サンタさんはいるよ
12/25はクリスマス。日本でも当たり前の文化になった。もはや12/24の方が本番でクリスマス当日は何をしたらいいのか分かんない。それも当たり前になってきた。
大人になった今では恋人と過ごすことが当然の日となっている。恋人がおらず独りで過ごす人はクリぼっちなどと他者から揶揄われる。当の本人も世間と似たような価値観であるため、恋人がいない独りの時間を寂しいこと、あってはいけないことのように感じてしまう。
子どもの頃はそうではなかった。クリスマスといえばプレゼントを貰える日だった。全員が等しく楽しみなイベントであるため、大人では存在する寂寥感や嫉妬心、悔恨は一切ない。ただ純粋な期待感しかない。それが本来あるべきクリスマス。
その楽しみの根幹を為す存在がサンタクロースだ。
サンタクロースの由来は「聖ニコラウス」という人物。「セント・ニコラウス」を何となくごちゃごちゃした結果「サンタ・クロース」という呼び名が定着したようだ。
聖ニコラウスはまさしく聖人そのもので、人助けの逸話が非常に多い。
ある日あまりの貧しさが故に娘を身売りさせることも考えた父親に出会う。心を痛めた聖ニコラウスは真夜中に、その家族の家の窓から金貨を投げ入れた。この金貨のおかげで娘の身売りは避けることができたそうだ。
以上の話は一番有名な話だ。だが、実際の話ではなく後世に作られた創作であろう。一体いくらの金貨を投げ入れたんだ。同情から現代でいうスパチャをしたようなものだ。だが、聖ニコラウスならスパチャしててもてんでおかしくはない、と思わせることができる時点で聖人であることには変わりはない。
この金貨を配ることを名残りとしてプレゼントを渡すという文化ができた。彼の命日が12/6であり、この日にヨーロッパではプレゼントを渡す国が多い。
一方で、クリスマスというのはキリストの降誕した日。降誕日とは神仏が神聖視された日のことを指す。降誕と誕生は意味が異なり、生誕した後に降誕している。つまり、これまでなんか神っぽい人が本当に神になった日を降誕日という。○○教の教祖ですと法人登記した日が降誕日なのだ。聖書は登記簿謄本ってこと。
となると、クリスマスとサンタクロースは実は関係のない別の話であることが分かる。しかし、いろいろと丁度良かったのだろう。いつの日かクリスマスとサンタクロースが組み合わさり一つの文化となった。クリスマスの必要条件にサンタクロースがいるのだ。
子どもの永劫のアイドルことサンタクロース。この存在は毎年ホットな話題になる。サンタという存在が子どもたちの間で様々な憶測を呼ぶのだ。
サンタさんは初めはプレゼントをくれるいい人という認識から入る。しかし、時が経つにつれ疑問に思うことは多くなる。そもそも何故プレゼントをくれるのか。何故起きているときにくれないのか。何故プレゼントが家の中にあるのか。親に聞くと、何故決まってサンタさんが持ってきてくれたと言うのか。プレゼントの送り主がサンタさんである必要があるのか。サンタさんと友達なのか聞くと答えになってない言葉を返すのか。
おかしい。
親がサンタと仲が良いわけでもないどころか知らんぷりをする。となると勝手に家に入ってきたことになるが、、、
鍵も閉めている。窓も閉めている。煙突もない。どうやって入るのか。一目見てやろうと遅くまで起きるも力尽きてしまい、サンタさんを確認できずプレゼントが置かれている。結局いつものメリークリスマス。
10歳前後ともなると物事を疑う力が発達してきて、そもそもサンタはいないと宣うことになる。そして一つ確信めいたように同じ結論に辿り着く。
本当は親がプレゼントを置いているだけじゃないのか。
いいや違うね。
今日俺が言いたいことはたった一つ。
サンタはいるよ。
俺はサンタはいると確信している。
いいかい?そもそも世界中にサンタはプレゼントを配らなければならない。それも1日で。ここでサンタは一人じゃ努まらないということが分かるね?世界中の子どもたちに1日でプレゼントを届けなければならない。この無理難題に対して、賢いサンタさんはある施策を閃いた。「そうだ、子どもの親にプレゼント渡すの手伝ってもらえばめっちゃ良くね?」と。
作戦名は、”両親パシって子ども大歓喜大作戦”。持ち前のコミュニケーション能力を駆使して世界中の親と人間関係を構築して頼み込んでいるのだ。
「お宅の子、めっちゃ良い子じゃん?だからプレゼント渡したいから、ワシの代わりにプレゼント渡してくんない?あっ、これお宅の子のほしいものね。」ってな具合だ。だから、親がプレゼントを置いていることは事実ではある。しかし、親はサンタさんに頼まれているのだ。次いでになるべく見つからないようにしてくれとでも頼まれたのだろう。実行犯が親、指揮系統はサンタ。無給の闇バイト。
だからサンタはいるんだよ。いなきゃこんな文化が世界中で根付くわけがない。そもそも見ていないことがサンタが存在しない証左にはならない。実行犯を問い詰めてもボスを売らない契約でも交わしているのだろう。親を尋問してもサンタを売らないのはなんか弱みでも握られて脅されてるんじゃないか?
いずれにせよ、サンタはいるね。いないと言い切れないと言うのが尤もらしい表現だろうけども。
将来、俺にも子宝に恵まれたら、サンタのパシリになるのだろう。いつ言われるんだろ。条件とか交渉するのかな。今から楽しみにしているよ。
俺はサンタに会えたそのときに、いっぱいありがとうって言ってやるのさ。