喪に服す

長年使っていた眼鏡のフレームが真っ二つに割れた。

それは案外あっけない終わり方だった。極度の近眼のため、風呂にも眼鏡を持ち込まなければならない私は、風呂上がりに乱雑にもタオルでそれを拭こうとしていた。何も考えていなかったのに、(いや何も考えていなかったが故にか)ふと指に力が入ってしまった。太めの真っ黒いフレームは笑ってしまうくらいすんなり、パキッと綺麗な音を出して割れた。

一瞬頭が真っ白になった。同時になぜか、この眼鏡をなぜ私は作ったのかというところにまで一瞬で意味づけがなされてしまった。以下ここに記してみたい。

私の(元)愛用の眼鏡は黒く太いフレーム構造をしている。太いフレームを選んだのは、前の前に使っていた眼鏡がか弱すぎて鼻当てが真っ二つに割れたから。フレームに黒色を選んだのは、なぜかその時「それしかない」と思っていたからである。ちょうど何かと世話を焼いてくれていた叔母が亡くなったのを引きずって生きていた頃だったかもしれない。

思えば、ここ2ヶ月を除く、2年ほどの間(私が自発的に選んだものは)見渡すと黒い服ばかり周りにあった。例外的に白もあるが、気に入った明るい色彩を纏った服はほぼ出てこない(気がする程度だが)。私はそれ以外選択肢がないのだと、なぜかずっと思い込んでいた。でも、眼鏡が割れた瞬間、それは喪に服していたということでいいのではないかとと思えるようになった。

ここでいう喪とは個人的な喪を指す。5年前大好きだった叔母を亡くした上での喪であり、大学に入って封印した以前の私の思想や記憶に対する喪である。今の私にとっての過去の私の意味づけは、そんなことも考えずに鬱屈としていた頃の私に対する冒涜かもしれないが、それでも構わないと思えるほどに、今回の眼鏡は大きい意味を持った。

これからも叔母の記憶は思い出したくないほど私にしんどくのしかかってくる日もあるだろう。しかし、もう、叔母のゆかりのある場所を避けたり、叔母の墓に行くのを拒んだりしなくてもいいのではないか。そんな風に囁く自分が初めて生まれた。
大学以前の記憶は(都合のいい例外はあるにせよ今のところ)葬り去ってしまった。しかし、たまには風通しの良い記憶の中に組み込んでいっていいのではないか。そんな風に思えるようになった。

眼鏡が割れたこと一つで思ったことを荒いですがそのまま書き連ねてみました。

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