「鬼マガツ時」感想。
「タオルケットをもう一度」シリーズを一気に全作品プレイしたので公開順に全作品の感想をいいます。現在非公開の作品含めて全部です。
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鬼マガツ時
(@₋@)okappa!
作品中でも異質な作品ですね。キャラグラフィックの絵柄が全然違うし、神とかいうキャラもマップもほぼ全部新規描き下ろしだし、タオルケットのキャラ全然出てこないし、ゲームシステムも見ない感じだし、文字斜めだし…
特にタオルの既存キャラが一切出てこない点が衝撃ですね。ぷっちもぱりぱりうめも、ポンすら出てこないです。(ポンが出てこない作品はfuryと鬼マガツ時のみ)
基本的に世界観が全く理解できないまま進まされるので、「笑う、わらわぅ」的にプレイすればいいのかな?と思いながらプレイしてました。ずっと地に足がつかない気持ち。和める瞬間は神に張り手をする時のみ…。
ちゃんと探索しないと進めないシステムで、いわゆるタオル特有の無限に稼げる場所などもなく、探索した分がプロテインとなってキャラの強さに繋がる…というゲームシステム的な面白さがありました。
ラストですが…
(@₋@)douyuukoto!?
これ単体だと全く意味がわからないまま終わってしまいました。バビロンの大淫婦の元ネタとかある程度調べてみたんですが、正味よくわからず…。ラストの盛り上がりの迫力はすごかったですが、その意味を全然理解できなかった…。おかっぱが実は悪だったということ?鬼とは?神とは?髪下ろしたおかっぱかわいいな?神001は?
最後の難しい文章はほとんど「バビロンの大淫婦」という聖書の引用でした。おかっぱの正体が実のところバビロンの大淫婦であり、周りの神や-しんし-たちの協力によって遂に裁かれるに至った…という理解であってるんでしょうかね おかっぱが実際何の悪事を行っていたのか不明ですが…
理解が及ばなかったが故に、正直あまり好きな作品ではありませんでした。ただ、鬼マガツ時の変な神たち、特にだもし君の出世作なので、そういう点では新しい潮流を感じられていいですね。鬼マガツ時は既存キャラを全然使わないですが、鬼マガツ時に出てきたキャラは後続の作品に登場するので、プレイし甲斐があります。
ヨルモルキミリ3で回収がありますので、もし仮に鬼マガツ時だけやってこの感想に辿り着いた方がいましたら、ヨルモルキミリシリーズをやってみてくださいな。
以下、ヨルモルキミリ3(はじまりの少女)プレイ後の追記感想。
「蛹乙女のヨルモルキミリ」こそが鬼マガツ時の世界観であり、おかっぱとは蛹乙女=ぱりぱりうめ=ヨルモルキミリ1のもーちゃすの妹だったのです!(@₋@)sounano!?
おかっぱは鬼であり、人であり、神であるということが鬼マガツ時で描写されていましたが、ヨルモルキミリと合わせるとつまり、蛹乙女は「鬼=怒り狂っている存在」であり「人=人間」であり「神=ヨルモルキミリに君臨する存在」ってことですね。
鬼マガツ時に大量にいた「神」はどうやらトカゲです。ノ(@₋@)Tadano Tokagekayo!(張り手)
ヨルモルキミリを考察に含めると、彼女が大淫婦として裁かれるのも納得です。あのヨルモルキミリにおける一般市民の虐殺の原因そのものなわけですから…罪があるとかいう次元ではない… それを含めると蛹乙女にも実のところ罪悪感があり、神として自身を罰する場として鬼マガツ時を用意したのかもですね。あるいはそこでおかっぱを処理したことによって、蛹乙女の人間性や倫理観が更に失われたのかもしれませんが…
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