アラ、ワタ
僕は、飲食物において、嫌いなものがない。好まないものはある気がするけれど、一分考えても思い出せないでいると、その程度の好まなさ、でしかないのだと納得する。つまり、好き嫌いの領域で、僕は食べ物を語れない。
我が一族行きつけの焼肉屋さんについて熱弁するのもいいかと思ったが、少し好きのベクトルを変えて、偏りを含ませて、あまり他人とソレについて話した記憶がない、そんなモノについて書いておく。
ソレ、とは、アラ、で
モノ、とは、ワタ、だ
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「アラ」とは、魚を処理した際に残る部分であり、頭部、エラ、(背、胸、腹、尾)ヒレ、背骨、内臓などを指す。そして、アラのひとつである内臓こそが「ワタ」である。
アラを不要な部分とする者もいれば、食材とする者もいる。また、サメといえば、フカヒレがむしろメインであり、アラとは呼ばないそう。毒も克服してしまうほど貪欲な人間だ。食材において、分類は意味をなさないことがよく分かる。
かく言う僕は、アラを食材とした上で、身よりも美味であるとする者である。
それぞれの部位や臓器を用いた料理に沿うことが王道というところだが、僕自身がアラワタを明確に好きになった体験に沿うこととする。
その体験とは、タラ鍋だった。
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タラ鍋と言われて思い出すものは、画像検索をかけて出てくるものと大差がないと思う。そもそもそんなに食べられるものではないし、僕自身もこの料理について語れるほど食べてはいない。冬に家族が集まって、その上で数種類ある鍋の中からタラ鍋が選ばれることは、数年に一度しかないので、多く見積もっても、食べた回数は五回くらいだろう。
画像を見てみると、白菜ネギえのき豆腐といったTHE NABE達と共に、切り身と白子が入れられているものがほとんど。「こういうのでいいんだよ こういうので」と五郎に言わしめるには、鍋という特別感が少し邪魔をするけれど、これぞタラ鍋というものである。
ただ、僕が初めて食べたタラ鍋は、少し違った。
端的にいえば、タラ一尾が丸々ぶち込まれていた。
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聞いてみると、僕なら好きだろう、とのことで入れてみたのだそう。
ポテトチップスよりコマイ(ストーブで軽く炙ったものに一味とマヨネーズをつける)を好み、じゃがりこよりサケとば(当然、皮も食べる。おじいちゃんがライターで炙ってくれたものが好きだった)を好み、うまか棒には目がない僕である(うまか棒には目がない)。
そんな珍味が大好物の僕は、子どもながら、「わかってんじゃーん」と強く納得した。
まな板に乗りきらない大きな魚がほとんどすべて鍋に入れられ、今にも溢れそうなほど、つゆが並々である。下の方からすくい上げてみると、沈んでいた大根と共によく分からないものが現れた。鍋のつゆが少し溢れていたので、先に食卓を拭く。
一杯目には、野菜全種、豆腐、白子、知らない具材がひとつ。タラの身は入っていない。
白子はそれまでに一度、誰かが食べているのをつまみ食いして知っていた。真っ先に口に運ぶと、覚えていた通り、とろりとした食感の後に、濃いような薄いような味がした。値段も味もよく分からないような子どもだったが、なんだか贅沢な気がしていた。
初めの知らない具材は、肝だった。茶よりも橙に近い、鍋に見たことのない色を見て、「なんじゃこりゃ」と思ったのを覚えている。そこで親に何も聞かず、器に装い、口に運ぶ寸前、あるいは、口に含んでから、「これなに?」と聞くような子どもが僕だったし、僕の全てだろう。
食べてみれば、肝特有の脂っぽい甘みが広がり、実に満足だった。ホタテの緑色(うろ)やツブの茶色(内臓)(内臓とは別にある唾液腺という存在を今初めて知った。毒と知らずに今まで食べ続けていたような気もする)など、ざらりとした食感のものを気にすることなく食べてしまう僕は、それに比べて、なめらかな食感の肝に何の違和感も感じなかった。
