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そこにある親の姿 #未来のためにできること

子は宝

正式には『千の倉より子は宝』
どんなにたくさんの財宝やモノよりも子どもの存在が最も価値があることを強調した言葉。

類語で言えば、『子に過ぎたる宝なし』、『金宝より子宝』
子どもの価値が高いことは昔からこうしたフレーズとして伝えられている。

生物とは代々、親から子へと命をつなぐことが存在理由であることは間違いない。

かくいう私たちもそんな子宝から始まり、次の子宝のために世の中を奔放するのだが、昨今は子どもへの虐待問題が取り沙汰されることが多くなった。SNSの普及のせいか暗いニュースは心に残りやすいからか将又両方か。
いずれにせよ、改めて子どもの価値と親としての在り方について考えさせられる。


私は結婚願望が強い、それは子どもが好きだからだ。親として子にしてあげられることは何か日々考えることが多い。育児論には正解がないことは明白だが、自分はどう育てられてきたかが限りなく正解に近いのではないか。

畢竟、”愛された”と子に感じさせることが親としての正解なのではないのだろうか。そう感じさせる目的のための手段に正解がないだけで、育児論の正解はとうの昔から決まっていたのだろう。



私はかなり愛されたと感じる。両親のスペックが良いわけでもない、経済的にも恵まれてはいない。ただ、一途に愛されていたことは確かである。彼ら自身が持てる最大限の愛情を不器用なりに、正解がないなりに与えてくれた。


家族旅行にしょっちゅう行かずとも、好きなものを買ってくれずとも、


やりたいことがあったら否定せずやらせてくれた

思春期で酷く反抗しても粘り強く向き合ってくれた

頑張ったら認めてくれた

人の道を外すようなことをしたら叱ってくれた



私が子どもが好きでいれるのは、きっと両親のお陰だ。すごく大切に育てられた実感があるから、子どもに優しくする方法を知っているし愛情の与え方も親直伝でマスターした。




未来のためにできること

それは子どもを愛してあげること
親が私にしてくれたように、私が子にしてあげたい。そして子が私に憧れて孫に同じように。

それが私ができる最も価値の高い未来へつなぐ手段だと断言しよう。


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