【演劇】ミナノモノ第一「わすれもの」
ご挨拶
皆様、日々お疲れ様です。ミナノモノ代表 南亮哉 こと なまま です。
ミナノモノのnoteを作っても良かったのですが、あれは「誰かと遊ぶための集まり」であり、個人的な文章を載せても心地よくないので、こちらにひっそり載せることにしました。誰かと文章を作って遊んだ際には、あるいは。ここには、制作中の思い出や思考、一進一退、忘れてもいいけど読み返したら楽しそうだな、と思うものを適当に書き連ねます。七ヶ月以上が経過している今、その殆どを忘れていることでしょうが、ここで書かないと今後の公演でも何も残さなくなりそうなので、無理矢理捻り出し、時には捏造してでも、文章を認めてみようと思います。ためにためたしたため、ですね。何も貯めちゃいませんけれど。
△▽△
今後、ネット上でも戯曲は購入出来るようにするつもりです。PDFデータは悩み中です、元々無料公開するつもりだったので、データ販売するくらいなら、と思ってしまいます。付録の扱いも後々決めます。どちらにせよ、遅くとも第三の上演より先に購入できるようにします。
あと、本番映像の公開も、近々しようと思います。多分、手が回るか、誰かに頼むことが出来れば。
思い出
ただの時系列や思い出なので、読んで面白いものではないと思いますが、いつしかの私のために残しておこうと思います。
始まる前
自主公演をやりたいなあ、と考えていた時、漠然とプロットにもならないメモ書きをいつも通り蓄えていました。とはいえ、自分で好き勝手にやるとすれば、敬愛する小林賢太郎氏の主催するカジャラ(パフォーマーを引退した今、次回公演はあるのでしょうか)のフォーマットが自分に合っているし、それを踏襲する気がしていました。案の定、数か月後にそうなりました。
メモ書きの一つ目は、2022年8月22日。僕の僕自身に対しても不親切なメモ書きが面白かったので、これだけ載せます。
音楽流れる、いい感じ、夢心地(恐怖のあまり?)
煽っていく
あーん
音に囲まれて頭おかしくなりそうー(目覚ましフェード)
ピピピある程度のレベルに達したらMカットアウト
↑よくある演出
雑ですね。このメモはまだ分かる方です。『鍵と談話』の冒頭の原型と言えそうですが、このメモの存在は忘れていたので、僕が潜在的に好きな演出なんでしょうね。
その他を簡単にまとめると、
「心を塞ぐ術が卓越しており、(五感六感含め)外界の全てを自分以外に任せる人」
「悲しみと赦しの在り方」
「痛みだけを記憶とする人間の話(料理中に指先を切って思いついた)」
「輪唱的演出」
「最後ボロボロ泣きながら演技したい」
「台詞や押韻で音楽を作る(毎ステアドリブがある)」
「塩ビ管を切って楽器を自作して遊ぶ」
「失い、異物を感じる、生きているような生前のような」
という感じです。本編と関係ないものが殆どなので、ちゃんと色々考えて、色々変えて来れたのだなあと安心します。
参考にした(らしい)音楽
レーダー/稲葉曇
月に吠える/ROTH BART BARON & 中村香穂
巣食いのて/長谷川白紙 + 諭吉佳作/men
この内、いくつかはどこかで使うアイデアだと思いますが、出し惜しみをしたところで大して良い作用は無いので、とりあえず載せました。オリジナルのアイデアがあるのかと言われれば、きっとそんなことも無いですし。
自分の完全なオリジナルが無い、という点を苦しみや虚しさと捉える人もいらっしゃると思いますが、僕は、本当の意味でのオリジナルを生み出さなくても良い、という認識が蔓延していることに安心します。文化をとんでもない勢いで発展させてきた先人達への尊敬が止みません。
発足
団体でも無いし、メンバーが確定していた訳でも無いですが、始まりを決めるならグループLINEを作った日、2022年11月30日だと思います。この時、固定メンバーは僕だけとしていましたが、今ではそれも無くなり、本当にただの場所(集まり)になりました。ただ、今もこれからも変わらず、参加してくれた人は全員ミナノモノです。余談でした。
当初の目標は、「今後、同様の企画をするに当たって必要なものを知る」だったそうです。なるほど。おかげで僕が何処に住むことになっても続けて行けそうです。9か月前に動き始めたのは、僕にしては中々賢い判断でしたが、その間に就職活動があることを考えると、愚かだったかもしれません。いいですね~。これからもこのくらいイカれたスケジュールでやっていきたいですね。嘘です。至って健全を目指しますので、皆さんも一緒に遊びましょう。
この時点で決まっていたのは、僕ともう一人の二人芝居が四本、一人芝居が一本、23年8月に開催、メンバー(役者のみ)でした。ある程度器用に物事をこなす人種ではあるのですが、人に何かを頼むことだけが唯一飛び抜けて下手くそで、それが如実に表れていました。スタッフこそ誘えよ。
(追記 '24/04/01)
このnoteは本当にちまちまと、色んな時点の僕が書いて、消して、書き足しているので、微妙に異なる思考思想が混在しています。ここで言えば、「おかげで僕が何処に住むことになっても続けて行けそうです」とありますが、第二、ミニを踏まえた僕からすれば、必要なものを知れたとしても、それを実行実現する時間的、あるいは、(精神的ではないという意味での)物理的な余裕が両公演において、僕自身に全くなかった、という何とも報われない結果に終わっています。公演自体は、両公演とも純粋にやってよかったと感じていますが、人に助けてもらうことの難しさと来たら、僕にとっては本当に最難関です。発信能力が低いのだから、一番助けてもらわなければいけないのにね。
(追記 '24/04/01)
ミナノモノのコンセプトについて。「本当にただの場所/集まり」とありますが、あえて言語化するなら、「その程度の、強い意味を持たない、広義で境界線のないもの」という具合かなと考えました。多分、しっかり言語化は出来ていないけど、僕の中で不定形にしておきたい、という欲の表れだと思うので、一旦置いておきます。このコンセプトによるメリットデメリットは、僕が詳細に想像していないだけで、想像に易そうなもので、その内、自らの選択に苦しめられる日が来るかもしれませんが、きっとそれは嬉しい悲鳴なので、その時の僕に任せることとします。
