見出し画像

だれかと話がしたいだけだけど

10日後に、わたしは助産院を開業する。

なんで、開業するかって?病院にいるとパニックになるから。みんなのようには役に立っていないと感じるから。仕事ができないといわれるし、自分でもそう思うから。だから今年の4月に職場をやめた。とてもとても感謝しているし、最高のスタッフばかり。だけど、私には辛い場所だった。そこで出会った患者さんたちを思いだす、本当にありがとう。

28歳で助産師になって、29歳で結婚して妊娠して、30歳で障害児を産んだ。4人子どもが欲しかったから、仕事を休んで、4人産んでたら復帰する頃には7年経っていた。7年間ずっと育児と家事と障害児の付添。夫もいる。だけど私が家事・育児のメインなの。主婦で引きこもりもいいところだし、復帰なんて怖さしかない。だけど、しゃあない大黒柱が交代だ。37歳で復帰して新人さんたちに混ぜてもらってどうにかこうにか。いや、仕事できないけどね?まわりには迷惑しかかけてないと感じる。体力だってないし、できるなら時間になったら業務わたして、そっこーで家に帰りたい。夫が主夫となり、障害児含む4人の子供とてんやわんやで生活まわしてるんだから。

あ、で、なんだっけ?そう開業。

去年、障害児が死んじゃって私はもうほんとによれよれになった。10年間大切に育ててきた娘が死んだら、どうしたら良いかわからなくなった。わたしはバカだ。娘を死なせてしまった。どうしたらいいんだ。そして妊娠した。年末に息子が生まれた。年始に娘が死んで、年末に息子が生まれるんだね。そしてむかえた新年。1月4日の一周忌に死んだ娘の写真展を開いた。沢山の人がきてくれた。人生は奇妙なことばかり。

あ、そう、それで開業ね。

7月23日が死んだ娘のお誕生日で、だからその日に助産院を開業する。同じお誕生日にするのだ。ただそう思っただけ。いない娘もお祝いするし、助産院は年を重ねていけばいい。無理なら閉じればいい。とにかく記念日なのだ。病院では役に立たない私も、じぶんで無理やり作ったこの場所で、なにか人の役にたてるだろうか。

それが助産院の仕事かしらんけど、助産師であるわたしがいるからそう名付けた。やりたいことは死んだ娘と一緒に生きていくこと、子どもと一緒に過ごすこと、知ってることを伝えること、遠くのだれかとつながること、近くのだれかと出会うこと、ただここに居ること。ぼろぼろでいいからここにいること。そういうこと。だからぼろぼろの助産師が気になったら門をたたいてください。にっこりお迎えしますし、ふつうのことしか言いません。

娘が死んで、夫は自分の好きな仕事をみつけた。そして県外へ行った。わたしはここに残りたいと言って、子ども4人と生活しながら助産院をすることにした。それでいい。それがいい。離れていたって夫は私の心の支えなんだ。家族っていったいぜんたいなんだ。

だから私にできることは本当に多くない。うんうんと話しを聞くくらい。そんでちょっとしゃべることくらい。だれかと話がしたいだけなんだ。

いいなと思ったら応援しよう!