにかく、次回はいやがる花音をせっとくしようと、いろんな人たちがわたしたちのもとをおとずれます。あこがれのあの人も来てくださるかしら……あっ、これも聞かなかったことにしてくださいね!><;
じゃあ、失礼します。ごきげんよう!
→続きは、こちら。
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