諸君 私は人間が大好きだ
元ネタに気づいた方は「なんてもんタイトルにしやがる」とお思いだろう。
アルコールは摂取していないが、RSGTという熱に酔っているので仕方ないと思ってほしい。そして、たとえ一晩寝かせたとしても別のタイトルを思いつかない確信があるので妥協してほしい。
ということで、この記事はRSGT2025現地3日間参加しての感想だ。
大量のインプットを叩き込まれてスタックもバッファもレジスタもオーバーフローしたCPU(頭脳)が唐突に算出した「気づき」というやつを、自分のために記録するだけの記事なので、読みやすさを捨てて勢いを大事にしている。
今年のRSGT2025では「熱狂に飲まれた」ムーブをしてみた。
一日目の朝の受付、スタッフの皆さんは大きな声で「おはようございます!」と声をかけてくださる。全員が。
その全員に「おはようございます!」と負けない声量を出したらモードチェンジだ。初めてEXILE SECONDのライブに行ったときを思い出して「誰にでも物怖じせず話しかける」ミッションを自らに課す。
ぶっちゃけ、日常の自分とは離れているので結構な負荷が脳みそに掛かったらしい。ジャストなう、頭痛と目眩がある
その結果、見知らぬ人とたくさん話せた。いろいろな話をした。人の話を聞くのは大変に楽しい。人の話は学びと気づきに溢れている。みなさん、体力を使って私に情報をくれてアリガトウ。
そんな中、印象的だったのは
「毎日誰かに『なんでその職場に残り続けているの?』と訊かれた」
ことだ。
弊社に所属する者としての2024年は、行き詰まりと鬱屈が溜まった一年だったので、その気持ちが自己紹介等々に表れていたのは自覚がある。そういうハナシを聞いたら言いたくなるものだろう。なんで?と。
それにしても複数の人に連日言われたのは、反省ポイントかもしれない。
ときどき自問する事項ではあるので、普通に答えられると思っていたのだが、これが意外に言語化するのが難しかった。1日目にお答えしたときは、たぶん、3分の1も伝わらない、空回り状態だったと思われる。そして3日目も、ちゃんと伝わったとは思えないまま、最後の帰路についた。
黙々と電車に揺られる中、いろいろなことを思い出して、取り留めなく考えた。もう少しちゃんと伝えたかったと思うのは、訊いてくださった方々が私を心配してくれての問いだからだ。
RSGTで出会った人たちはみんな、他人に優しい。登壇されている方々も、自分+チームや関係者がハッピーになるため努力する、優しい人たちだ。
私は頑張る人が好きだ。全世界の努力する人たちが全員なんらかの形で報われてほしいと、実現不可能なことを本気で祈っている。
私は、知り合い全員を好きだとは思えない。ソリが合わない人もいるし、いろいろな意味で加害してくる人を敵と思わずにいられない。だから人類の本質が善だとは思えない。人類はユートピアを実現できないと確信している。それでも、ユートピアを目指して頑張ることこそが、人類が人類たるポイントだと思っている。パスカルの名言のように「なんとかせねば」と足掻くことが人間だと思う。
RSGTで出会う人たち、そして今の職場に私が居続ける理由になる人たちは、幸福を目指して足掻く人たちばかりである。こういう人たちが私は愛おしくて仕方がない。
一方で、私は知的好奇心の類いを満足させるものとして「課題解決」が大好きだ。思春期手前、親に「お前は楽をするためなら、どんな苦労も厭わないな」と言われたことがあるぐらいだ。なので自分に向いた職業としてソフトウェアエンジニアを選択した。
プロダクトはユーザの課題を解決する。今はプロダクトを作っていないのでユーザの課題は解決していないが、プロダクトを作っている人たちの課題を解決しようと足掻いている。
それは、私にとってプログラムのデバッグと似たようなものだ。解けるとスッキリする。それだけ。感謝とか興味ない。いや、嬉しいけど。
再度になるが、より良くを目指して足掻く人だけは、なんとか報われてほしいと願うレベルで、応援したい。
解釈は人それぞれだと思うが、私の価値観・視点からは、弊社の「えらいひと」は対象外なのだが「現場のひと」は該当する。
そして、現場のひとが抱えている課題を解き明かし仮説を立て検証していく作業は、私にとってプロダクト開発みたいなもんだ。
たまに大きすぎて手が回らない課題にぶち当たって凹んだり、権限とかいうもので「萎え~」となったり、自分から見える経営層が何も考えてないせいで「潰れてしまえ」と思ったりするけれど、その度に転職を思うけれど、
うちのチームが全世界で最良!と胸をはれるまで私のバックログは尽きないのだろう。そんでもって、全世界で最良だと判断できる日は絶対に来ないだろう。
と考えていたら「なぜ辞めないのか」の答えは「やりきってないから」という、数年前のClosing Keynoteで拝聴したようなものになってしまった。
そして「途中で手放せない」のは「人間が好きだから」という理由だ。
私はこれほどまでに人間が好きだったのか。
書いていて今とても、人生で最高に驚愕している。
これがRSGT2025で私が得た最大の気づきである。
2025/1/11 19時追記
ことねさんの記事を読んで、さらに言語化が進んだので追記する。
記事中に書かれている「聞いて感じて考えて行動」できる人間というのは、生来の人間の姿だと思う。本当は誰もがそれをできる。けれども、実際に各所にそうではない大人が居るのも事実。
それは、RSGT2025のClosing keynoteで出てきた表現を使わせてもらうと「人を鳥籠に押し込めるお局様」によって「鳥籠に入っていることに慣れてしまった人」だと思っている。
私は管理職や経営者が嫌いなのではなく、「人を鳥籠に押し込める」人が嫌いだ。何時ぞやの川口さんの発表にあった表現だと「社員を子供扱いしている会社」が嫌いだ。
そして、鳥籠に押し込められそうになっている人を見かけると、全力で「逃げてーーーーー!!!!」と叫びたくなる。できることがあるなら、逃げるための手伝いを最優先で実行したい。
そう、いま最優先で実行したいタスクが、弊社にあるから残るのだ。