定期報告1('22/12/07)
稽古場のように定期的に集まる場が無かったし、zoomも好きじゃないので、定期報告を作っていました。殆ど記憶がありませんが、時期的に研究室に行っていたと思います。それなら記憶が無いのも頷けます。
脚本進捗は、
『???』
『???』
『家憶』(現 鍵と談話) プロット 10%
『???』
『NG:¶』(現 わすれもの) 台詞 30%
だそうです。どちらもこの頃はタイトルが違いました。他三本は何も決まっていません。『鈍沈』の原型だけはもっと前からありましたが、それもただの散文でした。
水野氏に音響をお願いしました。小屋も借りてないのにね。
定期報告2('22/12/29)
12月は特別真面目に生きられませんでしたが、劇作の割合が多かっただけよかった、とあります。よくないだろ、とは言えないですし、言いたくないですよね。天神天神天神。
『忘れ物にはご注意を』
『マイ・ヒーロー』
『扉の開け方』 プロット 40%
『鈍沈(にぶちん)』 プロット 40%
『NG:¶』 台詞 10%
全編を通した仕掛けはこの時点で決まっていました。また、「忘れてしまうことは仕方がない。俺の悪さではないし、悪さとしてはいけない」という一文がありました。乱用するのは頂けませんが、時と場合によっては、大事にしていきたい考え方です。
定期報告3('23/01/23)
本当に修論の進捗がヤバいからこそやってしまうみたいなところあるよね、ねーよ、やれ、とありました。男とか関係ないから黙ってやりなさいよ(マジ説教クールポコ。)。
『忘れ物にはご注意を』 プロット 2%
『マイ・ヒーロー』 プロット 2%
『扉の開け方』 プロット 40%
『鈍沈』 脚本 40%
『NG:¶』 台詞 10%
2%ってなんでしょうね。もう0%でいいじゃない。と思って各作品のメモ書きを見てみたのですが、0%でした。これを進捗と言い張るな。なんだ、「なんか……カッケエ(ダセエ)!」って。もう少しどうにかならなかったのか。
この頃は、『忘れ物にはご注意を』だけが全く書ける兆しも自信も無くて、完全に目を逸らしていました。
報告直後、修士論文を提出し無敵になった僕は、事務的な連絡を500字に渡る怪文書に変換してグループに送り付けました。怪文書という言葉も最近は意味が変わって来ていますが、やはり文書とは情報そのものを指すので、怪文章という言葉を作って使った方が良いのではないかと少し思いました。
定期報告4('23/02/28)
就職活動にシフトしつつ、脚本に力を入れ始め、小屋を借りなければとなっている時、スタッフを誘わなければいけないとなり、滅茶苦茶に苦しんでいました。そのくらい苦手です。公演を終えた今は少しマシになっていると嬉しいですが。
ここで公演名が「ミナノモノ第一『わすれもの』」に決まりました。鍵括弧は二重鍵括弧にしていましたが、後に気づいた時には忘れていたし、どっちでも良くなっていました。
『忘れ物にはご注意を』 プロット 5%
『マイ・ヒーロー』 プロット 5%
『扉の開け方』 プロット ー10%
『鈍沈』 脚本 70%
『NG:¶』 台詞 5%
苦しんでいたのは、人員だけではなく、『扉の開け方』もでした。演出が成立しなさそうだったので、完全に白紙にしました。白紙にしてもメモを消すことは無いのですが、メモが殆ど無いことから、脚本以前で立ち止まっていたことが分かります。
直後に作曲と照明は承諾頂けたのですが、肝心の制作が見つからず、という感じでした。
小屋を借りる
3月17日。契約を交わし、レッドベリースタジオが借りられることになりました。人員は揃っていませんでしたが、勢いのままに公演を行う旨をツイートしました。
この間、就職活動も相まって、大きな進捗はありません。強いて言えば、飲み会終わりに終電が無くなったので、札幌から新札幌まで歩いて帰ることにして、メンバーと電話したことくらいでしょうか。一方的にべちゃくちゃと喋っていた気がします。
定期報告5('23/04/01)
こにゃにゃちは。
胸を張れる生活はしていませんが、一応生きています。
これが最後の定期報告になります。
これからは顔を突き合わせて話すことになるからです。
そんな一文から始まる定期報告の内容は、制作が見つからなかったので身内でやったりましょうというお話でした。元々そのつもりだったので、僕としては元の形に戻っただけで、特別深刻には捉えていません。
その他にも色々と書いてありますが、まあ、文章の長さから察するに、脚本から逃げたくて適当に書いてる節がありますね、これは。バレバレです。
『最強の相方』 5%
『マイ・ヒーロー』 10%
『鍵と談話』 5%
『鈍沈』 90%
『わすれもの』 5%
ここでタイトルを全て確定させました。鈍沈だけ完成間近なのは、今まで全く書いたことのない種類の本だったので、書き切る自信が無く、先んじて目処を立てに行きました。この選択は間違いではなかったと思います。
「俺を助けてくれ」とメンバーに何度か投げかけていると、報告後、本当に助けて貰いました。制作が召喚されました。キャー。完全に命を救われました。比較的大きめの感謝と愛を。
顔合わせ
何処ぞのカレー屋さんで初の顔合わせをしました。九名で集まって話したことと言えば、「何も決まってない」ことだけです。あとは、他愛ない、もとい、くだらない会話ばかりしていた気がします。メンバーの中には、お互いに初めて会う人もいたりして、勝手に面白かったですね。
飄々とした僕を真正面から律する人はいませんでしたが、しっかり呆れられていたのを覚えています。呆れというか、諦めですね。いつも通り過ぎて、何も意外性がなかったことに呆れられていた感覚です。
カレーは美味しかったです。
△▽△
稽古
これも思い出と言えば勿論思い出なんですが、章が長くなるので適当に区切りました。別に稽古方法とかを載せてる訳ではないです。なんなら稽古以外の話も出てきます、多分。まだ書いてないから分かんないけど。
