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夢を探す旅は、いつまで続くのか

娘(12)が小学校の卒業文集を書きながら、こんな会話があった。

娘「あと200字ぐらい足りないー」
私「将来の夢のこと書くとか?」
娘「いやー、まだ夢を探す旅の途中なんだよね」

二人で爆笑。私たちは、「それっぽいことを言って遊ぶ」ということを日常的にしていて、娘の発言も”それっぽいこと”だったから。

小学生の頃から明確な夢を抱いて、ちゃんと叶えている人もいる。
一方で、40代、50代になっても夢を探している人もいる。

そういえば最近も、子供の頃の夢を全部叶えながら生きているという人に、「美紀ちゃんの夢はなに?」と聞かれたっけ。
でも、昔から夢について語るとか、書くとか、苦手だったなぁ。

吉田松陰さんが「夢なきものに成功なし」なんていう言葉を残しているから、なんだか”夢あり族”が立派な感じがして、”夢なき族”は劣勢だなぁ、と思っていたけれど、最近、気づいたことがある。

私だって、夢を言語化あるいは認識していなかっただけで(言語化のプロではあるけど)、ちゃんと夢を見ていたのではないかって。

だって、「今の自分は、かつて私が夢見ていた姿だ!」と瞬間が時々あるから。(「潜在意識が叶っている」と解釈することもできる)

小さな頃から私の心の奥は「自分が書いた文章を読んでもらえたらいいな」と思っていた。でも、それを言葉にするのが恥ずかしかったし、言語化するのをサボっていたんだ。

で、それが叶った今、また聞かれる。
「夢はなに?」と。

答えられないけれど、まだまだ何か夢を見ていると思う。でも、それを言葉にしようと思うと、急に小さな作り物の夢になる。

”夢あり族“と“夢なき族“がいるのではなく、”夢を言語化して叶える族“と”あえて言語化しない方が本当の夢が叶う族“がいるのだと思う。

いずれにしても、夢を探す旅は、その人生に可能性を感じられる限り、永遠に続くのかも。

そう思うと、「夢はなに?」と聞かれることは、まだ私に可能性を感じてもらえているということで、ありがたいなと思う。

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なまず美紀/インタビュア&ライター
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