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リアルタイム③

では改めて体感時間を
リアルタイムに寄せていくには
どうするのが妥当か

予測をやめ
情報量を減らす

強制力のあるコミュニティ
例えば学校や職場のような
(見方によっては家庭も入る?)
多少自身の意思では
コントロールする難しさが潜む場

こういった場所での
予測や情報量への対応は
身も蓋もない話ですが

己が自身のコントロールにのみ
注力できる

いや、“にしか”注力できない
というのが結論かと思われます

それこそ
瞑想やマインドフルネスのような
精神的なトレーニング(?)が
要求されてしまうのでしょうか

まさに
今、ここにいる精神

言い得て妙

リアルタイムですから
当然そうなってしまうのかもしれません

しかし
私としては別角度からのアプローチも
ないだろうかと模索したいところ

・例えば
根本的な性格、価値観の違いなんかが
まずはそうなのでしょうが
もっと単純に、興味の話として
線引きができるのではなかろうか

ファッション一つにしても
服装の好みは各々違うわけですから
日常的に目で追ってしまう
すれ違う人々への視線というのも
変わってくる

ここで重要なのは
追っていない方です

排除することができる

という絶対的事実
見ないという選択とその性質

情報の操作を
無意識に行えている
ということ

何に注力するかしないか

つまり
人口密度の高い東京という街にいながら
田舎暮らしのような
低情報化も可能であるということ

なるのではなかろうか

意識の問題


いやはや超級の根本問題ではないですか

東京の自然いっぱいを
肌で感じましょう笑

これはまだまだ
終わりませんね

本日も最後まで
お読みいただきありがとうございます

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