最強の相方
稽古時間:10コマ(1コマ=3時間)
カレンダーを見る限り、10コマではありますが、実稽古時間はおそらく8〜9コマくらいです。書けていない時に書き方を模索する手伝いをお願いしたり、稽古し過ぎても面白くなさそうだよね、などと言ってボケツッコミを考えているだけの時間も沢山ありました。後者に関しては、漫才の作り方を知らない僕らにしてみれば、必要不可欠な時間ではありましたが、春氏の苦手な動きの練習にもう少し時間を割いても良かったとも思います。とはいえ、当時の私に気がつく術はありませんし、時間を無駄にしていた覚えもないので、本当に「思う」だけです。
当初は『鈍沈』が一番大変だと思っていましたが、蓋を開けてみれば、この本はトップタイで大変でした。筆の進まなさだけで言えば、一番進みませんでした。何をしてもいいから、何も書けない。プロット段階でよく感じる悩みを執筆中、延々と感じていました。これがキツかった。漫才ということもあって、稽古は何処までも楽しい反面、執筆が一番苦しかった本です。
執筆、執筆と言っていますが、果たしてあれは執筆だったのでしょうか。脳内で騒ぎ立っている僕のくだらない部分を濃縮してビニルで包んでも暴れてしまうものだから穴が空いてどうしても漏れ出る匂いを致し方なく言葉にして並べて提出した夏休み残り数日でガッと作った自由研究のような、振り返って形容してみると、そんな感覚が僕の中に残りました。難しい漢字を羅列したノート。愛犬を一枚の板に彫った彫刻。案外、丹精込めた自由研究は記憶に残っているものですね。かなり鮮明に思い出せます。懐かしい。
最初の稽古は、北海道大学の正門近くにある中央ローンでした。漫才の稽古、もとい、ネタ合わせをしたことがない二人だったので、進め方の勝手が全くわからず、長時間うだうだしていました。久しぶりに恥ずかしさを感じたのを思い出しました。今までシュールなボケをシリアスから逃げる手段としてよく使っていましたが、逃げ場のないボケを(シュールかどうかはさておき)真正面から書く、ということが特異な体験でした。ただ、最初の稽古は、初夏の夜分に行ったものですから、一ページ半しかない台詞を二度読んで、「いけそうかなあ」「いいと思います」とか何とか言って、すぐに僕の車に場所を移し、ぬくぬく駄弁って終わりました。
やはりこの本の稽古は、とにかく特異で、「難しい」の種類が演技のソレではありませんでした。大喜利やらフレーズやらに頭を悩ませたり、動きや表情、特に間を「取り合う」といった、独特なものでした。「取り合う」というのは、別にそういう方針で稽古をしていた訳ではなく、詰め過ぎないよう、固め過ぎないように気を付けているサマが似合う言葉を選んだ結果です。生モノとしての演技を練習する、という目的であれば、漫才やコントといったお笑いは、言葉の間を何より重視する形態であり、案外、エチュードよりもずっと良い効果があるような気がしました。多分、そんなことはないんですけど。
お互いに黙ってフレーズを考えている時、思いついたものをポツポツと呟くのですが、お互いに考えながら聞いているので、面白いと思えないと素直に中途半端な反応になるのが、ある意味シビアで僕はすごく心地が良かった。
彼女は、僕に対して、初めの方はどうしても多少気を遣ってしまっていたように感じますが、それを以て有り余るほど伸び伸びと遊んでいてくれていた印象があるし、実際そう出来た、と言ってくれたのがとても嬉しかった印象。観に来てくれた石本氏に「お前は完全に春ちゃんに負けてたね」と言われたのは、自分が意図通りに立ち回れていたと安心したこともありますが、何より春氏がそれほど確かに最強であったということで、純粋に嬉しい言葉でした。
いや。にしても、最強でしたね。私は子どもの頃から、素っ頓狂なことばかり言って、しっかり変人だと認識されており、程度の違う変人はいても、僕が周りを置いていくばかりで、嬉しいことに友人に恵まれていたのもありますが、会話において、僕が置いていかれることはありませんでした。そんな中ですよ。春氏。置いていかれることはないですが、おもしろの尺度をしっかりとお持ちで、僕に披露してもいいと思ってもらえてからというもの、彼女のおもしろでぶん殴られるばかりでした。
自分が同じスピード感で辿り着けない思考に、久しぶりに、おもしろでは初めて出会い、それはもう滾りました。「ふーん、おもしれー女」って台詞を書くには、違いなく、こういった経験をしなければならないのだ! と、心に決めた瞬間でした。しなきゃいけないことなんて、あんまりないんですけど。懐かしい台詞ですね。
おもしろの種類にも得手不得手がある、というのも良い体験でした。私は、言葉選びにはある程度のこだわりを持って取り組んでおりますが、私の引き出しどころか、辞書にすら載っていない語彙を投げられた時には、捕らえた語彙を呆然と眺めるしか出来ないこともありました。ツッコミが出ないのなんの。というか、ツッコミが難し過ぎる。やらなくても分かる難しさが、身に染みて分かりました。いや、きっとまだ分かっていません。あまりにも奥が深い。経験値がモノを言う、という意見に強く頷きつつ、そういった領域に対しては、分析と想像と精神があれば、何とか形になるはずと信じている私ですが、ツッコミは、ちょっと質感が違いました。ナメてた訳じゃないんですが、春ちゃんに完全に、のされたこともあり(引きづられている様子が脚本と合うようにしたのは、お恥ずかしながら、僕の実力不足を隠すリスクヘッジです)、「これは長くやりたいなあ」と思ったものです。長く、とは、文字通りの意味です。
漫才楽しいですよ。皆様もやっていきましょう。
これからもネイキッドをよろしくお願いします。
マイ・ヒーロー
稽古時間:11コマ
こいつは、書くこと自体はそこまで難しくなかったんですが、最初と最後だけ決まってる際によくブチ当たる中盤の壁がありました。どういう話で膨らませようかなあ、と悩んでいる期間が長かったですね。とことん会話で、演出的な面白さは最初と最後にだけ置く、ということは決まっていたので、当時の僕にとっては、ある意味チャレンジングな構成でした。全ての作品がそうなんですが。
