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どこで生きる?地球上には色んな世界と価値観がある

新宿で1年ぶりの友達と再会した。彼女も日本で生まれ育った日本人だけれど、私たちは5年ほど前にニューヨークで出会った。

駐在妻の私とは違い、彼女は20代で自分の意志でニューヨークに渡り、20年以上もがんばっていた。
彼女はその後ハワイに移住し、私も日本に帰国した。

ハワイに移住してからの彼女は会うたびに肩の力が抜けて、ナチュラルになって、今ではすっかりハワイの人になっている。

私もニューヨークから帰国して3年。「みきてぃはすっかり東京のこぎれいな人になったねー」と言われた。

彼女は「ニューヨークで追っていた“何か”とか“誰か”はどうでもよくなった」と言っていた。

曰く、ハワイで彼女を取り巻く世界では、お金があっても、ビジネスが成功していても、肩書きが立派でも、過去に脚光を浴びた実績があっても、それはただそれだけの事実で、アピールする必要がない世界。
持っている人も、持っていない人も、同じように愛の世界に生きているんだとか。

ニューヨークはニューヨークで、東京は東京で、その前に私が住んでいた中国は中国で。

その世界を取り巻く独特の価値観がある。
私が育った兵庫県芦屋の価値観は、同じ日本でも東京のそれとは違った。

その時その人、自分に合う世界は変わるのだと思う。違う価値観が渦巻く違う世界に移動すると、以前、こだわっていたことが、どうでも良くなったり、むしろ嫌悪に変わったり、そういうことも体験してきた。

私は今東京の価値観に収まっている自覚がある。今の私にとっては居心地が良い。

もちろんハワイにも色んな世界と価値観があるし、私が住んでいる東京と、誰かが住んでいる東京は違う世界に違いない。でも、ざっくり漂う価値観の傾向はある、と体感している。

別の友達も合流して、お互いの近況などを話していると、彼女は「やっぱり体調悪いかも」と青ざめてきた。私と会う前に新宿の雑踏でウロウロしていて、「その独特のエネルギーにあたったみたい」と言っていた。

「お互い幸せに」とハグをして、タクシーに乗る彼女を見送った。

私たちは違う世界に生きている。
私が暮らしている東京が、数時間で青ざめるほどに彼女には合わないのかと驚いたけれど、私は彼女と会って癒された。

私は、素で生きていて、自分のことが好きな人といると落ち着くし癒される。一方、自分の満たされなさを自己顕示で補おうと、心を尖らせている人は、私の心が反応して疲れる。

ということは、私も心を尖らせないように気をつけないと、もう彼女に「会いたい」と声をかけてもらえなくなってしまうのではないかと思った。

翌日、飛行機に乗ってハワイに帰った彼女は、さっそく砂浜に寝転がって元気を取り戻したらしい。

「今ここ」と動画が送られてきた。


これは静止画。でも動画でも波がゆっくりと繰り返すだけで、亀は動かないの。

こうした亀がゴロゴロいる中で、亀と一緒にゴロンとしていれば、そりゃ過去の栄光とか肩書きはどうでもいいよね。

彼女は、彼女が住む世界について「愛に溢れている」と言っていた。「愛を感じるし、愛を与えたいし、感謝の気持ちも湧き上がる」って。

よく、「生きていられることに感謝」と言うけれど、確かに新宿で人混みに揉まれていると、なかなか難しい。

この砂浜にいると、この地球にいられることに感謝もできるだろうし、隣の生物を愛したくもなるだろう。ちっぽけな生物に過ぎない人間のことも愛せるし、愛されるだろう。

私はしばらく今いる東京でがんばって生きていくけれど、この地球上には色んな世界があるし、色んな価値観がある。

違う価値観が渦巻く違う世界に行けば、人は変われるし、変わってしまう。

当たり前だけれど忘れがちなこと。
思い出させてくれてありがとう。

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なまず美紀/インタビュア&ライター
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