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Vtuberはアイドルなのか?

初めてnoteを書くくらいには題名のことについて考えてみた。
筆者は成人してそこそこたってはいるが文章を書くことは慣れておらずXに投稿するには長すぎるからちょっとnoteにまとめてみるか程度のノリなので荒い文になると思うがご了承いただきたい。

題名の件について語るにあたってここで書かれるVtuberってどういう存在を指しているかを記しておく。メタい話しかないです。
Vtuberと一口にいっても中に複数人入っていたり地方PR向けのVtuberなど正直専門家ではないのでその多種多様について全部知ってるわけじゃないが色々ある。今回はホロやにじさんじ、ぶいすぽのガワに対して中の人一人のよくいる大手事務所Vをイメージして貰えればいいと思う。

さて今日は12月26日昨日、一昨日はクリスマスという家族でケーキを食べたり教会にお祈りにいったりクリパとかいって騒いだり恋人とイルミネーション見て思い出共有とかしたりするお祭り日だった。
Vやアイドル界隈ではその日に配信や活動がないと恋人と過ごしてるではないか?と言われるらしい。その言われるらしいって話から配信を強制されるとか平日や暇アピールをしなきゃいけないとかそんな感じらしい。

なんでそんなことしなきゃいけないの?誰に気を使ってるの?って話で昨今Vもアイドル化してるからアイドルに対してガチ恋(ガチでそのVに恋してる)、リア恋(中の人に恋してる。中の人と恋人になりたい)というVからしてみればスパチャやグッズを買ってくれる、盲目的に沢山貢いでくれる太客的存在の可能性が高い層は恋人の存在に対して敏感らしい。
その層に向けて自分は恋人いませんと行動で示すことで安心感を与える必要があるとか。
本人達も配信で述べていたりするがその日一日数時間配信したところで別に他の日や配信外の時間で会えばいいだけだしなんでそんなにこだわるのかわからない。
主観を置いといてそんな感じの話の中で気になったのがアイドル売りというワードだった。
アイドル売りというのは広義的には異性に対して色恋を意識させるような性欲を刺激するような売り出し方をすることらしいのだがそもそもアイドル売りするしないに関わらずVの時点でアイドル視されることは避けられないのではないかという疑問がわいた。
そこでアイドルの対義になる存在はなんなのか考えてみた。
偶像崇拝先であるアイドルの対になるのは崇拝者であると考える。
それを前提としてアイドルに必須な要素とは何なのだろうか。
それは唯一性である。
例えば白菜をグッズ化するとしてそれに対して唯一性を感じるだろうか?
おおよそNOとなるであろう。白菜一つ一つに唯一性はない。
他のキャラと被らない見た目、キャラクター性に名前がついたものこそアイドルである。
これは要素であり満たしているからといって必ずしもアイドルなわけではないがアイドルと呼ばれるものは唯一性がある。だからこそグッズを集めて崇め奉る文化が存在できる。A君とB君は別のアイドルである。白菜が二個あっても白菜が二個あるだけである。
唯一性がないものを何というか考えてみて私はモブという言葉に思い至った。存在が記憶に残らないモブNPCここで前提であげた崇拝者を思い出して欲しい。勿論アイドルがアイドルを崇拝していることもあるだろうが大半はモブが崇拝している。

議題にあげていたVtuberに戻ってみたい。
Vtuberが唯一性は得るのは顔出ししている芸能人に比べて容易だ。
顔は万人にウケる美少女、イケメンに髪型、髪色は他の所属Vと被らないように服装も記号になるようなわかりやすいもの。更にキャラの固定カラーまである。ガワだけで既に唯一性が確保されているのだ。
なので中身がモブでもアイドルの条件は成立する。
ろくに配信は見られていないがグッズが売れるVがいるのはガワが既に唯一性を獲得しているからだ。更にキャラクター設定もあるのだからグッズを売る面だけで言えば極端にいうと中の人の存在はなくてもいいのかもしれない。
この考えに至った時筆者は歪んでいるなと思った。
ただガワと設定、加えて例えば好まれやすい声をしていれば人気になれるのならばVはある程度の好みはあるものの一定の人気は出るはずである。

そこにスパイスを加えるのがVtuberの成長コンテンツ的側面である。
前世で中の人が成熟しきってない限りデビューしたばかりの中の人は配信素人でありほとんどモブの存在である。
それが活動の中でその人にしかできない配信、唯一性を手にしていくことでガワ、中身ともに人気を得た真のアイドルに進化する。
その人にしかできない配信というのは難しい。ガワが無くても見たいと思えるような他の人にはできないようなトーク回しや特技を見せる必要がある。
よく見るのは有名人の物真似を挟んだり声質を生かしたレベルの高い歌を披露するものである。

話をアイドル売りに戻すと前述を踏まえるとガワという唯一性をまとっている時点でVtuberは中の人の意向に関わらずアイドルである。なのでVとして生まれ落ちた時点でガチ恋を0にすることは不可能である。
0にしたければガワを脱ぎ唯一性を捨てモブとして生きるしかない。

この唯一性というのはとても厄介なものだと思う。
中身自体がモブでガワで崇拝を手にしていたとしても本人はそのことに気づきにくいのだ。引退して中身で活動しても人気がでないのはこの厄介性が影響している。(引退した後もそのVのファンが亡霊として残るのはガワの唯一性が非常に厄介な証拠なのではないかと思う)

中の人が唯一性を獲得した人間の転生は当たり前のように成功するだろう。
それは所属事務所に大きな影響を与えるに違いない。
ただ大多数はガワを捨てても成功できるような唯一性を獲得していない。
転生してもVとして活動することが多いのはこの楽なアイドルの在り方に気づくのだろう。中身が例え唯一無二の魅力があっても配信をしっかり視聴する層はキャラクターを目にした人から更に限られた存在だ。それなら初めから唯一性のあるガワを被っていた方が楽なのだ。

ここまで書いて思ったがアバターのように誰もがVになれる時代がきつつある。その時この世はアイドルかモブかの二択になる世界なのか?それともVであること唯一性のあるガワを被っていることがアイドルの要因にはならずより中身が特異かどうかが問われる世界になるのか?大手事務所に所属できていれば優位性は揺るがないのか?
どちらにせよ中の人はガワと同じように唯一性を獲得することがVの自己実現なのではないかと思う。そうでなければいずれモブの自分自身を突き付けられた時にしんどいだけだろう。
崇拝者が中身の普遍的な部分に対して言及してくることはほぼないだろう。
自分自身が崇拝しているものは特別なものだと思うだろうし崇拝対象を傷つけたいとする人は少ないだろう。たまにいてもそういう輩は反転やファンチ、アンチと呼ばれて排除される。本人が内省して成長していくしかないのが難しいところだ。

こんなネットの隅の乱文をここまで読んでくれた方ありがとう。
私も一モブである。一モブのできることはできれば配信をきちんと見て本人の成長を期待せずに見守るだけである。Vtuberはガワがあまりに魅力的なせいで魅了されることに対して、唯一性を感じることに対して後ろめたさを感じるかもしれないがそのように作られていると思うことで少し気楽にみられるのではないだろうか。ただそのように作られているからといって迷惑行為をしていい訳ではない。崇拝するように作られているものに対して崇拝心を抱くのはおかしいことではない。きちんと受け入れてルールを守った信者として振舞わなくてはいけない。それが嫌なら頑張って抗うしかない。惹かれるけど適度な距離を持って見る。近づきすぎない。魅力的なVtuberが溢れるこのアイドルばかりの世界のいいところを上手く啜って生きていこう。


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