北大の牧場北側、石山通そばの道端で、快晴の中、稽古をしたのはよく覚えています。本番から一ヶ月半ほど前だったこともあって、絵を描いてSNSに投稿しました。お気に入りです。
稽古では、基本的に好きにやらせていました。というのも、岡部氏は、「与えられる条件が少ない中で好きに変えていく」のが不得手、というよりは、何かがが邪魔をしている様子だったので、それを探りつつ、僕のSっ気が発動しました。人を育てる、人に教える、のが好きな僕ではありますが、決して一段上に立つことはなく、体感として、同じ演者の隣人として稽古場にいることが多く、演出として彼の演技を前から見る回数は、一桁に収まるほどだったと思います。役者が二人いる、舞台に二人生きていることがよく似合う本にしようとしていたので、むしろ、良い環境だったのかな、とも思います。
彼は、後輩ということもあってか、僕と相対していることもあってか、実に自信なさげでありました。しかし、それでも程よい距離で放っておきました。最低限の言葉で、自ら気付きを得る機会を、気長に待ちました。待つも何も、普通に楽しく稽古してただけなんですけど。これは、早々に人前に出せる土台が出来上がりつつあったことと、僕の怖いもの知らずな胆力があって成せる、とても有意義な贅沢でした。事実、小屋入り中に、彼は「自由にやっていいんだ」と内側から感覚を生み出すことが出来たようで、感謝の言葉をしつこいくらいに頂戴しました。嬉しいですね。
感謝の言葉を頂戴しましたが、厳しい言葉を使えば、期待がなければ、そもそも待つこともしません。彼は、外部の人間がどうこうするより、自らの内側で思考がハマった時に強さを持つタイプで、一般的なソレよりもその程度が大きいのだろう、と思い、私が勝手に方針を変えただけです。我ながら図々しい考えではありますが、割と本気で、一つのきっかけになれば良いな、と思っていました。他者を直接変えることは出来ないので、他者へのアプローチが生来薄い私ですが、この時は妙に強く、あまり表出していなかっただろうけど、そんな意識を抱えていました。あるいは、彼に引き出されたのかもしれません。
話を戻して、演出として、以上の立ち回りをしたのは、やはり僕自身がそういう経験をしたことで、自分の行動、特に思考が伸びやかに広がり、ある種の無敵に近づいた、端的に言えば、ビビらなくなったからです。ビビる、という行為は、甘い言葉を使えば、賢く、厳しい言葉を使えば、遠回りであり、互いに損をすることがある。自らの原点を再体験したようで、良い体験でありました。
僕は役者として、彼にビビらされたい、という願望があります。是非とも、実現して欲しいですね。
稽古は、ポーズを考えたり、ボケを考えたり、会話を捏ねくり回したり、自由度の高さに悩まされ苦しんだり、遊びの中で生まれたセリフや演出も沢山あります。小屋入り中に解決出来た部分もあったり、こういうことがあると、楽しいばかりですね。総じて、至って普通の、至極幸福な時間でありました。
幸福でありましたが、私の演出不足というのも、リアルタイムで感じておりました。これが力不足だったのか時間不足だったのかは、判断しかねますが、どちらにせよ、時間対効果は想像を超えず、自分の力量や経験値に対しての不満足がありました。これは、作品の具合には無関係であり、例えば、満足のいくような効果的効率的な演出が出来ていた時、必ずより良くなるということではなく、端に早く稽古を終わっていた、という話です。これ以上良くする、良くできる、とはあまり思わず、これに関しては、私の欲の薄さと想像力の低さがあったのかもしれません。
以上の文章は、当時引っ込めていた思考を言語化しただけであり、出来上がったものは当時実現出来る最大限だった自負があります。わざわざマイナスの印象にも捉えられるような文章を置いたのは、それ程に最近の僕が欲を出せるようになってきていて、また彼とお芝居をする時に、彼をビビらせてやろうと、そう思ったためです。
僕は、多くの方々が自らを肯定するのが上手くなるまで、前向きに自分を肯定し続けます。
一貫して、逆張りオタクでございます。
とはいえ、熱を帯び続けると冷えを感じることもあるので、今は一旦収め、人肌の温度に。青年の言葉を借りて、普通に生きていくこととします。
鍵と談話
稽古時間:15コマ
15コマ、とありますが、実稽古時間はおそらく8〜12コマです。こんなにも幅があるのは、脚本についての話し合いが非常に多かったためです。そもそも話が長くなりそうなこともあって、早い段階から「こういう話になりそうなんだけど、面白く出来ると思う?」とか、そんなことを波佐谷氏に聞いていました。「お前が面白くするんだよ!」とよく言われていました。本当にそう。
この本は、まず前半がやっと、やっと書けて、でも、メインの後半が書けないと何とも言えない、みたいな時間が長かった。一番書ける自信があったから、一番最後に残った脚本です。振り返ってみても、悪手ではなく、出来る最善だったと思います。波佐谷氏は大変だったと思いますが、まあ大丈夫っしょ、って感じでいました。おっと、こんな時間に誰だろう。
書ける自信はありましたが、一番右往左往した脚本でもあります。つまり、自信はあっても、プロットは全く無かったということです。謎の自信に苦しみました。勘弁して欲しい。台詞で悩んでいるのならまだしも、設定で悩んでいるものですから、周りの人も、特に波佐谷氏は助けようにも助けづらいったらない。これなら行けるかなあ、となってから、すぐ書けるかと言われれば、全くそんなことはなく、不都合が起きないよう、脚本に書くことがなければ、演者にすら聞かれない限り伝えないような設定で悩むことになるのです。ああ丁変(ていへん)(超大変の意)。
脚本の話はもういいです。暗くなってしまうので。稽古といえば、一番印象的だったのは、自他ともに僕の演技が下手過ぎたことです。全体の演出と波佐谷氏の演技が固まってきた頃に、ふと改めて、客観視に注力してみると、何ということでしょう。この密度の小さい演技。匠の仕業としか思えません。などとふざける前に、波佐谷氏に「ワシ演技下手ぢゃね?」と聞いたら、想像通りの返事が返ってきて、シンプルに笑ったのをよく覚えています。
