小さいいじわるは、意外と心にダメージを与えてくる
「あ、ちょっといじわるだ」
と感じることが時々あります。
たとえば、なぜか不在票をポストに入れておいてくれない配達員さんがいるとき。
宅配ボックスに入っている「これ、うちの!」という荷物は見えているけど開けられない…。
たとえば、なぜか宅配ボックスに暗証番号を設定せず、誰でも開けられる状態で荷物を入れる配達員さんがいるとき。
宅配ボックスの意味がないし、不安!
偶然、どちらも配達がらみでした。
1回目は、「あれ、忘れたのかな」でどちらも気にならなかったのですが、これが何回か続いた時、地味に心にダメージを受けていることに気がつきました。
「あ、ちよっといじわる」
と感じたとき、案外知らない人からの方がダメージを受けるような気がします。
配達以外では、通勤中、急いでいる人から、「あ、これは意図的にぶつかられた」と感じたとき。
最近あったのは、まさに今、コンビニから出ようとドアに手をかけて押そうとしているのに、外から入ってこようとする人の勢いがすごくて譲るしかなくなったとき。
そのときは「これはちょっとじゃない、けっこういじわるじゃん!」と思わず顔をじっと見てしまいました。朝だったから急いでいたのだろうとは思いつつ、それはわたしも同じ!
でも、こんな風に知らない人だけど「顔が見えているちょっとしたいじわる」は案外その場で「なにさ!」と思えば忘れられます。
配達については、顔も知らない人だからこそ、目に見えない「ちょっといじわる」からのダメージを受けてしまったのかもしれません。
ちょっとしたいじわるは、時間が経ってからも届く。その場にいない人から届くことがある。
と思ったできごとでした。