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ミュージカル「キャッツ」グリザベラはなぜ選ばれた?〜自分的考察〜

さて、今回は自分的ミュージカルの原点「キャッツ」について、恐らくこれまで様々な人がしているであろう考察を自分もしてみようかなと

自分が出会ったのはもう20年ほどは前になるんだけど、当時から先日の静岡キャッツでの(自分比)鬼リピの前までグリザベラが選ばれたのは「何となーくいい歌(主張)をしたからなのかな」くらいの解像度だったんですよ。
まぁそもそも自分にとってキャッツの内容的見どころって1匹1匹の猫達の生き方に注目してた感じだったのでグリザベラが選ばれることを重視してなかったといいますか。

で、今回の静岡キャッツを何度か見させていただいた中で改めて考えていて、その中で引っかかっていた点を起点に考えていたら唐突にひとつ自分の中でそこそこ収まりのいい答えが出てきましたので、ある意味備忘録としてのこの記事を書いています。

1.グリザベラとガスのちがいは?

まず一番に疑問だったのはここですね。
同じ老境の猫かつ過去を悔やむ・惜しむ猫としてある意味で一番近いグリザベラとガスの2匹。
でも最後に選ばれたグリザベラとそうでなかったガス。
じゃあそこの差は?

こうやって並べて比較すると簡単というかシンプルなんですが、グリザベラは最後明確に「新しい命に生まれ変わることを求めている」んですよね。
これ最初自分は「メタ的に選ばれるの確定だからそういう歌詞が入ってんだろな」って思ったんですが、ガスの歌詞を改めて思い出すと。

今の芝居もいいけれどくらべものにはならないね

グロールタイガー-海賊猫の最期


ガスの場合今の芝居に対しては精一杯好意的でもこのくらいで、それ以外は「今の芝居はダメだな」ばっかり。
ガスが名優であったゆえ…とは思うんですが、改めて考えるとガスが求めてるのは「若返ってまだまだ芝居を続けたい」じゃないんです。
過去の芝居を褒め称えていて今や未来の芝居に期待をしていないんですよね。

2.未来を求める猫は誰?

あれ?
キャッツ全体で過去とか未来とか意識した猫っていたっけ?

このことを疑問に思って振り返って改めて色々考えると猫1匹1匹単位の話だけじゃなくて、作品全体で「現在」「過去」「未来」を軸にしてストーリーが作られてる…?

このことに意識して見てみると、そこまでちゃんと狙って構成してる…?って思ったんですけどどうでしょう。

一幕の個人猫のナンバーを見ると、まぁ個人的に存在が割合謎というか一種の物語になってるランパスキャットはちょっと除いときますが、全体的に享楽的というか「今が楽しい!」「今が楽しければそれでいい!」みたいな雰囲気のナンバーが多いんですよね。
マンゴランペル、タガー 、バストファさんなんかはかなり強くそんな雰囲気ですし、ジェニエニおばさんも「今が素晴らしい」って内容。

そんな中でグリザベラという存在が「かつての過去」をたびたび背負って登場します。
「現在」の中に何度も現れようとする「過去」ですが、猫達はそんなグリザベラを拒絶します。
この時点では猫達は「現在」以外は受け付けないんですね(まぁこの辺に関してはグリザベラという「過去」の内容に対する拒否なのかもですが)。

3.「明日」と「成長」を担う猫

そんな流れで続く二幕ですが、ここでの個人ナンバーはまずは前述のガスナンバー。
ここで過去を振り返りながら後のグリザベラと対比ができてるな…と思ってたんですが、この後のスキンブルとミストフェリーズ…これ「未来」への伏線を打ってる?って思ったんですがどうでしょう?

まずスキンブルですが、歌の方向性としてはジェニエニおばさんと近い「今の素晴らしさ」を称えた内容です。
ですが歌詞のあちこちで登場する「明日」。
それとスキンブルが乗るのは寝台列車なので、当然内容的にも「朝」「目覚め」がちょくちょく訪れます。

あれ、もしかして「未来」に対して目を向けてる?
いや単なる偶然か?

そしてマキャヴィティを挟んでその次、そして紹介タイプの個人猫ナンバーとしては最後となるミストフェリーズ。
こっちはスキンブルとは逆に歌詞の内容にあまり未来を意識したワードは出てきません。
強いていうなら「いつか夜を招き星空を作ろう」くらい?