ブランク、という言葉は、稽古場での(稽古は休憩を忘れるほど集中できますが、発声練習などの)自己研鑽に集中出来ない分、日常の中で思考や意識を巡らせ、一人ブツブツとひとりごつこともあれば、焼けたパンにバタァぬり…ぬり…る日もあれば、急に日々の動作を変えたり、生活の中で得られるものに縋り、細く確かに保っているいる(イルミ=ゾルディックの語尾)私にとって、適用出来ないものなので、端的に演技をサボっていたことになります。サボるのが上手いことは自分の長所と自負していますが、自分の作品でマイナス方向に働いているようでは、目も当てられないですね。
波佐谷氏との稽古は、僕が妙に信頼を置いているため、力を全力で抜くことが多かったですね。他とは違う楽しみ方。楽しんでいる、という言い訳をしてダラけているだけかもしれない。というか、「一旦休憩。続きがないから。うわーーーん。書いてなくてごめーーーーん」とか、そんなこと言われてどうしろってんだ的な台詞だなあと自分で分かっていながら、特にフィルターに通すことなくそのまま吐き出したりしていました。設定が固まって、筆が乗って来てからは、打って変わって、ゴリゴリ稽古して、僕が休憩を忘れて、波佐谷の集中が少し途切れた様子で気づいて休憩に入ることもあった気がします。いやそんなことはないかも。大体言われてから気付くんですよ、こういうのは。逐一、休憩するかどうかを問う癖は付いていても、集中してしまうとね、集中してしまうので。
僕の失態を横に避けた時に思い出すことと言えば、ずっと脚本やらキャラクターに興奮している波佐谷氏の様子ですね。嬉しいことに、『||||°C°|L|L』と同様に、今回のキャラクターも性癖に刺さったようで、あまり言わない(というか伝え忘れている)台詞の意図を時たま伝えると、うわああああ、と悶えていました。わかる。キモいよね。とか、僕も僕で変な反応をしていました。自分で書いてるのに、なぜ他人行儀になってしまうのでしょうか。普段はちゃんと、いいでしょ〜〜、とか言えるんですけど、キモ脚本書いた時は総じて、いいよね! わかるわ〜! とか、キモオタみたいになってます。自分の作品の1番のファン、として捉えれば、サカナクションの山口一郎よろしく誠に健全な様子ですが、その実と言えば、ただの自給自足キモオジです。なんか文句あんのか! 創作なんぞキモくてナンボじゃボケ!
ト書きにルールが書かれているのは『||||°C°|L|L』と同様の仕掛けで、とても楽しかった。言うのが遅れましたが、こういうネタバレも出て来ます。本当は脚本の端から端まで、脚本上に無い情報も含めて、全ての解説を載せようとしていましたが、シンプルに忙しいので、また別の機会にします。あと、舞台上で涙を流してみたい願望がある私ですが、それと同じくらいかそれ以上にヨダレを垂らしたかったので、良かった。
ヨダレと言えば、『謎の彼女X』(作 植芝理一)という漫画があり、本作を原作としたアニメが、僕が初めてみた深夜アニメでもあり、当時はよく分かりませんでしたが、大学生になってから漫画を買って、「ふーん。おもしれー漫画」と、自分の名刺代わりの漫画5選に入ったのでした。今も5選に入ったままです。まあ、紹介が「ヨダレと言えば」で始まる以上、作者の性癖が起点の漫画ではありますが、総じて読みやすい高校生二人の物語であり、ザ・学園モノという訳ではなく、学園のイベントの中で二人が(あるいはそれ以上の人数で)奇妙なことをして、奇妙な絆が結ばれていく様子が描かれています。特有の設定といえば、「ヨダレによる絆」というもので、この仕掛け(という程大層なものではありません)が面白い。というか卜部が可愛い。卜部美琴(うらべみこと)というヒロインがいるのですが、これまた僕ら世代には懐かしいメカクレ女子でして......
こんな風に、自分の作品を熱く語ってもらえるように、今後は見やすく、それでも性癖や僕らしさが薄くならないような作品づくりを心掛けていきたいですね。
話は戻りますが、本番直前の稽古は、「もうよくねー?」となって、1コマの半分くらいダラダラしていました。キメの部分以外は、稽古し過ぎると劣化してしまうような気がしたので、放っておいて、粘土で小道具を作ったり、シンプルにダラダラしていました。30分も暇な時間が無かった時期なので、妙に落ち着いたのを覚えています。
危うく書き損じるところでしたが、この作品は、一度すべての台詞を設定してはいるものの、最終的なものとして、「あなた」の台詞の何割かは、任意の台詞を読むこととしていました。つまり、本番で読まれた台詞の何割かは、波佐谷氏が考えたものになります。僕がよく手隙の際にやる手法なのですが、今回はそれが根底にありました。これがすごく良かった。波佐谷氏の感覚もさることながら、やはり僕は、(時間が不足している中で)僕の想像出来る範囲で創作している内は、あまり面白いものが書けない、と再認識しました。
一度すべて設定したのは、僕がそうしないと最後まで書けなかったからです。次に似たようなことをやる時は、最初から完成した状態で、僕の思考が一切入らない純粋な台詞を引き出してみたいですね。今回が純粋でなかった訳ではないんですが、方向性をある程度定めている以上、完全純粋ではないということです。
こういうことは、実現不可能と分かっていても、一旦は書き残しておきます。
波佐谷氏とは、再び公演を行うことになるんですが、当時はそんな構想は全く無く、それでも、もう一度やりたいと思っていましたね。
この作品は、違う形になって、皆様の目に触れることになると思います。それでは、また会う日まで。
鈍沈
稽古時間:10コマ
10コマとありますが、10コマ以上稽古していると思います。この脚本は、一番はじめに稽古できる量が用意出来ていました。とはいえ、結局その後は他の脚本を書いていたり、就職活動にハゲんでいたので、定期的な稽古は他の脚本と同じタイミングで、岩崎氏が忙しくなることを事前に伺っていたので、それ以前に二度ほど稽古をした気がします。と、思っているだけで、案外カレンダー通りの稽古だったような気もします。
