【演劇】夜る辺
所属サークルで戯曲を販売することになり、データを削除しました
楽しく寂しい戯曲を書きました。これは去年の新歓向けに書いていたものですが、延びに延び、先日、念願叶って上演できました。贅沢の言えない公演ながらも、少しだけわがままに振る舞い、浮いた年目ということは忘れ、無事終えることができました。
創作を満足できるカタチで生み出すというのは、誰しもに課せられた至上命令です。達観した態度を取り、ハードルを下げ続け、絶頂の諦め癖がついている僕ですが、今回に限り、上演中に少し楽しさを感じました。
大好きな友人の書いた大好きな脚本で役者をやった時も、自分が愛情を込めて書いた脚本を演出し上演した時も、その最中に楽しさを感じることはありませんでした。悔しさはありません。これまでの経験すべてが、今回、脚本演出役者を初めて兼任した僕に、少しの余裕を与えてくれたのだと思います。実感が得られたことは、何より僕の糧になっています。
愛すべきものたちを愛する理由がひとつ増え、僕はまた少しだけ安心できました。
これまた違う友人に、僕の脚本を褒められ、両手を広げて喜んだものですが、しかし、これほど独りよがりな脚本は無いなとも思います。二人で遊びたかっただけなので、なかなか不親切です。かけ合いを楽しむだけなら、あのシーンはいらないのです。初めから20分程度と決められているところに、膨らんでいったお話を無理矢理詰め込んだ僕の不手際です。
やるだけで楽しい、だから見られなくてもいい。そんな言葉を我として扱ってきていた数年でしたが、手を動かしてみれば、見てもらう人を意識している自分がいました。
意識的に情報を削るというのも楽しいようで苦しいものでした。かつて、これまたさらに違う友人に、お前は40分程度のいい中編を書きそうだ、と言われ、妙に納得したものです。
そのうち、年に1冊程度しか読まない小説とやらの様式にも触れてみたいものです。こいつはそこでまた違うカタチになってもらいます。
だいぶ前から芝居には飽きているはずなのですが、稽古というのはどこまでも楽しいものです。合唱とは違う感覚で、僕はこちらの方が性に合っているみたいです。人間に興味のない僕ですが、ヒトと話している時がとびきり生きているらしく、眠りに困らない日々が続きました。
願うことなら、あなたとも。