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「空も飛べるはず」の歌詞を深読み
スピッツがすごく好きで。
MDプレーヤーやiPodnanoを使っていたころから、
通学や通勤のおともに、
ちょっとした隙間時間にスピッツを聴いてきた。
「スピッツ 横浜サンセット2013 劇場版」も映画館で観たし、
「劇場版 優しいスピッツ a secret session in Obihiro」も観た。
「ロックロックこんにちは」にはいつか行ってみたいと思いながら、まだ行けていない。
なかでも一番よく聞いていて、学生時代に合唱もした「空も飛べるはず」への思い入れが強い。
というわけで、
「空も飛べるはず」を深読み
深読みというか、濃すぎる歌詞を希釈して味わうという方が近いかもしれない。
可能であれば聞きながらどうぞ
キーワードは「青春、出会い、旅立ち」になるのかな。
まずは冒頭
幼い微熱を下げられないまま
神様の影を恐れて
幼少の頃のあの変なテンション。
言わなくても良いことを言ったり、
しなくても良い余計なことをしてしまったり、
おっちょこちょいなミスを繰り返し、
落ち着いて行動できていないあの感じ。
それは、高熱などの体調不良のときに冷静さを欠く感じに似ていて、
そのまま青春に突入する人間と、
平熱で冷静にものごとを判断できる精神年齢の高そうな人間に分かれる。
隣の芝生は青く見えるというけれど、
周りからの視線や評価をうまく受けられない自分と、
人間として高い位置にいるような感じがする他の人を比べてしまう。
そして神様からの罰のような不幸や事故、失敗が起きて、
よりいっそう落ち込んで自信を失ってしまう。
神様のもたらす光は冷静で平熱な子たちに降り注ぎ、
神様の影を恐れておどおどしている自分にはそのまぶしさが苦しい。
(この神様は特定の宗教のものというより、自分ではどうしようもないものごとを動かしている大きな力みたいなもの。)
隠したナイフが似合わない僕を
おどけた歌でなぐさめた
ナイフを隠していそうな僕は、
THE BLUE HEARTSの『青空』みたいに「ピカピカに光った銃」を持ってたり
「隠しているその手を見せてみろよ」と言われたり。
(後ろ手に刃物握ってそう)
THE HIGH-LOWSの『青春』みたいに「渡り廊下で先輩なぐる」。
青春及び思春期はみんな必要以上にとげとげしている。
そうじゃない人もいるんだろうけど、そういう人間が目立つし、
人にとげとげしくなってしまう瞬間は誰でもあるんじゃないかと思う。
(BUMP OF CHICKENの「ナイフ」にも「隠したナイフ」が出てくるけれど、アルバムの発売がバンプが1999年でスピッツが1994年だから違うのかな。曲の制作時期まではわからないけれど。 この曲もすばらしい曲だ。)
そんなこんなでこの歌に出てくる主体である「僕」がナイフを隠し持ったところで似合わない。
ナイフやハサミの刃を見ただけで、血が出ることを連想してしまい、そわそわする。内側にくすぶるものは感じるが、そういう繊細な人間の印象を受ける。
おどけた歌というのがヒロトさんの歌うような歌なのか。
スピッツの「おっぱい」「惑星S・E・Xのテーマ」みたいな歌のことなのかはわからない。
「おどけた」といえば。太宰治の『人間失格』でも語られる道化に通じるものがある。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。
しらふなのに酔っぱらうみたいに。
ありのままの自分をいったん無視して、
ハイテンションでおどけることで、
人と関わることができるみたいな。
裏では無口で暗いと言われるお笑い芸人もいるけれど、
それに似た人間性を感じる。
酒を飲むようになれば酒におぼれそうな。
依存する先が音楽やお笑いならばいいが、
一つ道を踏み外せば人として堕落してしまいそうな危うさがある。
色褪せながらひび割れながら
輝くすべを求めて
日光を浴び続けていると色褪せる。
お店に貼られたポスターも窓際に置かれたぬいぐるみも。
毎日洗濯し続けていると服もタオルも色褪せていく。
毎日の生活の中で自分自身も元の色が分からないくらい色褪せていく。
ひび割れるのは
ガラスの心を地面にこすられ、かたいものにぶつかり傷つくから、
プラスチックの心が朽ちた洗濯バサミみたいにぼろぼろに劣化しているから
雨の降らない枯れた大地のように乾いているから。
そのどれかかもしれないし、全部かもしれない。
君と出会った奇跡が
この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
サビまでの負の感情がここで一気に反転する。
ぎゅーっと収束してた力が弾け飛ぶように。
暗闇にいるからこそ光がより明るくなり、
どん底にいるからこそ、ちいさな奇跡が救いになる。
「きっと今は~はず」という言い方をすることで、
そうでなかった過去を暗示させているような気がする。
「今は自由に空も飛べる」の反対は、
「昔は何か(地面・家・巣など)に縛り付けられていた」あたりの意味で。
自由⇔束縛、制限。空を飛ぶ⇔地面を走る、もしくは動けない。
くらいの意味合いだと思う。
たとえば、学校、家族、友達、地元など。
自分を守ってくれはするけれど、「自由ではない」と思うことも多い。
「胸にあふれてる」のは抑えきれないプラスの感情。あるいは感動。
その具体的な現れ方に、涙を流すということがあるので、