はじめに書き進めていた、と言いましたが、中盤の会話を書き終えたのは他の脚本と同じくらいのタイミングでした。序盤終盤が書けており、ある程度稽古も出来ていたので、穴を埋めるだけ、という感覚ではありましたが、思いの外、重要な台詞たちになってしまったので、役の理解に時間をかけさせる形になってしまいました。執筆に関しては、少しバランスが悪かったような気がします。
この本だけが唯一、ミナノモノ第一をやろうと思っていた時に少しだけプロットを書いていた本になります(おそらく)。プロットと言っても、抽象的な言葉の塊なので、物語のカケラもありませんでした。岩崎氏とこの本をやると決まってから、一番最初の話し合いはタイトル決めでした。話し合いというよりは、僕の相談に乗ってもらった形ですね。僕が、何か縛りが欲しい、と言ったところ、「漢字だけど読み方は柔らかいタイトルとか、いいですね」との返答を受けて、丁度良い縛りだ、と思考がクリアになり、そこから鈍沈に辿り着くまでは、アイデア十個以内で辿り着いた記憶があります。タイトルを決める時にたまにある「これしかねえ」って感覚がありました。気持ち良かったですね。タイトルは凝り過ぎてよく分からなくなることがあるので、これからも気を付けていきたいです。
......しどどるる......? ......なんですか、それ(レインボー ジャンボ)。
この本は、『マイ・ヒーロー』同様、二人の役者がいて、二人が舞台上で生きていることを重視していており、かつ、マイヒロに比べ、圧倒的に逃げ場がないので、一番挑戦的でどうなるか分からない脚本で、端的に書き切れるか分かりませんでした。書き上げて、こういうのも案外書けるもんだな、と一人で感じ入っていた記憶があります。岩崎氏に「いいと思います」と言われたのも、安心の材料でしたね。彼女は中々にシビアなので。
稽古、の前に、劇中の人物像についてですが、作風と人物が同時に決まっていきました。僕の内的要因としては先述したものであり、外的要因としては(と区別するにはあまりに内的ではありますが)岩崎氏の得意な発散の演技を封印したらどうなるのかしら、という興味がありました。興味というか、意地悪なんですけれど。結果的に、ラストシーンでは発散の演技を演出しましたが、これは改稿の中で、僕の外的要因による意思が酷く邪魔で、見応えに欠けたために排除した、という単に自業自得な、何ともシンプルな理由です。僕にとっては、よくあることなので、今回も見逃さずに気付けただけ偉いとしておきます。最初からバランスが良ければいいんですが、これは出来た方がいいな、とも思えないので、当分はこのままだと思います。
稽古に関しては、至って地道で淡々とした、見た目には地味でも楽しいばかりの稽古でした。ざっくりと方針を伝えた後は、面倒な台詞覚えをさっさと終わらせて、ゆったりと稽古に臨む。役についての解釈を当人に任せることが多い私ですが、私の解釈を聞いた上で自分の中で作りたい、とのことだったので、おそらく全て話したと思います。話していないことがあるとすれば、それは私が当時想像していないか、あるいは、想像しなくともよいと判断した領域であり、それは再解釈と同義になります。
本公演以前は、行動や読み方の多くを指定して、そこから役者に破棄改善してもらう演出方法を取っていた私ですが、本公演では、その指定する量が全体として少なく、特に本作『鈍沈』では、最初の動きとミザンスくらいでした。その他は指定ではなく、改良するための土台程度しか用意しませんでした。というか、放っておいて、岩崎氏が困ったら、一案提示する形が多かった。特に読み方なんかは、殆ど稽古の中で少しずつ整えていった、元来通りの稽古という感覚で、僕には新鮮なものでした。
僕が一度無視して後で直そうかな、とサボった部分を逃すことなく突いてくるので、他の稽古とは違う感覚でした。稽古ごとに振る舞いを変えるようにはしていますが、本稽古は唯一、優先順位を変えて行いました。といっても、特筆するようなことはなく、感覚的な部分が多く、当時の私であれば言語化出来たと思いますが、正直その時の思考は(ごく微細なもので)ほとんど覚えていません。特に心地が悪かった様子もなく、むしろ、終演後に稽古が楽しかった旨を伝えられたので、間違いではなかったのだろうと安心しました。
稽古で一番覚えているのは、表情に関する稽古です。数少ない、おそらく二か所だけ、表情/動作のト書きがありました。これに限らず、また今までの書き方とは違い、想定がない状態で執筆し、稽古場にもあえて具体的なアイデアを持っていかない試みを実行しました。しっかりと模索の時間が生まれ、執筆と似て非なる暗中ではありましたが、伝える言葉を毎度必ず変化させ、言葉と思考を整えていくことで、岩崎氏が感覚に噛み合う言葉を見つけてくれたようで、じわりじわりと、ではなく、それまでの模索を忘れさせるほど、すんなりと(というと語弊はありますが)解決することが出来ました。多めに時間を取って、二時間以上かかることを想定していましたが、一時間弱で解決出来たことは、これからの、というよりは、今の僕を支える経験になりました。
岩崎氏は、自分からわざわざ言うほど、自信がない様子で、演技そのものというよりは、正誤について探っているようでした。役者が演出のイメージを実現する、という役割であることは最もですが、残念ながら僕の演出には当てはまらない様式なので、諦めてもらって、と言いつつ、先述したように塩梅を見ながら提案をしていきました。例えばここで、やれば出来るのに、という言葉は使おうと思えば使えそうですが、僕がその言葉を過去に言われて、「やらないから僕なんだろうし、未熟な今、出来ないのは仕方ないだろう」と淡々と思ったこともあり、カケラも思ったことはありません。現場で鼓舞する意味合いで使用するならば、有意義だと思いますが、終わりを迎えている文章の中で、そんな乱暴な言葉を使うことはありません。やれば出来るのに、も何も、我々は出来ていたのですから。
