おなかさん、からのメッセージ
友人が、誕生日にエサレンマッサージのセッションをプレゼントしてくれた。
セッションの終わりを告げられたとき、今がいつどこで、自分が誰なのかすら霞むくらい、何時間も熟睡した後のようにだいぶ遠のいたところにいて、日頃無意識に構えている内面の奥の方から、するするとほどいてもらったことを感じていた。とても柔らかくて、あたたかい意識の状態を味わいながら、しばらくマッサージベッドの上でぼんやりさせてもらっていたところ。
友人は私に、「さやちゃんのお腹といっぱい会話して、とっても面白くて感動的だったから伝えたい」と、私の深く心地よい熟睡の間に、私のお腹と彼女との間に起こったことを教えてくれた。
それは、食べ物を口にするという行為について、その一期一会の尊さについてのメッセージだった。
食べることとは、その食べ物と体内の粘膜との出会いであり、粘膜にとっての接触とは、皮膚の表面状の接触よりもとても深いもので、その一回一回の食事とはそれ限りのものであるからこそ、ちゃんと心地よく最善のものを選んでほしい。と言われた。
人間の口にするものは、土からできているし、その肉体も、やがて土に還ってゆく。
そのような、地球の大きな営みの喜びとして、食べるものを口にしてほしい、と。
私はここ数年、インドの聖典の学びから不殺生の大切さを実感したり、アレルギー体質の改善で食べるものや食べ方を色々工夫して、食事はほとんど菜食になっているし、その中でも心地よく食べられるものが限られる体質に変化しているのを感じていた。
そのことは、シンプルな食生活と軽くて心地よい身体の状態をもたらしてくれる一方で、
仕事柄、食事が選べないこともあるし、何より、食事を共にすることはコミュニケーションの形の一つになっているので、状況や相手に合わせたい気持ちから、食べたいと思っていないものを口にすることも確実に増えてしまっていた。
私のお腹は、「ちゃんとどうすればいいかわかっているから、お腹の声を聞いて。
周囲に合わせなくても大丈夫、むしろみんなを引っ張っていくから」と言っていたらしい。
そして、友人に対して、食生活に対する指摘や彼女のお腹のクリーニングまで行い、更には、友人のセッションのあり方に対し、「何もしようとせず、理想の身体をあてはめようとせず、ただ目撃者として立ち会いなさい。アンバランスな中でその瞬間を大切に味わうこと。それが生きるってことでしょう。教科書通りにやろうとしないこと」と、
「バシッと言われた」そうで、、、二人で大笑いした。
私のお腹さんとは、なんと明確な意思をお持ちだったのでしょう、、、
身体の声(今回で言えば、お腹の声)に深く耳をすますことは、ある意味で、お腹を自分のものとせず、敬意をあらわして大切に扱うことだな、と思い至る。
お腹は、意志とはちがう神秘の営みで、消化吸収を行い、心と体を満たしてくれている。食べて得られる一時的に見える満足が、もっと深い生きる喜びと繋がっているその深淵さに、今回、気づかせてもらった。
セッションが終わってゆるみほどけたような感覚は、きっと、その深い生きる喜びと繋がっていたのだと思う。そのキーはお腹にあったのか、、。
肉体をもって生きることの面白みとは、いつも、想像の外側にある。
お腹さん、いつも空腹という機会を与えてくれて、そして、いろんなことを気づかせてくれて、
本当にありがとうございます。
友人みかちゃんのセッションが気になった方は、よかったらご連絡くださいね。