でもちがうんです。
ミストはジェリクルキャッツ中作品内で「成長」を描かれる猫なのではないかと思うんです。

みんな彼のことを魔法使いと言うけど 変わったことはしてない 自然に振舞うだけだ

ミストフェリーズ-マジック猫

ここ演出変更でタガーが歌うせいで「本人でもないのに勝手に断言するやつ」みたいなことになってますけど、旧演出版だとミスト本人がここを歌うのでまぁここは事実の話なんですよね。
で、この時点での「ミストフェリーズの魔法」って「息をするように勝手に身の回りで起こる不思議な出来事」という扱いで、つまりは「意識して魔法を使って、狙って成果を出すことをしてこなかった」って読み取れるんです。
イメージとしてはレリゴー前のエルサみたいなもんですね。
周りが「そんなもんかー」で気にされなかったから特別誰にも怯えられず止められず触れられてこなったエルサの魔法みたいなもんです。

そしてこの後ミストはマキャヴィティに連れ去られたデュト様を救出するんですがその後のミストの怯えたリアクション。
ここはもちろん解釈次第ですが、上の理解で進めると「初めてコントロールして魔法を使った」のではないでしょうか?
つまり「今までやってこなかったことをやって成功した」。

せ、成長してはる!(後方母親面並感)

いやその前からマジックバシバシやってたやんってツッコミはやめてね。
上の理解は大袈裟でも、怯えるほどの大舞台の成功という成長を経たってのは間違いない。

成長という「未来」を描いたナンバー。
そしてそのままあの「メモリー」に繋がっていく。
こうして見ると、キャッツ全体が「現在」から「過去」に思いを馳せ「未来」へと繋げていくストーリーな気がしてくるんですよね。

そしてグリザベラの歌う「メモリー」。
「過去」から「現在」に続き「未来」へと手を伸ばす彼女の姿を描いたナンバーです。

こうして作中の流れを改めて見ると「再生し新しい命を得る」ことを求めている猫ってグリザベラ以外には誰もいないんですよね。
「ジェリクルキャッツの中で一番素晴らしい猫になりたい」って思ってる猫は恐らくたくさんいるんでしょうが、再生を求めている猫はグリザベラ以外いない。
「老いさらばえて震えてる」ガスですら、別に新しく生まれ変わることを求めているわけではない。

こうして考えてみると最初見た時にギョッとした「え、新しい命って一回死ぬの!?選ばれたら!!?みんなそんなん狙ってアピールしてんの!?」って部分とか「どんな素晴らしい猫よりもグリザベラが選ばれたの?」って部分が全部飲み込めます。
そもそも求められてるのは「一番素晴らしい猫であること」ではないんですから。

きっとジェリクルキャッツの皆は「今生きていることが楽しい」と思っているんじゃないだろうか。
ガスだって「今の芝居もいいけれど」くらいには思ってくれているんですから。

…というのが現時点での自分的考察の着地点です。
公式のインタビューとか他の考察勢の意見とかあんまり情報拾わずに(拾えずに)考えてった自分的妄想に近い考察です。
…でもこうして書いてみると歌詞から拾える情報そのまんまだな。
逆にスキンブルとミストの「未来」とかこれは流石にこじつけじゃない…?と思いますが、そうだったら流れ綺麗じゃん〜!と思ったので自分1人そう思ってるだけなら許されるだろ!自分はそう思っておく!って感じです。

が!

それまで"現在"ばかりを見ていたグリザベラ以外の猫たちが、デュトロノミーの導きによって、初めて"過去"を顧みる瞬間。

最近公式からアップされたニュースで触れられたこちらなんですが…
え…これ当たらずとも遠からずじゃないです?

えーやっぱりそういう時間軸の意識があるのか…
というかそうか、幸福の姿にそんな意味があるのか…それは全く頭になかったわ…。
もうあのナンバーは朗々と歌う神々しいデュト様を崇めるタイムになってて歌詞の内容とか頭になかったわ…。

きっと観てるだけでは気づかないそういう公式側の解釈が大量にあるんでしょうね。
最後のメモリーでそれまで背を向けてたのに「お願い私に触って」あたりから驚愕や感嘆みたいな表情で振り返るミストとか、最後まで背を向け続けるタガーとかの解釈が気になる。
個人的にタガーは「自分が動いて導かなければいけない時だけ導く」という役割を背負ってる気がするんだよな。
ミストナンバーは誰もが不安になって動けないし、ミスト自身もその能力があると気づいてないからタガーが紹介して導く。
グリザベラはあの時点でもう自分で答えを見つけていたから導く必要がない。
「背を向けている=拒絶の意思」みたいな単純な意味じゃない気がするんだよなぁ

いつかはマキャヴィティとかランパスキャットの作品としての存在意義とかも飲み込めるようになるんだろうか。
いやマキャは別に飲み込めないわけじゃないわ、飲み込めないのはランパスキャットだけだわ。
世界観ぶち壊しナンバーにしか見えないんだけど意味あるんだろうなぁ…本当にあるかなぁ…詩にあるから作らざるを得なかった無理矢理ブチ込んだとかそんな意図じゃないよな…流石に…。

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