眺めの音
各駅停車に50分乗る。駅までの道のりは未視聴曲を適当に流していたが、電車に乗り込むと、曲を変える他なかった。スマイルホテルのロゴマークが満面の死に笑みを浮かべるのも当然と言わんばかりに、真っ平な晴天であった。
曲を変え、対面の客頭上すこし上の空を眺める。曲を変え、対面の客がこちらを見ていることに気付きつつすこし上の空を眺める。曲を変え、空を眺める。『口の花火』(作 長谷川白紙)。晴天の僕の曲は、この曲なのだと、一度胸を張ってみる。きっと、雨降る夜の曲でもあるけれど、それでこそ、自分の根源に寄り添う要因だろう。
自らを振り返るのに飽いてきた今日この頃、空想を描きたいようで身勝手に振る舞えない頭に栄養を行き渡らせる昨日あの頃、無為の休日を過ごし、今日の僕まで引き継がれた。明日、何をすべきだったか忘れてしまった。任意保険を探すのだったかな。
覆らない日常は想像通りで、想像よりもこなせていることに驚いている。掃除機を買って貰えば良かったかなとも思うけれど、今はこの忌まわしい一口IHコンロをぶち壊して二口IHコンロをガチャコン設置したい気持ちで一杯だ。料理に時間がかかって仕方がない。自炊出来ずにコンビニ頼りになる人が増えるのは、こいつのせいなんじゃないか? 何を思えば一つで十分だと言えるのかね、ワトソン君。
RC造を粘り強く条件から外さなかったおかげか、隣人達の声は全く聞こえず、扉を強く閉めた程度の壁伝いの振動音が聞こえて来るのみだ。おかげで、音楽を聴き続けられる。五感で一つだけ残すとしたら、という回答に、聴覚、と答えそうな話の流れだったが、残念ながら僕は残すとしたら、視覚、と決めている。音は、感じることが出来るから。光の波は、目に頼るばかりなのが、人間の多くの弱みの一つだろう。
音への頼りを探るなら、きっと長谷川白紙の『音がする』が、大きく僕の中に根付いている。静かで地味でひとりぼっちだったけれど、とてつもない音楽体験だった。耳がある!
『口の花火』を歌詞含めしっかりと聴いた人からすると、何故これが晴天なのか、分からないままに終わるのかもしれないし、納得するのかもしれない。曖昧なのは、僕が歌詞を知らないから。これからも、この曲の歌詞を知るつもりはない。