家族については究極のミニマリストだった
もうすぐお盆期間、というある日。
娘
「塾の先生から、『お葬式や法事は早めに経験しておいた方がいい』って言われたんだよね。
でも、そもそも親戚が少ないし、(元夫側の)じいじとばあばはすごく元気だからあと10年以上はなさそう…。
そういえば、ママって親族のお葬式とか法事に出たことあるの?」
わたし
「一度もない。(中学生のときに)おばあちゃんが亡くなったときもお葬式に出させてもらえなかったし。唯一あるのが友だちのお父さんが亡くなったときだけかも」
娘
「え…友だちの親のお葬式になんで出たの? お父さんに会ったことあるの?」
わたし
「いや、ない」
娘
「じゃなんで?」
わたし
「友だちが心配で行ったんじゃないかな…」
娘
「なるほど。たとえば◯◯(娘の友だち)の親が亡くなったらお葬式に行くような感じか」
わたし
「だね。そういえば、自分の家族のお墓参りも一度もしたことないや。そもそも場所も知らないし」
娘
「えー……(引いてる)」
わたし
「ママはこのまま親族のお墓参りをすることなく死ぬ気がする。あ、そういえば入るお墓もないんだよね。親戚とかも誰も連絡先知ってる人いないし」
娘
「ママって身寄りがないね…」
わたし
「……ほんとだね!!」
唯一の「身寄り」であるはずの娘からしみじみ言われると、なんだかズッシリきました。
そもそも、わたしの家族との関係は、
・母の誕生日を知らない(教えてもらえなかった)
・父の名前や顔も知らない(産まれる前に亡くなったとのこと)
・母は一緒に買ったマンションを突然売ってそのまま20年くらい音信不通
・「〇〇(旧姓)家」のお墓の場所も知らない
・親戚の名前や居場所、連絡先も誰1人知らない
など、「身寄りのない」系のエピソードが満載。
どうやら、わたしの「家族」という箱には、いろいろなものが入っていないようです。
わたし
「ママってここまで家族いなかったんだね〜びっくりしちゃった」
娘
「ママのママって、何かから逃げてたんじゃない? ママの存在、親戚にも隠されてたんじゃない?」
わたし
「そうかもしれないね…」
娘は、「わたしの母はスパイだった説」をわりと本気で信じています。
でも、本当にそうだったら、今ごろ我が家は暗殺されているよ…。
わたしとだと、2人家族。
元夫は、夫婦&子ども、弟さん夫婦&子ども、(元夫の)ご両親の3世帯、計8人がすぐそばで暮らしているにぎやかな家族です。
そのため、離婚してしばらくは、
「親族がたくさんいる向こうの家族で暮らした方が娘にとって幸せなのでは」
と悩んだこともありました。
2人-1人(わたしが仕事で不在)=は1人きりになってしまうけど、
8人なら、数人いなくなっても誰かがいてくれるから。
さらに遡り…結婚した当時、母と2人、または1人で家で過ごしてきたわたしにとって、年末年始や夏休みに帰省したときに家の中に4人以上いる、というだけでしんどかったことを覚えています。
当時のわたしの「家族の箱」は、容量が少なすぎました。
結婚して一瞬親族が増えて、離婚してまた減って、娘と2人になり。
結婚前の「母と自分」の暮らしから、結婚→離婚を経て「自分と娘」に形を変えた今、この2人暮らしを「この家族構成が一番落ち着く、適量だ」と感じている自分もいます。
わたしの家族は娘だけ。
服よりも、生活用品よりも、家族について、わたしは究極のミニマリストだった! と気がつきました。
家族を収納にたとえるのはよくないかもしれませんが、モノが少ないと管理や家事がシンプルになるように、娘以外の家族がおらずお墓の場所すら知らないわたしは、介護もお葬式も法事もお墓参りもすることがありません。家族について考えるのは娘についてのみ。とてもシンプルです。
でも職場の同僚や友人が家族のサポートのために実家にこまめに帰るようになったなどと聞くと、いないものは仕方ないと思いつつも、
「なんだかわたし、大人としてやるべきことを一切やってないな…」
と少し凹むことも。
わたしの「家族の箱」に唯一入ってくれている娘も、あと何年かしたらひとり立ち。
将来、娘が自分の家族を持つことがあったら、親族が増えることもあるかもしれません。
わたしにこれから「身寄りが増える」かどうかは、娘にかかっているといえます!
娘とこれまで暮らしてきたことで、家族の箱の容量を増やしてもらえた気がするので、
「今のわたしなら、サザエさん一家のようなにぎやかな集まりも、楽しめるかもしれないな。もう一度経験してみたいな」
と思っている自分もどこかにいます。