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「ご飯粒」をきっかけに、老いては子に従いたいと思った

ある週末。学校帰りの娘と待ち合わせて、近所の焼き肉屋さんでご飯を食べたときのこと。
一通り食べ終わったタイミングで、娘がわたしのお茶碗をじーっと見て、何か言いたそうにしています。

わたし
(その視線に気づいて)
「あっ…」(数粒残っていたご飯粒を焦って食べる)


「(娘は)絶対に、1粒もご飯を残さないで食べるでしょ。家でも外でも。
でもママはこんな(数粒残し)でしょう…?
(娘は)いったい誰に育てられたんだろう」

わたし
「いや…育てたのはママのはずだしご飯粒のことも(娘に)言ったけど。
すみません、ちょっと雑というか、やることが適当になってました。
人には言うのに自分ではやらないダメな大人になってたね、気をつける」

深く反省しました。


忖度も、利害関係もなく、率直にわたしのダメなところを指摘してくれる、
娘の目は社会の目です。

「絶対にわたしに直接注意してはくれないけど、客観的に見て、良くない部分に気づいているだろう目」=社会の目で見えるわたしの姿を、率直に教えてくれる、ありがたい存在。


「老いては子に従え」という言葉があります。

年を取ったら意地を張るよりも、子どものいうことに従うほうがよい。

まだ娘は未成年ですし、生活を支えているのもわたしなので、まだ「子に従う」には早いかもしれませんが…。
こうやって、娘から指摘されたことや、気づいてもらったことには素直に従っていきたい。

と、ちょっと背筋が伸びた日でした。