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「笑う、わらわぅ」感想。

「タオルケットをもう一度」シリーズを一気に全作品プレイしたので公開順に全作品の感想をいいます。現在非公開の作品含めて全部です。

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笑う、わらわぅ

めちゃすご作品にして、タオルケットシリーズそのものの舵を切った転換点だと思ってます。タオルケットシリーズが深淵で、難しくなったのはまさにこの瞬間です。

また、グラフィックやBGMとしても特異です。美麗で妖艶な画面効果に、クラシック音楽を使わないBGM。今まで受けたタオルケットとは全く別物の印象を受けました。

初回プレイのときは「どゆこと…?」と思いながらセリフ1つで止めてうんうん考えてみてを繰り返す作品でした。本当にそこらへんのモブの貴婦人とかが意味わからんことばっか言うんですよ。何?と。

唯一わらわぅが状況を理解していないのだけが救いです。主人公のわらわぅがまさにプレイヤー目線になってくれるんですよね。わらわぅが「わけわからん」と叫んでいる時、ちょうどプレイヤーもわけわかってないんですよね。ここで主人公がこっち側に立ってくれるおかげでなんとか置いていかれずにプレイを進められます。

あと、状況を理解しないまま場を荒らしてギャグにしてくれるにゃにゃも様の存在も大きいと思います。何か恐ろしげな存在がにゃにゃも様のおかげでギャグになるの、作品全体に与える影響めっちゃ大きいと思うんですよ。

で、まあラストシーンですわな。衝撃ですわな。タオルケット史上一番の衝撃シーンだと思います。大どんでん返し。

笑うわらわぅが真に始まるのは2周目だと思います。ラストの真実を知った瞬間、血反吐結びが言っていること、モブが言っていることがとにかく分かる!1周目はわらわぅ側に立って見ていた世界が、2周目になった途端に神目線として楽しめます。こんなに2周目が本番なゲーム、僕は他に知りません。

笑う、わらわぅが凄いと思うのは、たった一つのピースを与えられただけで本当に世界が変わることです。初見の難しさとは裏腹に、ネットの考察などを細かく調べる必要がない程度には2周目”分かり”ます。

この後の作品では結構うんうん唸らないと分からない哲学的作品も多いので、笑うわらわぅは難しいシリーズ1作品目にして例外的な作品とも呼べるかもしれません。

また、あまりにも悲惨なあのわらわぅの状況はプレイ後も心に爪痕を残し続けました。本当に…救われてほしいと。そして、自分があの状態になったらどう思うのだろうと。とても耐えられないと思います。あとわらわぅの脳の創作力が何気にとんでもないと思います。1日中やることがないから物語の創作に集中できるというしんどい理由でしょうが…。

美麗にして、”邪魔”でもある画面上のフレームを一掃してくれるにゃにゃも様、最高すぎないか…? にゃにゃも様がラストシーンで自分で動いたかもいしれない?という描写があることも救いの可能性を残していていいですね。わらわぅは月の子であり、一応死んだ後に月の空間で女神をやっていることは確定なので(MVタオル3で回収)、それだけがプレイヤーとして安心材料ですね。

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(2024年10月1日追記)

このゲームはかなり明快なネタバラシをする構造が美しく、その1つのピースだけで世界のすべてが違って見えるという最高のゲームである…と述べました。なのであえて考察を載せてませんでした。ただ、細部の内容は依然として難しいのは間違いないので、野暮ではありますが、筆者の稚拙な考察のメモ書きを置いておきます。もし1周目でここにたどり着いている人がいたら、ページを閉じて2周目を始めることをおすすめします。

わらわぅという幼い少女がいました。彼女はある日自転車の交通事故によって、全身不随になってしまいます。その日から、彼女は動くことも、話すこともできなくなってしまいました。彼女は自分の部屋のベッドの上で、朝から晩までを過ごします。彼女は自分でご飯も食べられません。彼女は自分でトイレに行くこともできません。彼女は自分の命を断つこともできません。「ぷっち」という名のママに世話をしてもらう以外に生きるすべを持ちません。
ママはわらわぅのためにお茶を入れて、それから物語を聞かせます。内容はちょっとずつ違いますが、大体いつも同じ。わらわぅ、ぷっち、部屋にあるお人形たちをキャラクターとした、お嬢様と勇者(案内役)が悪いやつをやっつけて塔に帰って来る冒険活劇です。わらわぅはこの何度も何度も聞いた物語を「白の世界」と認識しています。
砂漠とは何にもなくて、これから世界が生まれる場所。お茶会から始まるというのはぷっちがお話をする前にお茶を入れることが元ネタです。舞踏会とかお姫様とかはママがそういう話を作ってるからです。わらわぅがお嬢様なのもママがそういう言ってるからでしょう。実際にはもちろんわらわぅが大金持ちのお嬢様なことはありません。
さて、わらわぅはずっと暇で退屈なので、空想しかやることがありません。そして、彼女自身も新しく世界を作り始めます。これを「笑う世界」と言います。なぜ、笑う世界と言うのか?「みんなが笑っている世界だから」とママが表現したのが元ネタですが、もはや形骸化しています。笑う世界の住人は誰も笑ってません。今では「狂ったように笑い飛ばしてしまいたいけど狂えない」ことの皮肉表現として「笑う世界」という呼称を使っているようです。
わらわぅの空想のネタは極めて限られています。曖昧な昔の記憶、ママの作ったお話、目の届く範囲にあるお人形・水槽の魚・電信柱に止まった鳥・空・たまに行く病院…
わらわぅの空想も最初のころは無邪気で可愛いものだったのですが、わらわぅの成長、あるいは長く続く絶望的な日々によってどんどん狂気的な空想が混ざり始めます。これを作中では錆と表現します。この錆はどんどん膨れ上がっていきます。もはや狂気に頼る以外にどうすればいいのか?
こうして彼女は、何度も何度も空想を始めては、その世界を自分で壊します。それはストーリーの完結かもしれませんし、単に途中で飽きたからかもしれません。白の世界が笑う世界に侵食されていることも、単にわらわぅが空想を白の世界に加えているに過ぎません。そして、この世界の終了は大した意味を持ちません。今回の話も、今まで幾度となく繰り返した話も、全部わらわぅの暇つぶしでしかないから。どんどんどんどん狂気を増して、なおも狂うことができないわらわぅが、自分の空想をただ終わらせているだけです。
そうして、何度も何度も壊した空想世界が積み重なって地層のようになります。上の世界のほうが設定が新しくて強いですが、それもまた新しい地層に埋もれていくでしょう。深く深くにある昔の地層はもはや思い出すことも難しいです。そして、「おるちゅま」も「蛹乙女」も「空の少女」も全部過去の(あるいは現在の)わらわぅです。モブのセリフも全部わらわぅが考えていることそのまんまです。っていうか、この世界全部わらわぅが考えてることでしかないんですけどね…。
作中最後にこの世界の永劫の終わりを案内役たちが悲しむシーンがありましたが、別に終わりません。また、ママが新しい話を作って、また同じことを繰り返すだけです。続くのです。そしてわらわぅは、あごちゅ先生の言葉を小さな希望として生きていきます。いつか蛹から羽化できますように…と。

大まかな流れ

書いといてアレですがやっぱこれ説明しなくてもいいですね。笑うわらわぅはこういうの細かく説明しなくていいところが美しいので…。この文章は自分用備忘録とします。


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