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【山梨】武田信玄をめぐる

山梨の旅というよりは、甲府をメインとした旅。
2021年に行ったので、記憶は曖昧な部分もある。
しかし、この旅はターニングポイントとなり、
歴史を巡る旅の起点となった。
それまでは観光地、インスタに載るような旅先ばかりを行くことがあった。
歴史を巡る旅に切り替わってからは、
寺社で侘び寂びを感じ、歴史上の人物に想いを馳せ、
旅先の土地を好きになり、自分自身とも向き合うような旅のスタイルとなった。

甲府駅から旅のスタート
レンタサイクルを借りた。電動自転車は素晴らしい!
自転車は駐車場を気にすることなく、
近場をまわるのであれば結構小回りが効くので便利!

友人とレンタサイクルでまわった。
チャリで来た!

もう3年以上前の旅なので細かいことまでは覚えていないが、武田信玄の息子、父、母の菩提寺やお墓をまわった。

しかし当時は「武田信玄の歴史巡りをしようぜ!」
というノリで来てしまったため、信玄の息子、父の名前など下調べをしておらず、誰が誰なのか全くピンとこないまま巡っていた。

しかも武田信玄の歴史巡りをするという動機は、
「幕末以外の歴史も知っておきたい。もしそうならとりあえず山梨が好きだから、信玄にしておくか」くらいの軽いノリであった。
※幕末が元々好きで、特に新撰組を調べていた。この記録も後ほど書いていきたい

信玄って何をした人なの?
甲府を中心に甲斐国を治めた人。父である信虎より家督を継ぐが、信虎とは考え方からの違いから、信虎を甲斐国から追放してしまった。
甲斐国に住む民のために洪水対策、区画整理、金山の整備など行なった。部下や家臣からの信頼は厚く、小さな家族が大きな夢(全国統一)を夢見たようだったとのこと。
上杉謙信との川中島合戦が有名。信玄としては領土拡大をするのは民のためという想いがあったらしい。

武田勝頼は信玄の息子。
勝頼は側室の子だったので、最初は肩身が狭かったらしい
武田神社は武田家の拠点である「躑躅ヶ崎館跡」である
三条夫人の菩提寺。
たしか信虎の妻だったような気がする

武田信玄は病死した。胃がんでは?と言われている。
その後、家督は勝頼へ受け継がれたが、織田信長に武田家は滅ぼされてしまった。

信玄のお墓が奥にある。
お墓というか、死後3年間ここにいたらしい。
火葬がここで行われた

信玄のお墓は恵林寺や高野山に分骨してある。
のちに両方、行くこととなった。その話もまた今度。

信玄のお墓(っぽい)場所はとても閑静な住宅街にある。不思議なのが、お墓へ行っても不気味さや怖さはなかった。心が暖かくなるような、不思議な感覚。
お墓なのに心地良くて、衝撃を受けたことが心に残っている。

こちらは信虎のお墓があるお寺。

信虎のお墓はひっそりとしており、不気味さまでは感じないものの、寂しさがあった。
お寺の裏というか、影にひっそりあった。

甲斐善光寺へ
長野県にある善光寺は有名だが、実は善光寺はいくつかある。
この甲斐善光寺は川中島の戦いが激化し、長野の善光寺に安置されている御本尊を避難させるため、信玄が甲斐国へ持ってきたことが甲斐善光寺のはじまり。
その後は信長が武田家を討ったので、しばらく御本尊は岐阜に安置されたが、のちに長野へ戻った。

甲斐善光寺!とても立派

信玄巡りを終えて
だいぶ端折ったが、この日は寺社仏閣を7ヶ所くらい行った気がする。
当時のなまはげ太郎:戦国時代の偉人たちを知っていきたいかも。幕末とはまた違った歴史がある。立場は違えど、それぞれの武将たちの想いを知りたい。これからも信玄を深掘りしていきたい。そのうち、信長や家康なども史跡巡りをするのだろうか。
※信長、家康巡りはしませんでした笑

おまけ
山梨といえばほうとう!
だが、夏はほうとうをつけ麺のように食べるスタイルで、「おざら」という郷土料理がある。
甲府駅前にある「ほうとう ちよだ」はお気に入りのお店。これから何度も通うことになった。

おざら!とても美味しい。
このつけ汁がクセになる
馬刺しが大好き。ここでは毎回注文している
冬はゆもりもある。これも美味しいのだ


今回の旅記録は以上。
しかし山梨の旅はこの後何度も行くのだ

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