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「夫婦は他人」だと言うけれど、「親子だってまったく違う人」だと改めて思った日のこと

ある夜のこと。
娘から「いい話と悪い話がある。どちらから聞きたい?」と聞かれ、「悪い話から」と答えたら、「じゃああとで」と言われ、それならと必死に起きていたのにずっと教えてもらえず、3時間くらい放置されたことでイライラしたわたし。


「いいことも悪いことも、事前に予告したい。突然聞きたくないから自分も予告されたいし、心の準備をしてから聞きたい」

わたし
「いいことも悪いことも、予告なしに伝えたい。予告だけされてすぐに言われない方がずっと気になってモヤモヤするから予告されるのも嫌

2人の考えが真っ二つに割れ、もめにもめました。

とはいっても、今回もめるきっかけになった「予告されること」とは、
・テストの点数
・塾で先生から言われたこと
・塾で解いた問題の成績
など。

わたしとしては、それらのことはさらっと教えてほしいのです。

でも、娘はさらっと伝えたくないし、しっかり隣同士で目を見てゆっくり伝えたい。だから事前に予告するしタイミングを選んでいるとのこと。
わたしからすると、そこまでして伝えられることは、「お母さん、わたし高校に行くのをやめます」くらいの内容をイメージしていました。


「どうしても(予告なしに話すのは)無理なんだもん。予告したいしされないと耐えられない」

わたし
「でも、毎回予告されるのは嫌だから…じゃあ、伝えるときには予告するようにする。でも、(わたしには)予告なしで伝えてくれない?」


「嫌だ」

わたし
「・・・」(わたしは譲ったのに譲らないんかい)

平行線とは、こういうことをいうんだろうなあ、としみじみし、思わず「こうやって夫婦ってうまくいかなくなるんだろうね…」と言ってしまいました。親子だろうと夫婦だろうと友だち同士だろうと、誰かと一緒に生きることは、難しいです。

山崎まさよしさんの「セロリ」という曲の

育ってきた環境が違うから〜♪

が頭の中を流れました。
そう、夫婦やカップル、友だちだけでなく、親子だって育ってきた環境は違う。

何が嫌で耐えられないのか、
何がすごくストレスになるのか、
何がうれしいのか。

わたしたち親子はお互い、「これをされるとすごく嫌」ということが相手にあって、でも娘もわたしも、すぐなおせることではないのも事実。

この夜は話せば話すほど、「わたしたち、全然違うね」となりました。
でも、それでいいし、その違いを受け止めた上で、じゃあ2人の間でどうしていく? と、あきらめずにすり合わせていくのが、誰かと生きていくことなのだと思います。

親子がわかり合うための話し合い、一緒にいるための努力はまだまだこれからです。

…ちなみに、この日娘が言いたかった「悪いこと」は、「まだ高校見学に全然行けてないから塾の先生に怒られた」でした。