このあとの「涙」に自然とつながっていく。
夢を濡らした涙が海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい
涙が夢を濡らすのだが、
これは夢が叶った涙なのか、夢破れた涙なのかはわからない。
そもそも夢が一つ叶っても、その先の日々があり、
新たな目標や生活がある。
雨の水も川の水も、いずれは海へと向かい、
遠く広い大海原へたどり着くように。
涙がどこへ行ったかわからないくらい遠くへ行ってしまったら。
「ずっとそばで笑っていてほしい」
もうこれは愛の告白だと思う。
夢が叶う叶わないなんてのが、どうでもいい歳になっても
いっしょに笑いあって過ごしていようよって。
相手が恋人でも友達でも、とても素敵なメッセージだ。
切り札にしてた見えすいた嘘は
満月の夜にやぶいた
これもよくあることなのだけれど。
「努力するやつはダサい」「どうせ自分には無理」とか、
「恋愛なんて興味ない」「別にモテようと思ってない」とか、
そういう強がりみたいな嘘がある。
童話のブドウを取れないキツネが、そのブドウを酸っぱくておいしくないと思い込もうとするみたいに。
人に伝えもするし、自分自身でもその嘘を信じ込もうとする。
満月というのは、月が満ちているのだけど、
「この胸にあふれてる」の歌詞のイメージが残っているので、
君と出会って満たされた夜みたいな印象を受ける。
あるいは、「君と出会った奇跡に気づいて、前向きになれた夜」くらいのニュアンスだろうか。
だからこそ、この続きの歌詞につながる。
はかなく揺れる髪のにおいで
深い眠りから覚めて
ここでちょっと異性への目覚めのような。
恋に落ちたことを示しているような感じがある。
髪が揺れているので、風が吹いているのか、走っているのか、自転車に乗っているのか。状況はわからないが、深い眠りから覚める。
新しいスタートを切る。
これまでの自分とは違う自分になる。
一度夢から覚めると、もう同じ夢は見られないように、
その「目覚め」は不可逆的な要素もある。
「幼い微熱」が冷めた感じもある。
君と出会った奇跡が
この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
そして繰り返されるサビ。
「こーのー胸に」という歌い方に、この僕の胸にという実感みたいなものも感じる。
話には聞いていたけれど、実際に奇跡的な出会いをすると胸がいっぱいになるんだなという感慨のような。
「自由に空も飛べる」という歌詞が、巣立ちや卒業を感じさせる。
卒業式で合唱されるのもこのサビの歌詞の印象が強いからかもしれない。
「空も飛べそうだ」と捉えると、僕がちょっと有頂天になっている感じもするから、恋が両思いだと気づいて舞い上がっているとかも状況としてはあり得る。
ゴミできらめく世界が
僕たちを拒んでも
ずっとそばで笑っていてほしい
「たとえ世界が君の敵になっても僕だけは君の味方だよ」なんて歌詞はよく聞くけれど、その歌詞より現実的であり不穏な感じもする。
世界には良い面だけでなく悪い面もあり、その悪い面の方がきらめいていることもある。
受験では不合格だと進学を拒まれるし、
就職活動ではお祈りメールを送られ就職を拒まれる。
「きっと今は自由に空も飛べるはず」の卒業して旅立っていきそうな僕たちなんだけど、社会がゴミみたいな場所で自分たちの居場所がなかったとしても、僕たちは変わらず笑いあっていよう。
そして最後にこの歌詞が繰り返される。
君と出会った奇跡が
この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい
何年後かの同窓会で再会しているかもしれないし、
恋人同士だった人たちは結婚しているかもしれない。
別にそういう特別な関係でなくても、
物理的に距離が離れてしまっていても
心はずっとそばにいるような、そういうあたたかさがある。
終わりに
BUMP OF CHICKEN『友達の唄』にも似た空気を感じる。
この曲の方が、より湿っぽく具体的でわかりやすい感じがする。
それがとても良い。
あなたが大きくなるまでに 雨の日なんて何度もある
その中の一度は一緒に濡れた事 忘れちゃうかな
(略)
今 私が泣いていても あなたの記憶の中では
どうかあなたと 同じ笑顔で 時々でいいから 思い出してね
(略)
信じたままで 会えないままで どんどん僕は大人になる
それでも君と 笑っているよ ずっと友達でしょう
コロナ禍を経て、back numberが「水平線」という素晴らしい曲を作った。
水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に 誰かが綺麗と呟いてる
悲しい声で歌いながら いつしか海に流れ着いて 光って
あなたはそれを見るでしょう
顔の見えない状態のSNSで正しさを武器に殴り合っていたり、
顔が見えないくらい離れたところから砲撃しあっていたり、
その破壊されていく爆発や飛び散る破片を、
何も知らないままその映像だけを見て「綺麗」とつぶやく人がいたり。
そういう人々のすれ違い、傷つけあう感情も、
いつしか海に流れ着いて、水平線に光る朝日と一緒に輝いているのだ。と
雨も、涙も、
海原へ流れて、
水平線で光って、
時が流れていろんな良い歌が生まれても
人々の悲しみは尽きないし、
それを励ますようにまた良い歌が作られていくのだと思う。
僕はその歌を聴くことしかできないけれど、しっかりとよく噛んで味わおうと思う。