ドイツ政府のアーティストの必要性についての記事を見て日本の様子で感じた事と、世間から芸術か選別される事やギャラリーストーカーなどへの私感


日本ではアート、芸術、文化というのが音楽、演劇に主に限定されて言われている風潮をネット、Twitter見ていると感じてしまう。絵画や小説、詩などは蚊帳の外のような印象が否めない。
アニメや漫画は馴染みが深いからか文化として認知されている印象。
ドイツ政府の「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」というニュース記事のツイートを時々目にして。良いなぁと思うものの。
日本ではそんな感じだなと。仮に絵画などが含まれるようになったとしても世間一般の見た事ある聞いた事あるなど一部の作家だけが何故か『芸術様』として認知されるのであろうなぁと。声の大きさ、認知度でしか判断しない世間様から芸術として査定され『認可』というのか…。

少し話が違うけどギャラリーストーカーの話題が出始めた頃も似たような選別を思い出した。いつもよく知らない声の大きな者から選別、査定されるような。

ギャラリーストーカーの被害を語って良いのは若い見目が麗しく芸大卒の女性だけであり、デザフェス、貸しギャラリーで展示している画家や造形作家は含まれない的な扱いをしているギャラリーストーカーの被害者を擁護している声の大きな『識者』『理解者』様方をいくつか目にして疑問だった。

また、そういう女性を擁護して女性の味方みたいに振る舞って若い女性、目見麗しい女性画家さんに、ごますって取り入るような男性達とか。気持ちが悪いのです。

ギャラリーストーカーはマウント取りたいのや痴漢と同じ心理なので。弱そう、押しに弱そう、言いなりになりそう威張れそう、かまってくれそうな人に構ってもらおう、力を誇示しようとするので全ての女性が対象になりうるのですよ。年齢美醜を問わず。狭い空間、接待を断れない状況下で女性が一人で居る。
接客をする側として在廊する事。女性というだけでそれら男性からの不快な働きを受けるリスクが起きうるということ。まして自分の作品をご覧いただくのですし強い態度には出づらい。無碍にできない雰囲気なのです。

特段見目麗しくもない女性や若くもない女性がこのような話をすると定番の「ブスの僻みだ圧」で嘲笑して封じ込める輩もいますが、それがそもそも性差別なんだよとお伝えしたいです。
そして見目麗しい女性が声を大にして言わない傾向なのは実害が少ないからとも言えます。マウントを取りたい男性は美しい隙の無い女性に対して怖気づいている面もあるのでそのような女性には強く出ないのと、守る『騎士役』をしたい男性が群がるので一般的な地味な女性よりは然程困らない現状もあります。

あくまで彼らは他人である女性を“使って”ご自分のご機嫌取りをしたい、いじめの心理なので言いなりになるとか発言力の弱い存在を狙うのですから。

大体こういう事を言うとブスやババアの僻みだというお決まりの口封じ圧がかけられがちですが、それも男性中心の社会だからこそ起こりうるルッキズムであることを気がつき認識する事が大切です。

芸術として世間様から『認可』される事について疑問を呈する発言も、選別する側の人達や選別された人達からすれば自分達の主観や利益を阻害する目障りな存在なので、これもまた『僻み』でまとめられがちです。『認められない者の僻み』にして疑問を呈する言葉の力を失効させる口封じと思っています。

本当に僻みの気持ちの人もいるでしょうけれど、僻みと僻みではないものの選別もできずに芸術も選別できるのかも疑問ですし。
一緒くたに僻みにしてしまうのは手間を省きたい、単に煩いのは黙らせたい、聞く耳を持たないからなのは明白なので。

私自身は直接言われた事はないですが。えてしてこういう事を発言すると、そのように叩かれているのを目にするので言いづらい風潮があるなと思い、自分の印象を落としかねないので、わざわざ言わない人も多いと思うのです。だからあえて言葉にして放ってみました。
私より作品も認知されてお金を持っている人達に気に入られている人達がこのような発言をもっと積極的にしたら、なんでも「僻み」という圧は少なくなるのではないか?と思うのですが。だんまりを決め込むのは自分も圧を加える側に取り入れられている状態で満足している、自分は利益を受けて損失無いから。
被害者として発言をする事望んでいるのでもなく。公平におかしな事に異を唱える視点を発してもよさそうなのにね。発言、影響力ができたのであれば尚更その業界や社会の歪みを良い方向にシフトできる発言をしてもよさそうなのになぁと不思議です。
所詮お金や権力を持っている人に支配されているのですよね。とても利己的なのだよなぁと思いました。

また話が逸れましたけど他者から擁護される守られる為の自己保身やギャラリーストーカー被害を語って良い者、駄目な者等、変な選別を受ける不可解さ繋がりでした。

これらはただの一画家としての個人の意見で起承転結にもなっていないですが、Twitterでツイートしたものです。最初に伝えたいことが自分のツイートで遠くに追いやられた感があるので、noteにまとめてコピペして保存しました。

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