子供の美術の授業「感じたまま」について

小、中学校の時。美術の先生に恵まれていなかったので絵具の色が混ざり過ぎて汚くなった時も。
水彩ならば色が闇雲に混ざらないように一度塗って乾かしてから次の色を塗るとか水彩絵具の特徴や良さをわかって教えてくれる先生はいなかった。
“上手く”描きたいものが描けると好きになるものだよね。

子供に感じたままに描けってただ丸投げ過ぎるのはどうかと思うし。実際世の中で評価されているのは、わかりやすい“上手い”絵だしね。
技術と感じたままに表現するの両方を育むのが良いと思う。
感じたままというのを深く掘り下げて把握する、体験する、感性を養う事も大事。

感じたままに所謂大人の思う子供らしい絵とか感じたまま描くというのは一部の教育者、大人の妄想、幻想であり。とっかかりが無いと。
保育園や幼稚園で美術の時間?に版画教室の指導補助をした時も、丸投げで感じたままには表現できない子供達が圧倒的多かった様子も見たし。

テーマは顔で髪や目鼻の材料諸々を基底の板紙に貼っての紙版画の変形なのですが、ふわふわした髪の毛っぽいものが意外に版画にすると思った効果が得られなかったり、その物自体の持つ印象と、作品として表す素材としての物質の側面、その違いを楽しんで物事を見る目を深める事の方が大切な気がしてます。

それか、シンプルに表現したいように“上手く”顔らしく表現できるように指導して、表現することが好きになるようにするか。どちらかです。迷いを生じて表現する事、考える事、見つめて深める事を嫌いにさせてはならない気がします。 

「友達の顔を描こう」としても、主題をどこに絞るか、から話して指導するとか。顔の形状の特徴ではなく、内面の特徴をメインに表現すると個性的なりそう。笑顔が多い、賢そう等、同級生のその人の内面の色々な魅力や特徴に思い巡らし「その人を知ろうとする」事をテーマにするとか。
‪だから仕上がった作品は本人の形状と似ていなくても、その人らしさが出ていたり自ずと個性的な表現物になるので。切り口ですよね。あと友達ではなくても自分の顔でも良いのですし。同級生同士だと、心外な顔にされる懸念がありますしね^_^
それかその人の印象のカラーをメインに表現するとか。
物事を深く観察したり、明文化させて、形のないあやふやなもやもやしたものを具現化する事も学校の美術の時間で必要な気もします。自分は何をどう感じるのか。
子供の絵のお話を突然ツイートしたのは、絵具のビリジアンについてのツイートを見て触発されたのでした。なるほどねと思い読みながら、そんなの言われないと子供達はわかりゃしないし、その色の良さは出せないで混色する子もいるだろうなと思ったのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?