変化を愛する私は、僕がもっと欲を出すようになり、彼女が体験を踏まえた自信や自負を持って、再び相見えた時、私がどんなものを作ろうとするのか、興味津々です。
わすれもの
稽古時間:0コマ
0コマ、とありますが、稽古場を一度も用意していないというだけで、稽古はしました。小屋入り中に。
これは全く褒められたものじゃないんですが、小屋入り中しか稽古をする時間がありませんでした。悪い意味で、隙が全くありませんでした。対する、当時の僕の言い分としては、「四役の稽古は各作品の稽古で終わっているから、『わすれもの』の稽古は九割終わっているようなもん」だそうです。
終わってる訳ありません。全く。ふざけないで欲しい。
執筆段階で動きと読み方を考えていたので、準備は十分だったんですが、いやはや、何故あんなマイムなんて入れたんでしょうか。僕の悪癖で映像は全く見返していないのですが、もっと密度と質の高い演技を提供出来たはずです。当時出来る最大限ではありましたが、ここは流石に、このように書き残しておこうと思います。
訂正します。最大限ではありませんでした。
意図を以て、少しだけサボりました。
「あーん、めんどくさーい」とかウダウダ言いながら、稽古したり、他の役者が練習したそうだったら、自分の稽古から逃げるように稽古していました。
そうしてサボっていたのは、これ以上気張ったら創作活動に疲れてしまう、と思ったからです。
これは、想像に過ぎません。今まで疲れてしまったことはないので、経験による根拠もありません。きっと、僕が余裕を余るほどに取る癖のせいです。それでも、ある程度の客観視を以てしても、「創作活動に向ける精神は塑性である」と、私はそう思えて仕方がないのです。
一度、疲れてしまえば、一度、嫌になってしまえば、一度、飽いてしまえば、二度と同じ形には戻らない。そう思えて、仕方がないのです。
戻らないことを悲観している訳ではありません。これはきっと、諸行無常に過ぎません。戻らなくなってしまうのではなく、変化するだけなのです。それでも私は、変化を愛する私は、その変化だけを、今のところは嫌っておきたいだけなのだと思います。
過去の私を肯定するための言葉が、現在の私をも肯定することになるのなら、これ以上はないでしょう。いくら作為的であろうとも構いません。こんなの、言ったもん勝ちです。言葉で得して、生きていきます。
思い返すことで、生きた心地がしました。私の行いは、しかと、私に向いていました。
精一杯の愛を。
△▽△
作品づくりの源
何を参考にして、何を考えて、あれらの本を書いたのか、とかそういう内容の方が面白いんだろうなと思うのですが、いかんせん明確な参考資料がないのです。それでも、書いていく内に思い出したり、僕の根っこにある作品やら体験はある気がするので、少しだけ書いておきます。
最強の相方
僕は初めて自分の行動を変え、副次的に性格が変化した時点があり、当時は具体的な指標があった訳ではありませんが、時間が経ち、高校生から大学生にかけて、その変化に対して言語化を試みたところ、無敵になりたかったのだろう、と一先ず落ち着いたことがあり、それは今も一部残っています。劇作において、絶対的な存在を出すことで起こる不和は想像に易いですが、今回は滅茶苦茶したかっただけなので、そういう土俵で語られることはないだろう、と書き出しました。最強の相方そのものを書いただけで、お話として作ったつもりもそこまでありません。具体的な内容については、前半の漫才部分は、「はじめてのおまんざい」という感じで、シンプルに僕が知る範囲で実現可能な漫才を書いてみました。案の定シュールでしたが、こればかりは僕の大きな課題なので、そんなもんでしょう。エヴァのパートは、もっと破茶滅茶支離滅裂魔貫光殺砲という具合にしようとした時に、「流石に意味が分からなさ過ぎるな」と踏み止まり、コント漫才の体裁を為せるギリギリのラインを目指しました。ここで初めて、参考が出てくるのですが、田中がバイクで助けに来るところからラストにかけては、完全にコントユニット「チョコレイトハンター」の影響を受けています。違法アップロードではありますが、DVD等の販売はされていないようなので、有難く何度か視聴させて貰った記憶があります。
余談ですが、今の著作権法だと、テレビ番組等録画したものをアップロードすることやその映像をダウンロードすることが違法であり、その映像を見ること自体は(意図せず見てしまうこともあるので)違法ではないそうです。心地が良くないので、極力目に入れないようにしています。発展に仕組みが追いついていないのは、速度があまりにも早いので、致し方ないような気がします。
漫才も続けていきたいですが、ガッツリコントも作ってみたいですね。
マイ・ヒーロー
青年の生き様は、僕のひとつの理想のような気がします。無敵になりたい、と述べましたが、それは今や一部しか残っておらず、最近は人間味に憧れを抱いています。志高く、寛容な心持ちで、自分が出来なかった過去を湛えたまま、自分を再構成し、自分にとってのヒーローを探す、あるいは、自分がヒーローになる可能性をほんの少しだけ期待する。これは、決して執筆当初、青年を描くに当たって考えていた軸ではありません。再解釈に近い思考で、現時点での僕が思う、過去の僕が自分自身をひた隠しにし、それでも静かに燃えていたのではないかと、疑い、確かに信じることの出来る、そういう頼りのない盲想です。
随所に出てくる、質感の異なる、青年の核を示しているような台詞達は、青年の根底にある信念であり、確固たる理論があるのだろうと私は考えています。稽古の際にも、私は一貫して違和感なく台詞の意図を説明することが出来たのですが、岡部氏に限らず、おおよその方々にすんなりと呑み込めるものではないと自負していたため、いつも通り解釈を任せていました。彼から聞いた解釈は、やはり私のソレとは異なりましたが、青年の人物像に十分収まり、むしろ、幅を広げるようなものであったので、ただ良い効果がありました。
