雑記(20240909)ー表裏の切なさ、ほろ苦さー


自分が好きなものの一つを誰にでもわかるように面白く説明できるようにするにはどうすれば良いのか考えていた。あまりまとまりがなく、解決したように感じないが、ひとまずここに書いておこうと思った。
私が好きで数年間追いかけてきた楽しみ方の一つに表裏の切なさ、ほろ苦さがあるように思う。前回の記事にも出てきているところ恐縮だが、<古典部>シリーズの第一作『氷菓』が私の最初の「面白い」だった。


(ここからは若干謎の内容に触れることになるので気になっている方は『氷菓』まで読んでから見ることをおすすめします)

米澤穂信の『氷菓』において、主人公折木奉太郎は神山高校古典部員と共に(ざっくり言うと)部活誌「氷菓」のタイトルの由来は何かという謎に取り組む。謎に向き合う中で折木たちは50年前の神山高校の学生運動の「薔薇色」に隠された「影」の秘密を読み解いていくことになるのだが、そこから展開される切なさ、ほろ苦さに何度も思い返すことがあり、この作品に戻ってきてしまう。(引用しようと思っていたが、ネタバレが入っていて無粋なので手元にあるアニメであれば第5話5分あたりに自分の思い出す要素が入っている)

つまり、(当たり前だが)同じ出来事を大局的に見るとなんらかの評価が与えられるが、それは必ずしもゆるぎないわけではないことに関心を持っている。実際私が生きている間、誰も読まないかもしれないブログを書く(もしこれを読んでくださっていたらありがとうございます)という行為をし続けていたとしても、自分個人だけでも同じ行為をしているはずなのに時に「なんでこういう行為をし続けているのだろう」、「無意味ではないか」と感じたり、一転「ただ駄文を生成しているのが楽しい」と思うこともあり、様々である。ましてや、社会まで考えていたら尚更。

ミクロに見れば同じ行為にたくさんの解釈がつけられる可能性の広がり、そしてその表裏の裏側がずっと見逃され続けてきたということを「時効」ながらも掘り起こした折木の謎解きを見つめた後の読後感、視聴後の感覚に惚れ続けているのかもしれない。

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