次に食べたのは、胃袋だった。想像の通り丸っこい。食感が特徴的で、少し歯応えがある。食肉では馴染みある食感だが、魚肉においても感じられたことが面白かった。お父さんから、「たまに小さい魚とかカニが入っていたりする」と聞いて、そこで初めて「本当に胃袋なんだ」と思ったのを覚えている。
最後に食べたのは、目玉だった。実際は、エラより上の頭部を食べたのだが、とりわけ目玉はインパクトがあった。グロテスクな表現になるので詳細は避けるが、アラを好きになったのは、間違いなく目玉とその周りの肉を食べた瞬間だった。
食べ終えると、鍋には身がいくつか余っていた。鍋を多めに作って、次の日の朝に食べることは我が家では普通のことだったが、その頃には既に、アラのないタラ鍋に魅力を感じなくなっていた。
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そんな風に、朝食に焼きサバを食べている僕は、サバを目の前にしながら、違う魚に思いを馳せていた。
実に妄りであった。
妄りな自分に気づけたのをいいことに、開き直って、意気揚々と食事を再開する。身を全て食べてしまう前に、身の下から出てきた血合肉を口に含むと、特有の脂っぽさと生臭さが口の中に広がる。やはり、身よりもこちらの方が美味しく感じられた。
感じられたが、血合肉にあるはずの少しの苦味を感じなかった。
そうするとまた、箸を止めて、思い出す。
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ふつうでないことが面白かった。というより、楽しめるものが増えていくのが面白かった。
それは、習い事にいくつか通わせたり(僕の意思は尊重されており、むしろ弱い意思を引き出されるようでもあった)、色々なものを食べさせたり、体験を勧める父親の狙い通りであり(彼の中に打算は皆無だが)、強い知的欲求も手伝って、僕は体験を求め、楽しみを増やしていた。そうしていくと、厨二病真っ只中では、当然その性質も変化し、非凡を求めた。
それはさておき、他者に共感されない行いに関して、僕自身は強い違和感を抱かなかった。思い返してみれば、「面白がれるものは多い方がいい」というだけの話であったと、今なら思う。
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中学時代、誰彼の悪口も特に言わず、感情的になることもなく、淡々と過ごしていた。もちろん厨二病を拗らせてはいたが、特異な言動は一人、もしくは知己に限り、他者との関わり合いでは普通に努めた。そう願いたい。陽も陰も問わず、友人が多かったことは、その良い証拠だろう。そう信じたい。
そんな中、至る出来事は、女子生徒一人の行動がきっかけで起きた。それ以外のことは、さっぱり忘れてしまったが、それに対する僕の対応を見て、母親の友人の息子である旧友に「なままは偽善者だね」と言われたことがある。
学校の階段を上がり切る手前、僕の左側に立つ彼は、感情を強く出すこともなく、僕を横目に、そう言っていた。その景色は今でもよく覚えている。この景色が、客観ではなく、主観視点の映像であることに少しの嬉しさを覚える。
この時、僕の返答は素っ気ないものだったと思う。「本当?」とか「そうかなあ」とか、それくらいの気の抜けた返事。彼は、僕の何も分かっていないような返事を受けても、それ以上詰めてくることはなかったし、その後も変わらず、お互い適当に接していた。
実のところ、言いたいことを言っただけで、他人のことはどうでもいい、というだけのことだと思うが、自由に解釈してみれば、他人を自分の力で変えようとしないところが、彼の賢く格好いいところだったと思う。顔も格好よかったし。
悪い噂も立っていたけれど、ここでは関係ないし、興味もなかったので覚えていない。
何故、このことを鮮やかに思い出せるのかといえば、単に強い疑問を抱いたからだろう。
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中学生の僕は、友人と込み入った話をほとんどしていない。他人への興味が薄いのもあって、空気はある程度読めるけれど、誰が何を考えて過ごしているかなど、あまり想像しなかったし、聞くこともなかった。