あの理論を綺麗に噛み砕き、青年について、逆に私が説き伏せられるような人間が現れた時、私は自信を失うことなく、ただ感服するのみなのだろうと、容易に想像が出来ます。特異なキャラクター独自の理論を、端から端まで説明することなく、違和感なく言葉を紡いでくれる人に出会うのが、私の小さな夢でもあります。
最初に書くべきことでしたが、本作は、「ぼくのかんがえたヒーローモノ」というコンセプトでした。皆様がどう感じたか気になるところですが、私にとって、間違いなくヒーローモノでありました。
鍵と談話
TRPGです。以上。
というくらい、分かりやすいコンセプトで書き始めました。「オレ、第一が終わったら、『鍵と談話』のTRPG作るんだ」と波佐谷氏に向けて言い放ってから、七ヶ月以上経ちました。まだフラグは回収していない。大丈夫だ。問題ない。あのゲーム遊んだことある人と会ったことないんですけど、実在してたんですかね。
一種類しか上演しないけれど、エンディングが何種類かある脚本は書いたことがありました。今回もそういう方針で書いた、というよりは、設定を考えていくと自然とエンディングが複数生まれた形です。TRPG的思考で書いたので、自然なことでしょうか。
会話で信頼を得る。記憶や感情が色濃く作用する。そんな軸で書いていると、参考になりそうな作品があると波佐谷氏から『ロールシャッハシンドローム』というシナリオを紹介して貰いました。劇作には直結しませんでしたが、システムとシナリオを噛み合わせていて、面白かったです。あと、本作をシナリオに作り直すのは骨が折れそうだなとも思いました。
結局、この作品も具体的な参考はありませんし、根源となるような思考もなさそうです。自分が好きなものを純粋に書いた感覚です。言葉のズレや違和感は、知らない内に摂取していた奇妙な作品群や音楽ゲームの奇天烈な音楽展開、奇妙でなくとも言葉や価値観を巧み且つ離れ過ぎないように外している作品や場面から培われているのだと思います。誰かと好きな作品について語り合えば思い出せそうなものですが、ここでは叶わなさそうです。
鈍沈
向井秀徳ほどではありませんが、私は少年/少女性に囚われているような感覚があります。もっと言えば、情けない大人と淀みない少年少女を描いてばかりいます。これは疑いようもなく、僕の客観視と、私が潜在的に望み、形や思考で実現しようとしている姿が反映されているのだと思います。
本作は、以上で構成されています。
同じ構成要素で執筆した過去作『夜る辺』と比較した時、少年少女のアプローチと大人の選択が、わずかでありながら、しかし確かに、方向の変化が見て取れます。私が変化している証拠だと、今になって、ようやく認識出来ました。実に健全で、他作品とは異なる影響を受けている実感があります。以降の執筆において、ここまで確かな変化は望めないものと思いつつ、そんなことねえよと一蹴してしまえる人間でありたいものです。
この作品については、多くを語る必要はないでしょう。
わすれもの
元のタイトルは、『NG:¶』(読み:エヌジー、エヌジーパラグラフ)というものでした。これは、本公演の公演名が元々『某某何某彼某 第一「わすれもの」』(読み:なにがしくれがしなにがしかがし)であったことに起因します。
公演名は、単に読めないし、意図するところも直感的に伝わりづらいと感じたので、排除しました。意図するところは、特に難しいこともなく、「誰かの話」「人間を描く」「一般的でつまらない人間も、舞台上で生きていれば面白い」というようなものでした。この題は、大学二年生の頃から手元にあるもので、随分と気に入っているので、また作品として、何処かで形にしたいと思います。
『わすれもの』の根源は、私自身にあります。当時抱えていた私のテーマとも言える、私の思考と信念の一部を、一切の不純物なく、言葉に託した作品です。
これからも時たま顔を出す思考と体験なので、簡単に残しておくと、私は元来、物忘れが激しく、この物が物理的ではなく記憶の領域における物であるのが厄介なところでした。楽しかった思い出も、よく喋っていた友達も、面白かった漫画のワンシーンも、他愛なくかけがえのない場面も、友人らとの会話で足並みを揃えて喋れることが少ないのです。この理不尽を解決するために書きました。そして今、当時渦巻いていた思考は見事に霧散し、存在していたことを思い出す唯一の手掛かりは、この作品だけと言ってもいい程になりました。
決して、鬱屈としていた訳ではありません。家系的にも似た人は多く、その中でも一際格好いい曽祖母がいたので、俺もこうなれるかなあ、と思っていました。私の母も、きっとひいばあちゃんみたいに、あるいは、それ以上に格好良く振る舞うのだと思います。寂しさを忘れることは、案外簡単なのかもしれないと、泣くことを忘れてしまった私でさえ時たま感じる、感情が溢れ出る時にしか感じない体内にある違和感を、バルブを内側からぬるりとこじ開けられる感覚を、嫌うことはなく、赦しを与えて、それでも尚、嫌い、格好良く振る舞ってみせるのです。
ここに絶望はありません。
私が生きていない時も、私は生きているのだから。
△▽△
終わりに
皆様、日々お疲れ様です。長い長い文章を読んで頂き、ありがとうございました。書いている文章に関わらず、様々な種類の、様々なテンションの楽曲を聴いていたので、感情が破茶滅茶になっているかもしれません。それっぽいことを書いている時に、ハイテンションな音ゲー曲を聴いていることもあります。曲のせいで書けない時はどちらかを諦めるのですが、普通に書けたりもするので、よく分かりません。
第二、ミニも同じような文章を書こうとは思っていますが、いつになるかは全く分かりません。いつも通り予定を詰め込んでいる僕なので、お待ち頂ける場合は、気長に待っていて下さい。
スタッフの方々への唯ならぬ感謝は、当時伝え足りていなかったかもしれません。そして今、ここで取り計らったかのように付け足すのも、何故か、憚られてしまいます。そんなことは全くないのにね。
改めて、参加者の皆様に、精一杯の感謝と愛を。
参加してくれてありがとう。
またやりましょう。
それでは、また会う日まで。
ほんじゃま。
2024年4月5日
ミナノモノ代表 南亮哉