他人との違いが思考にもある、ということを初めて体験したのがこの時だった。
その台詞を言われた直後は、特に落ち込むでもなく、「僕のどの言葉が偽善だったんだろう」と思い返した。
いくつか考えてみた後に残ったものは、
「あの言葉がそう思わせたのか。あれが偽善なのか。でも別に、うわべの気持ちも何も、最初から特に何も思ってないしな。善い行いとも思わなかったし。気をつかう、というだけで偽善なのだろうか。分からんな」
という呆気ない結論であり、感情の波はほとんど起きなかった。
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動かすべきでない時に感情を動かさないことは、僕が心に決めたことであったが、感情を動かしてもいいと思える場面でも、意に反して、その取り決めは強く働いた。
そうしていると、純粋な疑問の側にはいつも、「何故、僕は動揺しないのだろう」「何故、僕は感情的にならないのだろう」という疑問とは関係のない考えが生まれる。この出来事も例外ではなかった。
感情や意思が希薄な人間を自分の他にあまり見ないし、比べられない、そして、知ろうとしないので救いようがない僕は、他人との間に「偽善」のような差異を感じることが多く、その度、他人に少し興味を抱く。
あの時、彼は僕の中にどのような感情を見出して「偽善」と言ったのだろう。やはり「僕はいいことをしている」という思惑を僕に見出して、「面倒くさい」とか「なんなんだよこいつ」とか、そんな苛立ちを得たのだろうか。
それとも、差異なく僕の無関心を見抜いた上で、あの台詞を吐いたのだろうか。その場合、僕の行為が偽善というよりも、彼の抱く彼女への負の感情が強く出ているのかもしれない。
この出来事には不正解がないからいい。何も起こっていないのだ。誰かの何かが変わったわけではなく、ただ僕が違いを認識したというだけの話。
そして、唯一間違っているとすれば、それは僕だった。
そもそもの状況自体が、面白がれるようなものではなかった。にも関わらず僕は、その状況を差し置いて、自分の性格や行いを分析することを面白がろうとしていたのだ。
なんでも面白がる、という僕の大切にしていた行いが、偽善のように思えてしまう。あの時、僕は、面白がることがないような状況で、確かに少しの昂りを感じていた。それは、目玉を食べた感動とは似て非なるものだが、体験という点において、寸分違わず同一の感覚があった。
あの行いは、どこを向いていたのだろう。
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そして今、善い行いとして決めたはずの無感情をも偽善としつつある。
あの時に、あの瞬間に、納得のいかない台詞を言われた、その瞬間に、僕は、苦味を感じるべきだったのだろうか。
そうと決めてしまえば、例え心の底から信じられなくとも、それがいつか本当のことになるように、いつしか自分自身の性質になるように、無理にでも感情を決めてしまうべきだったのだろうか。
万が一にも、過去の僕が信じていた、という事実が偽りになることはないけれど、今の僕が無感情から離れてようとしていることも確かだ。
ただ、今のところ、無感情を捨てられるほどの体験には、まだ出会えていない。全て捨てるのは勿体ないけれど、バランスだけがしばらく悪い。
ハラワタが煮えくり返る、そんな体験をしたのなら、僕は何を食べて、その時のことを思い出すのだろう。
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持ち上げたままでいた白米を茶碗へ下ろす。左手だけが暖かい。食卓を照らしていた光が短くなり、左手だけを未練がましく握っていた。窓から外を見てみると、日が少しだけ昇っている。再び食卓に目線をやると、光が食卓を撫で終えるようにも見えて、少し高揚した。
陰に当てられた朝ご飯をすぐに食べ始めることは出来なかった。長々と食べ終えられずにいるこれらをどう呼ぶべきか迷ってしまった。朝ご飯を食べるのなら、朝を迎えなければならない気がした。僕はどうにも、今日という日が始まるように思えない。
冷めてしまった味噌汁を温め直すことはなかった。